はじめから終りまでトピックの話し方で一貫しているのに対して、「杉垣」は描かれている生活の波のかげとしてトピック的なものがひそめられています。それではやはり浅いと思うの。歴史というものの厚みが十分こもっていないと思うのです。思い入れを作者は一心にやっているけれど。作品は語り切っていなければいけませんね。少くとも語ろうとしてとり上げられている点については語り切らなければいけない。思い入れの味というようなものは文学の世代の問題として古いばかりでなく、それは又技術上の省略ともちがったものですもの。この次のでは、この点で歴史の新しい頁の匂いというものを描かれている生活の姿そのものからプンプン立ててみたいと思うの。細部までしっかり見て、描き出して、明暗をくっきりとね。この姉弟の生活の絵を思うと、それの背景の気分のなかにこの間うちの読書にあらわれていた少年と少女の生活状態が浮んで来ます。そして、このランカシアの時代は何と素朴な野蛮さであったろうかと思うの。その少年少女たちは不幸のなかで放置されていたのです、その精神を。精神は荒廃にまかされていました。(これが徳永さんの「他人の中」、これはゴーリキイの「人々の中」の心臓のつよい模倣で、その感情が。よんでいて胸がわるくなったが)その時代はすぎています。その素朴な時代は昔です。有三の「路傍の石」は有三が作家として外地の日本語教育のためにのり出すという足どりとともに、実質を変化させつつ流れつづいて来ているわけですから。
『文春』の芥川賞に「浅草の子供」あり。これは不良じみた下層の子供の生活を小学校教師である作者が描いたもので、私はこういう子供くいをこのみません。坪田を青野が「逃げどころをもっている作者」と云うのは当っている。「そのにげどころにも火がついたようだ」と云っているのも。何故人々はもっと子供を愛さないのでしょう。何故子供の世界への大人の感傷でいい気持になっているのでしょう。たかだか罪がなくて自分の幼年時代を思い出す、そんな気分的なものに足をおろしているのでしょう。
ユリは自分に子供がないから、ひとの子は押しのけて「ねえ先生、たくの子供は」とのり出す女親の感情はなくて、もっと広く、或意味では合理的に考えています、そういう感情になっている。そういう点でいつか舟橋の作品について一寸した応答をやったことがありました。書いたかしら? ヒューマニズムというものを聖一は、わが子可愛さにくくりこんでいるもんだから。ああこんなお喋りをもうやめなければね。
一、おたのまれした本今明日中にあるだけ揃えてお送りします、寿江子の分は(おたのまれした)ありましたから。
一、それから謄写のこと、きょうこれをかいてから出かけてゆきしらべて森長さんにもつたえましょう。きょうは先ず手紙をかきたくて。代金のこと次のようです。この前の表からすぐ後につづきます。
あなたの抗告事件に関するもの 四通 四・八七
熊沢光子手記 〃 七五・一〇
西沢隆二記録 〃 一四一・一〇
袴田里見公判調書 〃 三八・八〇
木島隆明 〃 三三七・〇〇
証拠物写代 五通 九八・〇〇
速記第一日料金 一通 二四・〇〇
計七一八・八七
それから、例の表ね。あらあら、十一月は私一度もかいて居りませんね、十一月の二日に一〇二信で十月三十一日までをかいたきりね。何だか又一日から三十日まで並べるのすこし辟易《へきえき》ですから、乙何日、丙何日、丁何日として頂きます。おや、甲があるわ、九時半ごろが三つあります。それから甲と丁との二台連結というのがあってそれは一つ。八時ごろ一旦ねて、十二時ごろおきて、三時頃までかいて又ねたという日。
甲 三つ
甲と丁 一つ
乙 二〇
丙 六つ
大体こんな工合、いそがしくてゆっくり遊び日もなくて。
読書は、二十五日ごろから休んでしまいました。お手紙に最低限なのに、とあり。これからは、最低限は守るようにしようと思います。六十二頁(ああいやね、私はこんな小さい数字をかくとき、理由がなくよくばり性が出て、つくづくいやと思う。でも、ここまでためるのは点滴風なのに。)読書力の範囲というか歯というか、よわいことね。これは全く歴代の作家たちの弱点です。今よんでいるところなんかはね、逆な形では、中村屋の主人、黒光女史なんかには実に実によくわかりやすいのです、きっと。生活感情の土台の廻転度数だから。何て腹立たしい可笑しさでしょう。
きのうから十日朝まで私は一人になります。藤江、休みをとってかえっているわけです。昨夜寿江子が来て、とまっています。
きのううかがうのを忘れてしまったが、茶の間の写真いかが? 届きました? 何て御挨拶いたしましたろう。ねえ、これはあの長火鉢よ、そう云ったでしょう? それともまだ、そこの室までは行けないでどこかで窮屈がっているかしら。私はこんな心持を感じるのです。ここにある。あけて見られる。でも見ないでいる、そういう子供らしいようなたのしんでいる心持。それから又何だかかくれんぼして、二人でどっかの隅にかたまってかくれているときの心持。そんな面白さ。そして私は自分の顔が暖いもののそばにあることを感じるの。そう?
十二月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月八日 第一一一信
きょうは三時ごろまで居ました。もしかしたらと思ったとおり。御気分はいかがですか。どうぞどうぞお元気に。あした又行って見ましょう。
いろいろの用事を先ず。
森長さんとはあの日ゆきちがいでした。金曜日に行かれるときまっていると思ったもんだから。その前日か栗氏ゆきましたって? 謄写に関するしらべ。
公判調書
完成[#「完成」は罫囲み] (一)[#「(一)」は縦中横]袴田 四通
未完成[#「未完成」は罫囲み](二)[#「(二)」は縦中横]逸見 四通
(三)[#「(三)」は縦中横]木島 四通
※[#丸四]秋笹 四通
※[#丸五]横山 二通
(六)[#「(六)」は縦中横]西村 二通
(七)[#「(七)」は縦中横]金 二通
(八)[#「(八)」は縦中横]加藤 二通
(九)[#「(九)」は縦中横]木俣 二通
(十)[#「(十)」は縦中横]大泉 速記
(十一)[#(十一)は縦中横、「十一」は縦組み]宮本 速記必要
予審未完成の分
(一)[#「(一)」は縦中横]西村マリ子 四部
富士谷、林鐘年
(二)[#「(二)」は縦中横]牧瀬、波多然、大沢
山越、鈴木各予審終結決定書 二通
(三)[#「(三)」は縦中横]熊沢光子遺書 二通
(四)[#「(四)」は縦中横]大泉記録中 外表
検査鑑定書 四通
(五)[#「(五)」は縦中横]宮本記録中 総目録 一通
(六)[#「(六)」は縦中横]山本正美 四通
(七)[#「(七)」は縦中横]蔵原 二通
(八)[#「(八)」は縦中横]林鐘年 四通
証拠物写[#「証拠物写」は罫囲み]
(一)[#「(一)」は縦中横]『赤旗』一二三号、一三九号 五通
(二)[#「(二)」は縦中横]佐野鍋山除名の『赤旗』号外 五通
(三)[#「(三)」は縦中横]昭和九年一月二日西山個人署名論文
(四)[#「(四)」は縦中横]スパイ最高処分ヲ強調セルモノ 五通
(五)[#「(五)」は縦中横]三十二年テーゼ 三通
(六)[#「(六)」は縦中横]兵役法違反 二通
(七)[#「(七)」は縦中横]『赤旗』一三三号百七十号 清党ニ付テ
命令ニ付テ 複写
鉄の規律
(八)[#「(八)」は縦中横]袴田里見上申書
以上
これは書類をお送りするとの話でしたが一先ず。
森長さんへも書類を送っておきました。
それから本は四冊お送りしました。
a『医学的心理学』
b『精神鑑定例』三宅鉱一
c『ヒステリーに就いて』
d『性格学』
それから毛足袋と。
クレッチメルという人の学説が土台のようなものですね。高良氏の『性格学』にしろ。この人は夫妻とも知っています。九州の出身の人ですが。
『書斎』と『読書界』もうじき届くと思います。
島田と多賀ちゃんにはおっしゃったように手紙出しました。どんな工合に決着しますかしらね。Kにも手紙をかき、島田に働く気の有無をきき合わせました。これもどんな返事をよこすかしら。
達ちゃん、隆ちゃんには二三日のうちに袋を送ります。隆ちゃんにはあの本(『戦場より故郷へ』)入れましょう。
お母さんには何がいいかしらと目下大いに頭をひねって居ます。何かマアとお思いになるものをあげたいことね。いろいろちょいちょいしたもの揃っているので、思いつけるのがむずかしい。まだいい知慧が浮びません。この折から、これはとお思いになるもの何かないかしら、もしいいお気付があったら教えて頂戴。毛糸でこしらえた下着類も、もう純毛なんかないし。本当に何かいい思いつきをしたいこと。お母さんは毛皮の胴着、羽毛の肩ぶとん、そんなものも先にお送りしてあるし。
うちでは多分この火曜日から五日ぐらい、私が林町へ行って図書館通いして、壺井さんの妹が目の治療をさせている小さい娘と息子をつれてここに暮すことになりそうです。栄さん百枚以上の小説かいて、その稿料で小さい女の子の目の見えるようになる治療してやるつもりでいたら、紙の統制で、『新潮』は百枚以上の小説をのせられなくなったので、急に困りました。しかし『中公』の二月新人号に三十枚かくのがある。それを年内にすまして医療費にしたい、それをかくのに子供二人ワッシャワッシャでは迚もだめ。では、私が一つ動いて騒ぎ組をうつして(医者にもここからなら歩けるのですって)その間に栄さん完成して、ということに相談した次第です。お金ですけるということは、どっち向いても不可能だから。
木炭のことお手紙できいて下すってありがとう。あれはね、いいあんばいに今夜四俵鳥取の佐々木さんというひとが故郷からのをわけてくれたところへ、佐藤さんが来て、おばアさん、炭がなくなって大さわぎというので一俵かついでゆき、三俵のこり。これがつづいているうちには又何とかなりましょう。炭やは半俵一円五十銭で売ったりしている由。うちの炭は二円二十銭です。二円八十銭がザラです。三円五十銭というのがある。それで十日間ですから。もとは一円二三十銭の品よりわるいので、そうです。醤油もビンと引かえでないとないというわけで、やはり工夫がいるというわけです。
なかなか珍しい家政状態です。紙の制限で雑誌の原稿はいずれも縮少でしょうし、出版一般がどうなるか。長田秀雄の長い戯曲へ稿料つけて『新潮』はかえした由。作家の心持は、稿料がついて来たからマアいいと云うだけでないから。なかなかいろいろでしょう。
ああ、それから前の(十一月二十八日づけ)お手紙の山口さんのお礼のこと、よくわかりましたから、ちゃんととり計らいます。今明夜、寿江子が泊ってくれます。大いにたすかります。とりあえず用事だけを。かぜをおひきにならないよう、呉々願います。インフルエンザがはやりはじめましたから。ではね。
十二月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十日 午後一時半 第一一二信
ああ、ありがとうね、本当にうれしかった。けさは、八日の〆切りという『科学知識』への「婦人と文化創造」というものをかきか
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