、宮木みんな驢馬。このロバはアルプスにかくれ住んだ詩人(名を堂[#「堂」に「ママ」の注記]わすれてしまいましたホラ――どうも出ない〔約二字分空白〕の驢馬の詩からとったもの、ロバこそは天国での上座にいる、勤勉な驢馬は、という詩(ああ、フランシス・ジャム。)あれからとったのです。)その手紙(堀辰雄の返事)にフランスの何とかいう作家が恋愛や結婚は、はじめ創造だと思い、それから完全を求める心だと思い、遂にそこにあるそのままの女をうけ入れることであると思う、ということを云っている。堀さんらしい感情でそれを云っているのです。あるがままの女をどこからどこまでその女としてうけ入れる、これは日本ではなかなか意味がありますね。それの実質が発展的に云われた場合には、特に。そして、大抵の男にはやはり思想としてわかっても、生活の日々の感情としてはわからない。それから又このことも、女のおかれている社会を考えなければ云えないことですし。「くれない」「伸子」どれにしろ、育つ女の歎きがそれぞれの時代の姿で云われているのですものね。「くれない」をもし、作者が、良人のありよう(心理的)までを描けたら、大小説になったのであったが。女主人公の方へのった面だけ現象的にとらえて、つっこんでいない。勿論むずかしいことですけれど。
それからね、これは私の作家として、評論家であるあなたに訴える(すこし言葉が大仰だけれど)ことですが、私のライフワークというものはどうしたって野原や島田の生活風景が自然とともに入らざるを得まいと思うのです。歴史的に見て、私はそれほどの作家ではないかもしれないけれども、作品の質の意味で、それは名誉なわけなのです。でも、そうは思えず、ああ、こうでしょうね。そこで私は嫁になるのですが、こういうことどうお考えですかしら。私の書くものについての絶えざる関心という心理も、複雑なのです(大変フランクに云いますが)本当にどうお思いになりますか? 美談が書かれていれば勿論いいのです。リアルな生活というものは分りにくいから。あなたはどうお考えになるでしょう。私は愛すのよ、あれの河岸、あの山、あの道、あすこのカマドの前の人々の悲喜を。でも、やっぱりその心はわからないでしょうか、どうなんでしょうねえ。目前のことではないが、やっぱりいつも気にかかります。愛情をもってかければそれが分らないわけはないと思うのですけれども。
何も急にどうこうというのではなくても、考えておおきになって下さい。そういうことが長い習慣でいつとなしわかってゆくというような道は、つまりいろんないろんな書くものを読んで頂くということしかないでしょうし、又現実の生活での私の感情を見ていただくしかないわけだけれども。でも私としてはやはりあなたのお気持をききとうございます。――たまには私も宿題を出してあげなければね。
それから本のこと、電話できいてわかりました。あの手紙が今度見つけた本に入っているのです。その本はいろいろの文章をあつめてあるのですが、その中に確にあれがあります、御安心下さい。
今夕はこれから御飯たべて、富士見町へ行きます。そして、かえったらおふろに入ってグースーねるのがたのしみ。でもこの頃全く徹夜はいたしませんよ。手の膨れもあれ以来平穏です。
詩集をユリが耽読しすぎはしまいかと思っていらしたのではないでしょうか。そう思って、あなたが当分、詩の話はおやめとなったりすると私は悄気《しょげ》ます。そういうことは絶対にありません。この前の手紙かで云ったように。ですからどうぞ、そちらにある詩の本もおねがいいたします。
では明後日ね、本当に落付かぬ気候ですからお大切に。
十一月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十八日 第一〇七信
十四日づけのお手紙けさ。ありがとう。そうね、この前のは四日に頂いたから十日ぶりです。
手の工合ひきつづき平調です。今はちっともはれて居りませんから大丈夫。今月末は、はらさないつもりだがどうかしら。あやしいかな、どうしても二十日前後から眼玉グリグリですからそうなるのですね。でも養生法は、只劬ったりするのは何にもなりません、お説のとおり。大いによく考えてやって居りますから御安心下さい。よく眠ること、食事に注意することその他で仕事はへらしません、読むのを小説の間御許し願いつつ。三共のユーキリン(燐)をのみますがこれはいいらしい。理研レバーも、私のように肝臓をひどく患ったものには必要だそうです。しかしレバーは薬でのまず、私はいきなり肝ゾーをたべることで補います、薬多種は趣味でないから。
臭剥(シュウボツ)という薬(臭化カリウムを土台にしてつくる鎮痙剤)はうちの家庭薬で(母の代から)三年ほど前あの栄さんと山に行った秋の夏、いちどきに仕事しながらつかれると盛にあれをのんだらおでこや何かにそのためのホロホロが出来てね、それを疲労からだと思いちがいしたことがありました。ですから今のところ私にはこのごくありふれた薬はタブーで、ユーキリンというわけなのです。
佐藤さんたちが近いのでちょいちょいした相談に便利です。生活をよく知っているから。
坂井さんは北京です。北京には「囚われた大地」をかいて林房がトルストイのようだとか云って私がカンカンになったりした平田小六だのその他そういう人たちが何人もいて、百鬼夜行的光景を演じているらしい様子です。『百万人の哄笑』の作者はゴーゴリのつもりで見ているらしいが、ユーゴーもあやしくて、本当のところは心配でなくもないというわけです。何しろ北京は古都の飽和的空気がこわいと石介さんが南京へうつったのだそうですから。
スケッチ、あんなのでもスケッチね、シクラメンの鉢があったり青木が冬の赤い実をつけたり、いきなりとなりの羽目が出ているのや、おわかりになったでしょう。いまに物干のところ描いて貰いましょう。そして玄関のところかいたら、うちは相当立体的になるわけですが、私のスケッチの方は代筆たのむ、のくちだからどうもはかどりません。
あか子はね、今おめにかかれません。キリョウのいいところおじちゃんにおめにかかるべき筈なのですが、只今は髪の間にしっしんが出来て瞼まではれぼったくしているので。きっとお湯のとき頭を洗う、その濯《すす》ぎがうまくゆかなかったのでしょうと思います。この調子では春になりましょうね。木枯しの中つれてゆくのはすこし冒険故。
読書のこと。翻訳の仕方ということは実に関係が大きいと思います。初めの方だけ岩波の文庫本で出ていて、あれは先お話していたように何しろ漢詩をかくひとが訳したのですから、実にわかりよく精神活動の美さえつたえられていましたが。でも私はもうこれには謂わばへたりついているのですから。骨格というものは実に大切ね。そして、例えば作家として年も若く単なる生得の直感にたよってだけちゃんと仕事の出来る時代がすぎると益※[#二の字点、1−2−22]このことは考えられます。文学の豊かな肉づけのなかに埋められてしかもその肉を人体としてまとめるもの。
私はこの前の手紙で作品にふれて云っていた思意的な生活感情というもの、それを自身の文学活動の骨ぐみとして押し出して仕事します。来年の仕事の自身へのモットウです。沈潜し規模のあるそういう生活感情こそ明日の文学の土台です。河上徹太郎が横光の芸術境について、「いかにして日本人であって近代人であるかということの探求」が横光の思想の中核であると云っているのを見て、なるほどと思いました。何とこういう人たちの考えかたは可笑しいでしょう。おひなさまのときの染わけかまぼこのようね、近代日本の日本人が、近代日本の日本人であり得ないということはない、それを一遍「それはないことないこと」にしてから、妙に分裂させてしかつめらしく云い出す、何を「ないことないこと」にしているかということについては自分さえも自分に向って沈黙していて。その勿体ぶりかたで謂わば女子供をたぶらかしている。
そちらへ行くのに、ひどい風当りの中を歩かず池袋の方から横通りぬけて行けますから大丈夫です。でも本年の冬はインフルエンザを今からケイカイされているから私は喉は気をつけます。あなたもどうぞ。うすい塩水でうがいなさいますか? 今していらっしゃる?
『新潮』の写真は茶の間の顔というところもあり、こんな顔で仕事はいたしませんからね。でも茶の間の顔がなかなかいいから御目にかけます。こういう顔の系列であなたのドテラの綿入れをやったり、ジャムがすきでいつしかペロリと「いただいてしまう」藤江対手にフーフーやっているのです。藤江というひとはそういう点ユーモラスです。寿江子ったらいかにもそんな顔しているって云うんだもの。明るい性質で、丸くって、お香物を上手につけてマアいい方です。お金ためるのが面白いらしい。1.30 ずつとって、十円ちかく会にとられて一ヵ月それでも三十円ぐらいは手に入る由。
三十円のサラリーでそんならずっと家にいるかというと、それはいやらしいのね(話しはしませんが)いつでもいやならかえれるいくらでも他に働ける、それが自由な心持を与えているらしい風です。このひとも本をよむのがすきです。だから、私が笑って、本をよむのもくらしのうちだと思うのは私のところぐらいだろうから、すこしはましなものをおよみと本をより出してやります。派出の女のひとをたのむ気安さというものもあります。その人の生活の一部だけがこちらにかかっているようで。あっさりしたところがある関係だからでしょうね。わるい場合には薄情さとしてあらわれるのですが、互に。ひさのようにしていると、うちにいる間の人間としての成長を随分責任を帯びて考えますから。何かまとめさせたいと思いもするから。でも女が、どこの台所へ行っても二時間もすれば大体働きがのみこめる、というのは意味深長なことですね。台所の仕事というものがそれ位一般性に立っているのだからもっともっと共同的に出来てしかるべきですね。では二十二日にね。二十一日にはおことづけはいくらでも。では。
十一月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
第一〇八信
きょうはおだやかな日でしたね、暖かくて。私は気づかれが出たようになってボンやりして居ります。一昨日心祝いに買った花を眺めながら。
この数日来私は本当に本当に、という工合だったものだから。どうか益※[#二の字点、1−2−22]お大切に。ああ、それでも手は膨れて居りませんから御安心下さい。本当はこんな手紙かいていないでほかのものを書かなければいけないのだけれども。例の芭蕉を。でもマア芭蕉さんはちょっとそちらにいて頂いて、というわけです。
きょうお母さんからお手紙でした。てっちゃんは島田へ行ってね、あなたの代りと云ってお墓詣りをしてくれましたそうです。そして一泊して次の日は虹ヶ浜へ行ったりして(お母さんと)その夜もゆっくりして、「親孝行をなさるようなお心持で万事につけ私をいたわって下され息子たちに会ったような心持がして」と云っておよこしになりました。てっちゃんの面目躍如として居ります。お母さんのこのお手紙をよんで、私が去年十二月二十三日かに盲腸をやって病院にかつぎこまれたとき、偶然目白へ来たと云ってすぐあとから追って来て、私のベッドのわきに立ったときのてっちゃんの心痛溢れた顔つきを思い出します。あのときのてっちゃんの顔は咲枝も寿江子もよく云います。そういう顔でした。てっちゃんにはそういうところがあるのですね。自分が家庭生活を落付いてやるようになって、そういう面が素直に流露するようになって、友達としてもうれしゅうございます。あのひとの親切な心は勿論、ね。お母さんも思いがけずにおいででさぞお気分が変ったでしょう、ようございました。
この暮は自家用車のガソリンは配給なしになるそうです、国男テクシーになるわけです、父は五十すぎるまで電車にのって往復していたのですものね、国男なんかそれで結構です。石炭と炭については、消費組合の配給でどうにかやってゆけそうですから
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