たべて、それから康子だけ見て卯女子をほめてやらないと恨まれるからそっちへ廻ったら、丁度雨が降って来て、私はかぜ気味でいるから、急に息をするのが楽になっていい心持になりました。卯女子もしっかりした娘になって、いかにも原さんそっくりです。はっきりしすぎている位の表情です。それから、かえって来たら、御褒美というわけ。茶の間には火鉢があったかいから、ちいちゃんと発ちゃんが眠って居ます。四畳半でお手紙よんで、それから風呂に入り、サロメチールをぬって、きょうは肩の痛いのも背中の痛いのも大分楽です。それでもこの字はなるたけ力入れぬようと心がけて書いているの、お分りになるかしら、字の感じ。手は少し重たいナと思った位ではれません。今のんでいる薬がいろいろききます、御安心下さい。
それは全く仰云る通りよ、ユリは勿論、あなたが疲れたり熱があったりなさるのにノコノコ出て下さることなんか望んでは居りません。そういう意味で無駄足を厭ってもいないの。ただ、ね。是好日のこともわかります、それは私にしてもそうですから。その調子でお互にあの日この日を迎え送りしてゆくのですもの。それでもこの速達頂いて、私はきょうは気分が大変いいわ。大変ききめがあらたかです、どうかお手紙はちょいちょい願います。「よいくれをおくることだ」とありますね、そういう工合? そうでしょうね。どうも、そんならしいわね。それでも、私はやっぱり出かけるのよ、行かずにいることは出来ませんもの。わたしの心持で、そんなこと出来ないもの。でも勿論それは、一つもあなたへのオブリゲーションではないのですから、それは十分にお分りになって。
花をあげた細君は大阪へ行ったのですって。義弟のひとが事務所をこしらえて、そこにつとめるようにしたのでしょう。この間はどうしよう、というような話だったら急に行ったと見えますね。私は知りませんでした。そしたら十四日に岡林氏に会って、そのこと云っていました。これから先の永い生活だからやはり工場で九十銭位ではやり切れないでしょう。只雰囲気ではどうでしょう。その若い義弟は経済の方の、顧問のような時局的経済家で、日常生活のなかでの話題は何千何万何々というわけです。細君に、「本は何でも買うてやるから勉強せい、いうのやけど、せん」と云っている。勉強する必然の雰囲気と生活の現実の質はちがって来ている。それを気づいていないのね。そして、きりはなして勉強しろと云ったって、「うちの亭主は稼ぎがいい位にしか思っとらへん」ということになるのね。この頃の或種の若い人の生活の形です。だから、そういう気分の中であの奥さんどう暮して行くか。淡白なさらりとした大変にいい気質の人だけれど。淡白ということもやはり反面には、何かをもっているのだし。むずかしいものと思います。
島田のこと、車については、前便にかいたとおり。二十一日に多賀ちゃん到着。私はそれから又大いに多忙なのだが何とかくり合わせて、もし出来たら年内にその宿題である眼の上のアザをとってしまうようにしましょう。年越しは多賀ちゃんもいるのだから、世間並にしなければいけまいが、それは多賀ちゃんとフヂエに一任します。藤江の弟が入営で、一月六日から家へかえりたい由。そして十五日ほど家にいて、又来るようにさせます。藤江の月給も私の月給ぐらいでやり切れないが、ひとが誰もいないよりはよいし、多賀ちゃんもこっちへ来る気持、医者がよいするのに留守居のないのもこまるし、こっちに人がいないからかえれないというようでもいけないし。マアいずれも来てからの話ですが。
南江堂の本は、みんな? いかがですか。お役に立ちますか? ああいう類推というの? 私にはどうも真の科学性が感じられないでね、人間はもっと現実には微妙です、そう思います、生理だけで人間は生きない、そうじゃないかしら。例えば肥っている体のひとというのにしたって、ああなるほど、これは自分の心持そのままだというのはなかったわ。そういう不完全な科学性ということも分ってよいし。
いま、下はひっそり閑としています、発ちゃんは母さんと医者へ出かけました。のりものがどれもその混みようと云ったらお話にならないの、きのうは発ちゃんが「ツブレルー」とうなった由。木炭不足で市バス半減の由。この暮はまったくしゅらの巷でしょうね。いろんな用事早くきりあげることです。
この家が益※[#二の字点、1−2−22]よい家となります。省線に近いということだけで。黄バスの新橋行で大変便利して居りますが、それが半分に台数へっても、まだ助かりますから省線で。林町なんかおそろしいのよ、この頃は。上野、団子坂、東京駅と循環していたのが全廃になってしまいましたから、昔のように肴町まで歩くか、坂下の電車にのるかどっちかぎりです。きのうの新聞に或るデパートへフラリと来た客が、五千九百円毛皮類買ってケロリとしていたというような風で、今はシャツでも三四十円のものはよくうれるのですって。反物も七八十円から百円ぐらいのが。中位のものはない。うれない。それから実にハアハア笑ったのはね、イナゴ、田圃のいなご、あれは米をたべて秋肥ったのを体の養生のために人間がたべます、薬のように。そのイナゴはスフ入りになって利かないというの。可笑しいでしょう。イナゴはスフが何故か大変すきなのですって。歯ざわりがいいのでしょう。スフの野良着をきて出ると、イナゴがワラワラとびついて来て忽ちくい切られてしまう。スフ入りイナゴとなるわけです。だからイナゴも去年迄よ。これは実際の話です、ですから野良着のことは本気な問題よ。計らざるユーモアです。
山梨あたりも炭俵はホグシて、新聞の上へ炭を小さい山盛りにしてこれでいくらと売っている由。うちの炭は組合から一俵来ました。来月も来るでしょう。本月は去月配給しなかったところへ配給した由。春を待つ心切ですね。三月になれば炭の苦労はなくなるから。でもうちなんかまだ楽です、気持の標準が、炭なしのところにあるのだから。
片山敏彦氏が、アランの「文学語録」を訳したのをくれました。この片山さんはロマン・ロランのスウィス時代親しくした唯一の日本人で、フランス語が専門で、パリでマルチネの家へつれて行ってくれたりした人ですが、アランの紹介をこの人がするのは結構です。というのはね、このアラン Alain という人は、自分の独特の用語をもっていて、それはむずかしいのです、それをそのむずかしさの面白さみたいな浅いところで浅野あたりが政治と文化や教育論などあつかっていて、現代日本の評論の内容虚脱の故の修辞性に又新しい迷彩法を与えようとしている。片山さんはそれを少くとも分る表現としてつたえようと努力しているから。興味がおありになるでしょうか、もしおありになるなら送りますけれども。
片山さんという人は、フランス文学をやる人の中では珍しい本当のところの分るひとですが、つまり粋《シーク》から脱しているが、その代り又別の精神界へ住みついてしまったようなところあり。細君はピアノをひくの。お嬢さんが三人ですって。但し、家へは行ったことなくて、どんな小さい娘さんかは知らないが。
おや、はっちゃん達がかえって来た。健ちゃんは来ていないのよ、二人は何と云っても気の毒だからと云って。林町へ私ゆくつもりでしたが、炭がないとか何が足りないとか(ガスの使用制限でストウブは勿論湯もうっかりわかせない位なの)云ってさわいでいるので、いやだからこちらにいます。
面白い本の話したいこと。
そう云えば、私の十日間の表あげなければいけないわね。又たまってしまうと、面倒だから。十二月分の十日。
一日 六・四〇 一一・〇〇
二日 七・〇〇 九・三〇
三日 かぜ気味で一日フラフラ、前日冷えて。
四日 七・三〇 八・三〇 又二時頃おきて朝迄。
五日 朝八時頃床に入り十一時半まで。それから面会へ。九・〇〇
六日 七・〇〇 九・四〇
七日 七・〇〇 一〇・〇〇
八日 六・四〇 九・二〇
九日 七・〇〇 一〇・〇〇
十日 七・一〇 一〇・四〇
読書は七日からですから、ホントニオ恥シイバカリ、よ。
十四日には奇妙な職業で月給百円というようなのをききました。今のかぜは、はっきりわるくもならないで、長くかかって心持わるいのね、いやね。
どうぞお大切に。きのう(十五日)栗林氏そちらへ行った筈ですが、あとで電話をかけて見ます、私は十八日に参って見ます。では呉々もお元気で。又私の手紙の頁数が殖えてしまうわ、縞の着物の細君はどうして居りますか? ではね。
十二月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕
十九日の電報への御返事だけをとりいそぎ。五日におめにかかってのち、八日にゆきお目にかかれず、又九日にゆきやはり同じ。十二日の火曜日もお会い出来ずでした。十六日に行こうとして風邪気味でゆかず。又明二十日にゆきます。栗林氏は十九日にも十五日にもゆきました。
十二月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月二十一日 第百十五信
十九日の電報へのハガキ、御覧になりましたか、もう。あの日は富士見町、四谷の病院とおせいぼやお礼にまわって、島田のお母さんのものを買ったりして、林町へまわり、うちへ電話かけたらデンポーだとよんでくれたので、すぐありあわせの毛筆でかいたのでした。
御様子はいかが? きのうは(二十日)すいていて、すぐ番号が来てほどなくそちらからのお返事が来て、十一時すぎ家へかえりました。ことづけをきいて、ああそうですかというとき、やっぱりある顔になるのがわかって自分で笑えました。それでいいとしているのに。そう思って初めっからいるのに、可笑しいわね。
この前の手紙は十六日にかいて居ります、むろんついているでしょう。富士見町は、いつからか云っていらしただけです。先生へのお礼も同じだけ。島田のお母さんには、前の手紙で云っていたの、どうも子供っぽくてきっとよく意味がわからないようにお思いでしょうと思って、いろいろ思案の末、半幅帯を見つけてお送りしました。この前上京になった折もキモノはいくつかお買いでしたが、帯は一本もおかいにならず、ずっと同じのをしていらっしゃるから、きっとお正月に羽織の下へ召すのにいいだろうと思って。実にびっくりするほど物は下って価は上って居ます。この一月に四割又上って十円のものが十四円になるわけです。その帯にしろ以前でしたら六七円のものね、きっと。それが倍近いのです。野原へは御免を蒙ってフミちゃんの髪につける花と小母さまの羽織紐。島田へは林町から吉例によってのり[#「のり」に傍点]を。
林町へ下すったお手紙、半月近くかかったのだそうですね。国男さん事務所へもって行って返事かいたそうで私は見ず。「封緘で書いたのだって!」と咲枝がむくれていました。ここいら面白いわ、あの夫婦の心持のありようのちがい。一事が万事で。
本当に工合いかがでしょう、熱出ますか? 又ね汗をお出しになったりするの? どうぞどうぞお大事に。
こちらはね、やはり暮のいそがしさがいくらかある上に、人の出入りが多くて(というのは、はっちゃん母子きょうかえり、いれちがいに多賀ちゃん)というようなわけで、何だかごたついていて、間、間に仕事して居ります。年内に予定だけ行きそうもない。すこし閉口ね、でもそれがあたり前でしょうから。
明日は多賀ちゃんをつれて慶応へゆきます、例の目の上の黒子をとれるかどうかしらべに。私はこれには全く疑問よ、人間の顔の特長、ある魅力というようなものはのっぺらぼーのところにあるのではないのですものね、眼頭というところは表情的でしょう、もしホクロとれてひきつれでもしたらいかがでしょう。だからよくよくたしかめて、そういう危険は万々なしというのでなければ私はさせないの。やるならよそでやればよい、私のところではいやよ、ね、私は一つの味いと思って見ている位なのですもの。今夜七時四十五分につきます。二十七日か八日に林町では多賀ちゃんも加えて忘年
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