、ユリの寒天曝しは出来ませんでしょう、気をつけて大事につかっているし。いろいろの物が極度に足りないのも或意味ではいいのでしょう、初めての経験なのだから一般には。風邪をひかないように病気にならないようによく気をつけて暮さなければなりません、これこそ大事よ。アスピリンやキニーネ丸はないのですから。
表をかくはずですがきょうは御免を蒙ります。どこか近所の家でアコーディオンをならして、「会議は踊る」という映画の主題歌をたどたどしく弾いて居るのが聞えます。この辺の家々は女中さん一人はいるが主婦がエプロン姿で台所その他に働いて、だが買いものに出るときは羽織着かえてゆくという工合なの。あっちこっちで石炭をはこびこんだり木炭をはこびこんだりしているのを見ます。
うちの門の扉ったらどういうトンマでしょう、雨が降ったら木が曲りでもしたのかあかなくなってしまったのではずしてしまいました。夜ははめて錠をかけるの。滑稽ですが腹が立ちますね。直させなければ。カラカラとあける車がわるいか何かなのです。
きょう、いつぞや云っていた『新潮』の写真台紙に貼りつけました、明日送り出します。何という題にしましょうか、茶の間の百合子それでいいでしょう。台紙が大きいけれど、小さいのに入れたら大きい体に小さい枠がつかえるようでいかにもキュークツなので枠なしののーのーしたのにいたしました。伊藤という人が撮ったのです。木村伊兵衛という肖像の一城の主があってそのひとのグループに属している風でした。芝写真館の台紙ですが、それは台紙だけのものです。そちらへ送りたいと思って焼ましをして貰ったら効果がちがうのです、それで第一のときのをお送りいたしました。これは或意味では傑作中の傑作よ、自然な点で。同じとき二日ばかりおいてとった婦公のは、実にちがいます。うつす人の神経のかたさが反映してしまっていて。自分の気分もちがうのだろうし。面白いこと。そういういろいろの条件でいい写真なんてすくないものです。
そう云えばチェホフの家がヤルタ(クリミヤ)で博物館になっていてそこへ行って見たら仕事机の上にいろんな写真がたててありました。象牙細工の象の行列などとともに。外国の作家は自分の仕事机に写真があっても平気なのでしょうか、私は写真は迚もおけません、あなたは? ボリュームがありすぎて。私の机の右手(ああ先月あたりから机南向にてすりに向って置いているのです)の壁に原稿紙に書かれた心持のいい字がかかっていて、それは眺めてそこに休まり励まされる感じですが。糸くずを丸めたような消しかたも親愛です。これから送られる写真目にさわると云ってどこかにつくねられてしまわないように。きょうは早く早く八時ごろ(!)眠ります、そして明日は早朝から。ではどうかお元気に、お疲れになったでしょう? そう思います。では、ね。
十一月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十五日 第一〇九信
夕方、例の「芭蕉」をかき上げて速達へ出しに出かけたら月夜で、うっすり霧がおりていて。野原に霧がおりていて川があって、夜業をしている大工の燃火《たきび》の見える景色など思い出しました。それから、笑っちゃ駄目だよという言葉を思い出し、笑う、うれしくて笑うという笑い、それはどう表現するだろう、うれしくて笑うという笑い。と考えながら歩いて、スマイルやラフという言葉がふさわしいとも思えず、ホホターエットという言葉思い出し、女の場合大変感じがある(農民的ですが)などと考え考え歩きました。
私の「芭蕉」はニヤリとなさりそうですが、「俳諧の道によらず、散文の道によって」(というのは私の文章よ)描き解剖したから、そうひどいものではありませんし、自分の勉強にもなり面白かった。
同時代人としての近松、西鶴、西鶴が同じ談林派から浮世草子へ行った過程、近松の芸術と西鶴の芸術との間で芭蕉が己の道をどうつけて行ったか。芭蕉の哲学は月並であるが、彼の象徴の形象性が独特であり、日本の感覚であること、枯淡というのが通説だが、芸術家としての彼のねばりのきつかった工合、その他にふれて「この道に古人なし」と云った彼の言葉によって、この頃の妙な古典ありがたやへの一針となしたわけです。只の鑑賞批評をする柄でもありませんから。日本人が今日に日本人としての心を見出し得ないこと、そこに確信をもち得ないこと、そんなことがあってしかるべきではないのですから。
きょう書いて下さる手紙、いつ着くのでしょうね。早く 来い、来い。
今夜から小説です。これからこねはじめ。『新潮』へかいたものの続篇をなすものですが。時間と心理の発展の点で。
小説が出来るということと、つくるということのちがいも、いろいろ面白く考えられます。出来るのが自然、つくるのが作為と分けられるうちはまだ初歩ね。出来つつつくるという微妙な創造の過程があって。
二十八日
二十五日づけのお手紙けさ着きました。間に日曜日が入っているからこれで普通です。どうもありがとう。リアリズムの土台について云われていること、いろいろ暗示に富んで居り、考える点があり、これもありがとう。作品の世界のつながりで浮ぶ場合、そのありようは、もっとずっと歴史的で(質を云えば勿論、お手紙に云われている点もそこに入るのですが、時間的に)その大局からの必然の題材というわけなのです。いずれにせよ、しかし、ここに云われていることは、或点にふれている真実です。箇人主義的眼光で真のリアリズムはなり立たないということは、あらゆる場合の真理です。どうもありがとう。
私の小説は、やっときょうあたりからそろそろあらわれ始める様子です。
K運転手が応召だそうで、一時廃車になさるつもりのところ、加藤という古くからの人が達ちゃんと同時に出征して、かえるとき呉々もたのまれているそうで、何とか今の雇主と話しをつけると云っているそうです。いかがになりましたか、まだお返事は来ませんが。Kは実に小さい体で精一杯やってくれましたから、きょう速達で餞別送りました。ポツンとした手紙ね、御免なさい。又かきます。せき立つものがあって、内から。だもんだから。では又ね、きのうはかぜで一日フラフラでした。どうぞお大切に。いやなかぜですから。
十二月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月六日 第一一〇信
随分御無沙汰いたしましたね。きのうは、朝七時半に書き終って、実にいい心持にそれから眠って、おきて、そしておめにかかったわけでした。御褒美、御褒美という気持。勿論作品がそれに価するかどうかはわかりませんが。
盲腸いかがですか、痛むの? 又風邪と二人づれで来られないよう呉々御注意下さいまし。疲れてかぜをひきやすいようなとき、又きまって盲腸がグズつきました、私でも。
今度は、丁度書きかけて或クライマックスのとき十二月二日、一日別世界へ参入しておのずから感情をうごかしたので次の日そこで冷えた。(スティムなしですから)風邪と一緒にブランクが出来て変になって、それで到頭四日の夜から朝へというようなことになりましたが、大体は徹夜なしです。あの晩も用意おさおさおこたりなくね、ベッドちゃんと用意しておいて、二時から四時までよく眠ってやりましたから(昼間もねておいて)大丈夫でした。御心配になるといけないから。でもやっぱりしらん顔で十時にねました、とも云えずね。「広場」つまりプロシチャージ、そういう題です。四十枚と二行。
テーマは「おもかげ」のつづきで、そこに二年と何ヵ月の年月が経て、もうかえろうというときになって、朝子という女だけ、作家としてそこにとどまって働くように云われる。そのよろこび、感動。素子という女とのそういう人間的な問題についての感情のいきさつ。朝子は止まろうかどうしようかということについて非常に考え、自分が自分として書くべきものがどういうものでなければならないかということは、そこの三年の成長でわかって来ている。しかし作品として真実にそれを描けるだろうか、その生活の絵模様の中に自分が体で入って描き出している線というものはないことを考え、より困難のあるところへ今はかえることの方がより誠実な態度であると思う。「そのかげには保のいのちをも裏づけているこの三年よ、もし自分をここに止めようとする好意があるならば、これから自分が又ころんだりおきたりして経てゆこうとする、その態度もよみしてくれるだろう」そういう気持でかえる決心をする。そういうことです。保というのは「おもかげ」の中で語られている朝子の弟で、自殺した青年です。保という名で「伸子」の中に出ています、小さい男の子として、シクラメンの芽生を犬にふまれて泣いている子供として。朝子は「おもかげ」でも朝子。「一本の花」の中で只或る仕事をしてそれで自分の暮しも立ててゆく、それで女の生活の独立はあるように思われているが、人間の仕事とはそこに尽きるものだろうか、と職業と仕事との本質について疑いを抱く女が、朝子です。
伸子は題名として今日では古典として明瞭になりすぎていて、人物の展開のためには、てれくさくてつかえなくなってしまっています。伸子、朝子、ひろ子、そういう道で脱皮してゆきます、面白いわね。朝子は重吉の出現までの一人の女に与えられたよび名です。朝子が万惣の二階で野菜サンドウィッチをたべるような情景から、彼女はひろ子となりかかるのです。そして、それからはずっとひろ子。
「広場」では、これまでのどの小説もなかった一つの主題を最も健全に扱っていると信じます。そのことでは小さいながら一つの大きい意味があります、尤もそこいらの月評家にこれは分らないでしょうが。横光が『文春』に「旅愁」をかいています。外国の生活と日本の心とのニュアンスを扱おうとしている、彼流に。そういう小説とは別種のものとしての意味で。
「広場」は、もう一展開したかきかたがされると非常に完璧なのです。事情によって半月形のようなところあり、満月でなく。それは作者として心のこりですが、これも一つの案でしょう、そういう部分追補にしてつかえるようにとっておけばいいじゃないの、そうでしょう?
ひろ子は「雑沓」から作品化された姿であらわれて来るのです。それから重吉も出て来る、これも作品化されたものとなって。でも、私はこの夏のいろいろの経験から、その作品化の浅かったこと、つまり浮彫の明暗を、構成の全体で鈍くしかとらえていなかったことが分って来たので、ずっと書き直します。謂わばこね直します。そして、部分部分出せるところは出してゆきます。私は二様の傾向というか種類の作品をかきましょう、例えばこの頃かくのは或る若い女とその弟が働きに上京して来て暮しているその今日の暮しぶりをかく。多分「三月の第三日曜」という題。この日はその年卒業した小学生が先生につれられて集団となって東京エキや上野駅につきます。そのこと。それはそういう題材ですが、作者の感興のなかでは、はっきり「広場」でかえって来る朝子を描いた心持とつながったものです。その具体化のようなものね。作品と作品との間にあるこういう心理的な必然、は何と興味ふかいでしょう。次々にこうして書くことで初めて作家は作品とともに育ち、育った一歩一歩で作品を生んでゆくということになります。私はあなたもユリがこういう状態にいることをよろこんで下さると思い、うれしい一生懸命な心を励まされます。益※[#二の字点、1−2−22]幅ひろく、多様性をもちつつ河は深く深くと流れ、そういう風にありたいことね。
勉学のことも、ここに見えない効果をもたらしているのではないかしらと、ちょいちょいこの頃は考えます。濫作ではなくたっぷり作品化して行ける発露を心に感じる状態はうれしいこと。「三月の第三日曜」では私は一つ試みたいことはこういう点です。それは今日の現実をトピック的にとらえることは徳永もやっている。重治さんの「汽車のなか」もそうですし、「杉垣」もそういうところをもっている。「杉垣」はもっともトピックとして語ってはいない。それは「汽車のなか」が
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