けていて、それから手紙書こうと思っていたところへ、デンポウ[自注31]。よくうって下さいました。すこし熱っぽいのね。体だるくお感じにならないこと? 平静にしていらっしゃい、ね。平静にしていたいという基本的希望によって、平静がこわれかかるというようなおかしい矛盾も、まあ。
火曜日以後になれば、これから先どの位安静にしていらっしゃれるかということも、いくらか見当がつくかもしれませんから。
きのうは二時ごろまでいました。そのおかげで、又「ジャン・クリストフ」をよみかえしはじめて大分すすみました。「ジャン・クリストフ」はそれなりに一つの美しい緊張緻密な世界を示しているけれども、やっぱり今日の目と感情では、うちひらかれるべき窓々が感じられます。そのことも大変面白い。三十年の歳月を経ると、ね。あれがかかれたのは一九〇九年頃でしょう。
手をはらさないように。手をはらさないように。この中に何とたくさんのものが響いていることでしょう。ユリは手ははらさないわ。大丈夫です。けさ藤江がかえって来ましたし。きのう迄は丁度五日にすんで(「広場」)つかれが出ているところへいろいろで、書くものも気が添わずのばしてしまっていましたけれども。きょうからは、今からは又大丈夫です、でも明日どうしましょう。やっぱり行って見ようかしら。それとも火曜日以後にしようかしら。考え中です。あなたのお気持を考えているわけです。もうユリもかえっただろう、そうお思いになると、すこしホッとなさるところもあるのではないかしらとも思って。私たちの生活のあの日、この日、ねえ。私はそう思っていて、別に乱されても居りません、勿論それは、というのは当然だけれども。展開するポイントがわからないのに、只毎日毎日というの――いかが? 月曜はゆきません。火曜日に参ります。日比谷からのかえりに、午後早く。私はそこに一つの点を見て居りますから。
多賀ちゃんは私の手紙とゆきちがいに、何だか平凡なつまらない、あきらめ(生活全体について)の手紙よこしました。自分の心をころして皆が心持よく暮すなら云々、などと。それで納まれる万事であるならそれでよろしいのでしょう。それならばそのように私も考えておいていいのでしょうから。しかしまだ分らない、先の手紙の返事は来ていないのですから。
すこし曇って来ました、手套つきましたろうか。
きょうは十二月十日太郎の誕生日。でもクリスマスに併合するのだそうです。私は一月二十三日のおくりものとして、今から『魯迅全集』と『秋声全集』とをお約束ねがいます。いいでしょう? 栄さん夫妻があなたに十円までのおくりものがしたいのですって。インバネスを着せて貰って大いに助っているから。何がいいかお考え下さい。おめにかかって云おうと楽しみにしていたのですから。何がいいかしら。何か欲しいと思っていらっしゃる字典でもあったら。手紙下さるでしょう? 呉々お大切に、熱をくっつけてはいやよ、お願いいたします、たくさんの good wishes を。(毎日毎日出しては、という意味)
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[自注31]デンポウ――顕治は病気のため公判廷に出廷中止した。裁判所は無理に出廷させようとし、拘置所はその旨をうけて、顕治を病人として病舎におくることを拒絶しはじめ、病舎で面会を禁止した。
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十二月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十三日 第一一三信
きのうからすっかり寒くなりました。いかが? 熱はどんな工合になりましたろう。それから脈も。お元気でしょう?
きのう栗林さんが打った電報御落手のことと存じます。
用事だけ先ず申しますが、本月と一月一杯、ちょ[#「ょ」に「ママ」の注記]/\出るとか出ないとか云うことはないようになりましょう。一月以後のことはまだはっきりは云えないようですが。それでも十二月半月とまる一ヵ月ずっと落付いて安静にしていらっしゃれたら、随分ましなわけでしょう。十六日はとりやめ、勿論それはデンポーでおわかりですね。きのうは栗林・森長氏と三人で落ち合い、この間の記録のうつしのことで、森長さんの控えとはちがう分というのをはっきりしましたからかきます、もっとも森長さんが手紙を出すと云っておりましたが。あとの分、まだすまない分の方ですが、あの書き出しの中で落ちているのが、
一、林鐘年最終訊問調書
一、宮本記録中鑑定書前半
一、逸見上申書
※[#チェックマーク、1−7−91]一、秋笹上申書(これは、これから出るものの由。何通入用かと)
それから、
※[#チェックマーク、1−7−91]一、証拠物中、号外第四面全部というのは、即ち佐野、鍋山除名に関する分と同一のものでしょうか、そこが不分明だということでした。
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※[#チェックマーク、1−7−91]山本正美のうつしは何でも大した尨大のもので、栗林氏は自分で全部もっているから不用故、一部か二部でよいだろうという意見でした。このことも御考え下さい。そして適当なところへ御返事下さい。
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それから本について、
冨山房のはつきましたろうか。『読書界』は出て居りますが、あすこはいかにもあすこらしく、ちゃんと実費を払うというのではないのね。只よこすのですね。『書斎』は出ているとばかり思ったら、この十一月から休刊の由です。やはり紙の不足からでしょう。従ってこれはありませんわけです。
島田から光井からそれぞれ返事が来ました。お母さんの御意見では、フォードと云っても大した古いもので、達ちゃんがかえるまでもつか、それもあやしく、もし達ちゃんが売れと云ったら売るつもりで返事を待っていると云っておよこしになりました。それは私たちには分らないから、それでよろしいでしょう。Kは私たちから手紙を書くより前、お母さんが「もう一度働く気はないか」とおっしゃった由。そのときK留守であったそうで「では宮本様へ上って御都合を伺います」と云って来て、お母さんのお手紙の方には、折角かえれたのにすぐ商売をやめるというのも変だし、あんまり一人になるのもよしあし故、当分又やってゆくとのお話ですから、きっと好都合に行きましたのでしょう。それでようございました。それからKとしては、多賀ちゃんにそれから会いもせず音信もないから、そちらの気持が分らず、そのことについては何も云えないと云い、お母様としては勿論御反対です。光井の方では何だかちっとも深い心持のこととして扱っていないで、多賀ちゃんの気をまぎらそうとばかり考えている風です。二十日に上京いたしますって。やはり。多賀ちゃんはよろこんでいるし、お母さまも小母さまも皆賛成。但、それは多賀ちゃんの眼の上にあるホクロをとるという目的で。一ヵ月いる由。「気の楽な宿で治せて」云々と小母さま書いていらっしゃる。こういう無邪気さは笑うけれど腹も立つわね、正直なところ。多賀ちゃん自身の気持はまさかそれだけではないでしょうけれど。
多賀ちゃんの心持がどうか分らないが、こちらへもあまり長くいないのがいいでしょう。一ヵ月というのならば、それでよろしいでしょう。
お母さんは様々のことが重っていて、(事故の訴訟で四百五十円とか請求がある由)少し気分がくしゃくしゃしているが元気と云っておよこしになりました。それだから慰問袋をあげようと思ってね。何およろこびかしらといろいろ考えた末、福袋のようなものさしあげます。それをあけると、こまこました女のものの半エリや帯どめ、羽織ひも、腰ひも、いろんなものが出て来るようなそんなものを送ってあげようと思います。きっと気がお変りになっていいでしょう。それから恒例の海苔《のり》と。野原へはのりで御免を蒙ります。冨美ちゃんには何か可愛いものを考えてやりましょうけれども。
十四日には、十二月二日のつづきで出かけます。それから十五日はてっちゃんのところへよばれます。この前のがお流れだったので。十六日に又そちらへ行きましょう。やはり今月もあれこれと忙しい。婦人のためのものを一つ(二十枚ほど)。それから『文芸』の感想二つ。それから古典研究の叢書の別冊で現代文学篇が出ます(評論社)、そこへ今日(最近)の文学についての展望(四五年来の)五十―一〇〇をかきます。これは『文芸』に書いているものの本月書く分の先になってしまうけれども、婦人作家を主とせず全体としてかくから自分のためにもなり、一般のためにもなります。『文芸』のもつづけます。一杯一杯ね、今月はこれで。一月になってからは小説をゆっくりかきたいのです、あの、この間お話していた「三月の第三日曜日」を。これは本当にかきたい。たっぷりとね。「広場」はなかなかいい文句のところが消えてしまったので高い詩情というものが減っておしゅうございました。それでも消えない校正をくれましたが。例えば「ああ、われらいつの日にかその歌をうたわん」という声なき絶叫がある、朝子の感じる、そういうようなところね。非常に詩的[#「詩的」に傍点]なのに、ね。
文学の規模の狭小さというものに、多くのひとはどの位の苦しさを感じているでしょうか。この頃実にそのことを感じます。各自の文学のいかもの性と狭さ、低さについて。このことを自分に即して感じて切ないわ。ぐるりを見まわしてやはり猶切ないわ。文学について、まともなるものをどの位欲するでしょう。ギューギュー小さくても何でもそのまともなるものを自分でこしらえてゆくしかない。そう思います。イブセンがこう云っているって。「生れ持った才能以上の何ものかを芸術に与えるためには、才能以上の情熱或は苦悩がいる」という意味を云っている由。これは面白いわ、ね、生れもった才能に(それも十分には育たず)腰をおろしてしまう、実に多くが。今のような時代には世界の文学が、例外をのぞいて、そうなるのね。世智辛い世の中では文壇的特色の発揮に生存競争的な熱意をもっているのですから。文学のためというよりもね。勉学、勉学、よ。
ああきょうはさむいことね。ものをこうして書いている息が白く見えます。そして手がかじかむ。火鉢に火を入れているのに。
今年の十二月は思いがけず可笑しい月になりました。きょうから栄さんの妹母子が来ます。そして二十日からは多賀ちゃんでしょう。
栄さんの妹の娘はまだ四つか五つなのだけれど、眼の手術をうけるとき、おきて毛布に体しっかりつつまれて、苦しいからウーウーとうなりながら、それでも泣くのこらえて四十分も手術をされるのですって。健気《けなげ》で、泣けるそうです。そして、すこしよくなって来て、これで、眼鏡をかければ弱視の程度にはゆく由です。東京には芝かどこかに弱視児童の学級があるそうです。しかしこの母子は新潟へ住むのです。学齢になれば、又栄さんがあずかるなり何なりして方法を立てるのでしょうが。
林町のアカコはね、まだ頭の湿しんが快癒しないので、見参不可能です。下ぶくれの美人ですが、只今は赤くなってかゆがっていて可哀想です。でも、もうオックーンなどと云って、あやすとそれはそれは可愛ゆく笑うの。おっとりした気質らしい様です。
太郎は目下かぜ気味。私も些か風邪ぎみ。
どうぞお元気に。そして、のうのうとして、よみにくい字のものをよみながら御静養下さい。一ヵ月半でも私はすこし気が楽になったの。持続しますから、ともかくね。手紙いつ書いて下すったでしょうか。呉々お大切に。
十二月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十六日 第一一四信
ゆうべ十時すぎにかえって来て、暗い茶の間からフヂエが郵便物をもって来たら、なかから思いがけない御褒美が出て来て、本当に本当にうれしゅうございました。
速達は速達としてその日のうちにつきました。
きのうはこの前の手紙にかいた通り世田ヶ谷行で、午後二時頃家を出て高野でポンカンを買って、てっちゃんのところへゆきました。やす子の眼がよほどよくなって来ていて、びっくりしました。すっかり仲よしになって遊んで、大笑いして。
夕飯重治さんと
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