クがきらいでしたが、今にわかりそうです、どうもそういう気がする。私はきょう一寸お話ししたこと、「姉さんには頭が上らない」云々のこと、全く個人的な意味でなしに、私の胸をキューとしめつけて痛ましめる、そのようなものとして、しかもバルザック的に抉り出して見たいとしきりに思います。そこにひそめられている女の苦しい涙はどの位でしょう。平気そうに通用されているデカダンスの溝のきたなさ、深さはいかばかりでしょう。石坂の「若い人」およみになりましたか? 石坂という人は、そういう溝へ腕をつっこんでかきまわして、そのヌルヌル工合をああ云い、こう云い、云いまわして、そこに満足してしかもその芯は常識よ、きわめて常識よ。ですから、田舎から出て東京に住むようになると、かくものは、地方文化的自得の表情を失って、まるで木片をついだようなものになって来ている。ここいらも面白い。
地方文化ということは、いろいろの問題をもって「若い人」のなかに及び「麦死なず」の中にあります。鶴さんは石坂論では、モチにかかって居ります、自分の心の、感情のビラビラのもち[#「もち」に傍点]に。石坂の面白がるようなところへ、おもしろがらされて
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