とを真面目に沈思させるものです。
 作品を生《き》のままによんで、そこから現実をつかんで所謂文学史の内容を見きわめられるだけの文芸批評家が必要です。
 この間、『都』の「大波小波」に女の批評家出よ、という短文があってね、私は批評家にちがいないけれど小説が本分で「自分でも、謙遜だろうが『作家の感想』と云っている。」あとは板垣直子一人、その本質は、と『文芸』に出ていた批評家としての生い立ちという女史の文章にふれていて、女の批評家出よ、と云っているのです。これは、そう容易に、はい、出ました、と出ないものですね。いろいろ考えて面白かった。日本の社会、文化での女のありよう、文学での女のありよう、それらを考え合わせると、女は、女流[#「女流」に傍点]というところでとかく一寸風よけしていてね、私だってあなたが評論をおかきになれば、おそらく「作家の感想」は愈※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》感想に止っているでしょうし。マアこれは一寸耳をこちらへ出して、ソコイラノ評論ヲ評論ト云イ得ルトハ思ッテ居リマセンガ、私ニハホントノ評論ヤソノ骨格ガワカッテイルカラケンソンスルノデス。というわけでしょう。
 
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