いところだと思われます。私の詩集は気力を阻害する風の耽溺に導く性質ではないのです。詩趣は高いものなのです。惑溺的なリズムは決してないもので、様々の美しい細部の描写にしろ、それは文字どおり品質のよい芸術がそういう描写において常に失わない精神の諧調と休安とを伴っているものです。詩集にふれて、あなたでさえこうおっしゃると、何となし笑えます。無邪気な意味でよ。
 こまごまと心配という形では考えて居りません。でもこの間あなたが「時々又改めてそう云ってやらないと」と云っていらしたようなところもあるかもしれないから、おとなしくありがたいと思って「ええ、そうね」と答えましょう。
 二頁ということについては、きょうの私のうれしい顔が語っているとおりです。この前の表の90[#「90」は縦中横]頁に、どんなにえらい思いがこもっているか。でも二頁は全く最小限ですね。これはもう底をついている量ですから、これ以上いろいろの事情に応じてふやしましょう。
 本当に書いたものは読んで頂きたいと思います。あの十月評(もう三年前ね)にしろ、ああいう一部分だけ出ていたわけですしね。
 この頃の月評は大体お話のほかです。式場隆三郎というような先生がかつぎ出されるのですから。真船にしろ、ジャーナリスティックな顔ぶれの意味ですから。「十分云えない」ということを逆に「云うことをもたない」ことの合理化に使用して二年、三年と経ている今日、文学を生活でよむというごく自然なセンスさえ失われているように思われます。少くとも作家が日常の生活へ向う心持で、読者一般より先進的義務を負うているということを自他ともに感じているという例はごくまれなようになって来ている。この頃は、文学がわかるということは宇野浩二をほめることのようです。それにしろ、文学をやる人というのは変ね。志賀を神様にして、横光を神様にして、川端を神様にして、今や宇野です。そこにどういう系列があるか、心づかずにね。私はいつか一つ「歴代の神様」をかいて、その文学における推移を示してみようかしら、一寸茶気もあるが面白いわね。気どって「歴代の神々」という題で。
 あなたが、「ユリもとにかくよくくらしている」とかいて、わざわざ「少くともそう努めている」とちゃんと追加していらっしゃるところは、全く、全くね。きっと評論は、そういう風なはっきりした現実のつかみがいるのね(この顔つき、お見えになるといいのに。ああなんと、このひとは釘を忘れない、という顔を)。
『哲学年表』届きましたろうか。
 きょう『西郷』や何か一まとめの本つきました。
 冷水マサツはポシャってしまいました。どうも本年の冬はひどい風邪がハヤるとお医者は予言をしているし、もしかかったら「ホラホラ、だから」と云われそうで、今からこまったような工合です。が、マアいいわ。石炭が不足で大変こまる冬が来るというので、七十二歳のおじいさんが発企で外套ナシのデモンストレーションがはじまったのですって。特にこの冬は外套なしで、というの。日本人の気質ってこういうところがあるのね。自然に対するこういう気質と、所謂風流とを考え合わせてみると、日本の文化の何かの問題があるのです。実にそう思った。真に思意的なものは、自然への融合というところで消してしまって、ごく低い肉体の力がものを云うような面でだけ非自然に自然に対すのね。そして、このことは風流の非自然性を裏から語っているのです。
 火野葦平がかえって来ました。『朝日』にかいている。一般がこまっていないということに慶賀の詞をのべています。九州辺はそう見えるのでしょうかね。その記事のとなりに米のことが熱心に出ているというような新聞です。
 林町では離れをひとにかしました。これまで川口辺に住んでいた画家です。どっさり子供がいる。あっちはガスが出ないのですが、この炭のないときやれるのかしらと思います。家賃20[#「20」は縦中横]也(まだ会ったことなし)。
 林町の横のダンゴ坂から東京駅へ通っていたバス全廃。あの界隈は昔私が女学校に通っていた時分のようになりました。歩いてゆく人々は大したところとなった。
 寿江子、英語ずっとやって居ります。
 あぼちんは、あか子にやきもちやいていく分退歩してしまったそうです。年がちがいすぎるとこうでいけませんね。
 この間の運動会では活躍したらしいのに、家であそべる子供が出来たら、どうも幼稚園へゆかぬらしい、御きげんとって貰うのがすきで。ケチな顔しているというので、考えている次第です。生活に一貫した何の気分もないところでは、子供がなかなかしゃんとゆきませんね。家庭なんて口で与える教育ではないもの、気分ですもの、時々刻々の親の生きている気分だもの。
 達ちゃんのところから逆輸入は面白いこと。でも、それもいいでしょう、お母さんのお心につたわりかたが又別だから。
 隆ちゃんの話、ようございましたね。すこしは落付かせてもやりたいと思って居りましたから。
 私の体のこと、生れつきどうこうより、これなり一番よく使ってゆくという気分で、拘泥して居りませんから、本当にどうかそのおつもりで。今風邪流行です、お大切に。呉々も。うがいしていらっしゃるかしら。

 十一月十一日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(自宅庭の絵はがき)〕

『日本経済図表』お送りいたします。それから『シベリア経済地理』と。これは大森の奥さんからです。このエハガキは今年の早春雪のある日の庭です。右手に出ているのが四畳半。茶の間の長火鉢のよこから描いたもの。未完成のガラス戸の横に火鉢、私のおきまりの席。「黒蘭の女」案外つまらぬ。ベティ・デヴィスという名女優論は後ほど。

 十一月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月十一日  第一〇五信
 今建具屋が来て、やっと戸扉がつくことになりました。普通ガラガラと引いてあける扉ね、あれの上のところだけすかしにしたのです。すっかり上まで板だと、入ってからが二足三足しかないのに、何だか息苦しいようですから。これは外からピチンとしまるの。かえったらカギであけて入れるのです。もういつかのように物置小舎が留守の間にカラというようなことはなくなります。こうして暮の用心、ひとりになったときの用心しておくわけです。25[#「25」は縦中横]円也。家をもっている以上ここはどけませんから。足の都合がよくてね。門のあたりのスケッチ御覧にいれたかしら。ないでしょう? いつか寿江子、踏台にエノグ皿のせてもち出していたが距離がなくて(門前の通り一間ぐらい故)うまくかけないと云ってそれぎりになったようでした。
『新女苑』という女の雑誌に諸名流と門というのが出ています。それぞれの御仁がそれぞれの門に立って文句をかいているの。吉屋、宮城(琴)佐藤(春)林(芙)吉田(絃)里見というような人たち。里見さんだけ格子の前に立っている。婦人雑誌の趣味というものの一端がよく出て居るでしょう? 勅使河原という生花の師匠は生若い大した男ですね。活花のセンスというような表現で、若い女をひきつけているのがよくわかって笑ってしまいました。縫紋の羽織袴、ステッキついてね。この頃三十になるやならずの若い男が日本服袴の(羽織縫紋にきわまったり)流行があって、この間小山書店の若い男余りキチンと袴はいて、そのヒダのような形して玄関に立っているので、どこの何者かと、思わずキッとなって、あとで大笑いしてしまいました。変な奴と思ったの、実は。すこし正気で、ないんじゃないかと思ったのでした。あっ、こんなこと内緒内緒。彼はおそらく大した芸心によってその紺絣をきて袴はいているのでしょうからね。そういう形式が感覚へ入って来ている。文芸批評の本もののないことが、この流行一つだってうなずけます。あたり前の心持でいるんじゃないのだから。
   小説をこねながら。
「貧しき人々の群」、それから「伸子」、「一本の花」から「赤い貨車」、それから「小祝の一家」、「乳房」、この間にまだ書かれていなくて、しかも生活的には意味深いいくつかのテーマがあります。「赤い貨車」から「小祝の一家」までの間で。今書こうとしているものなどは、そのブランクを埋めるものですね。前の手紙で一寸かいたようなものだから。ごく短い「阪」というのを知っていらしたかしら。これもやはり質においてこの間に入るべきものです。でもこれは全くほんの小さい部分を小さくかかれているきりで、(小説ではなかったから)生活の成長とともにあらわれる作品の体系というものを考えます。全集というものの意味についても考えます。ね、いろんな題材をかきこなしているというそういう全集の展望もある。作者の一つの主観でまとめられた世界がうかがわれるというそういう全集もある(夏目、志賀等)。社会のいろんな問題が一杯あるという全集もある(トルストイ)。それから、歴史と個人との活々とした関係が、作品の成長生活の成長の足どりを一つから一つへと語っている、そういう全集が日本にいくつあるでしょうか、人生の見かたの所謂完成の姿はあり、それなりなり成った道はあります、宇野にしたってそうです。けれども作品の体系そのものが生活というものの方向と発展において一つの芸術を語っているようなそういう全集。一つ一つと作品を生んでゆく、その生活そのものが、作品以前の芸術であるという感じ、そのものを完成させようという希望(仕事とともに)、そういう生きる思意が漲った全集。そういうものをのこせたら作家はもって瞑すべしですね。
 私はこれから、この点を考えて作品を書いてゆきます。
 でも「刻々」の時期に「刻々」があり、「その年」のあるべきときに「その年」のあるということは、いくらかのよろこびです、わが心への、ね。
 それから例のかきかけの長いのをちゃんとかけて。そしたら、うれしいわね。
「赤い貨車」というようなものは、かかれていることより、ああいう焦点であれをかいた作者の成長の節がおもしろいので、そこから、どっさり啓蒙的旅行記をかくようになったその間のジャンクションが、内面から作品化されていないということは、やはり注意をひくところですね。当時のいろいろのこととの関係で。自身として現実の個人の事情にまけていたこともわかります。
 九年の一月に「鏡餅」という短いのがあるのです。三月ごろの『新潮』にのったので。これは私としては作の出来如何にかかわらず忘られないものですが。「乳房」のなかの女主人公ひろ子のその頃の心持です。ひろ子というのは重吉の妻です。
 十五日午後
 さあ、やっと終り「おもかげ」二十五枚。「一本の花」から「赤い貨車」、それから一つのジャンクションとなるものとしての作品です。こうしてポツポツぬかされた生活の鋪道を手入れしてゆくわけでしょうか。
 長襦袢と羽織の小包つくって出しに出かける迄にこれをまとめようとしたが駄目。速達の時間はたっぷりなのですが十三銭ではこまるから、四時までに郵便局にかけつけるというわけです。
 きょうはきのう一昨日にくらべて何と暖いでしょうね。これではやはり風邪のもと、ね。今市場からタラや野菜を入れた風呂敷づつみをぶら下げ、片方にはそこの古本やで買った本もって、かえってきたら汗ばみました。
 さっき『新女苑』のひとが来て、芭蕉のことについて、つまりああいう芸術が日本人の心の一つの峰になっている、そのことについていろいろ書いてほしいと云います。面白いからひきうけた。私は、「伸子」時代相当傾倒したのだから。感覚の上でのことですが、現実をつかんでゆく。今どう考え感じるであろうと面白いからひきうけました。その内に入らず生活の今日の感覚で見て行って、そこに私のかく意味があるのですと思う。いろいろ云えそうで面白がっている次第です。芭蕉は女の生活などをどう見て感じていたのでしょうね。そういうことも、やはり心に浮いて来ます。
『文芸』に稲ちゃんが堀辰雄におくる手紙(相互的)かいていて(ロバ時代の旧友)。堀は稲ちゃんがアテネフランセにかよう月謝を出し、ときには自分で教えたのですって、西沢
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