見ていて下すってありがとう。でもやっぱり自分としてジットリするようなところがあり、それも、自分とすれば自然なのでしょうと思います。
 冷水マサツは。多くを語らず、です。
 きょうは手紙、ゆっくりどっさりかきたいが強いてやめます、わけは、又右手の拇指《おやゆび》の下がすっかりふくれて右手こまるのです。二度目です。先月末、本月末、とかく月末にはれる。まさか晦日《みそか》がこわいのじゃないだろうのに、と大笑いですが、やはりすこしペンもたず休みますから。すこし研究を要します。心臓の関係だとこまるから。一時的のものを反覆してはこまりますから。可笑しいでしょう、手全体ではないの。拇指の根のまわりのふくれたところが益※[#二の字点、1−2−22]ふくれてしまうのです。きょう、あとで又佐藤先生(!)のところへ相談にゆきます。では又ゆっくり。明日お目にかかりましょう、ひどいひとね、きっと。

 十一月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月二日  第一〇二信
 かえってポストを見たら、やっぱり来て居りました。ありがとう。
 私の手のことね、くすりがきけば癒るのです。血管の末梢神経衰弱というので、心臓の関係ではないのだそうです。
 佐藤さんはまだ学生ですが、それだけ熱心で、私の日常生活のあらましも知っているから、家庭医としてはなかなかようございます。今薬をもらって居ります。
 それに私は気をつけて、マメにちょいちょい休息するようにして居りますから。書くものも本月は『文芸』のつづき(きょうからはじまり)、『新潮』の小説、『文芸』の小説だけで、十二月には一月、二月のために『文芸』のつづきが予定にある位のものです。
『日本評論』の小説は三月にして貰いました。三月でも一月末か二月とっつきの由。『文芸』のはつづけてのせられるうちのせて完結したいと思いますから。
 きょう御注文の本、図表は世界のがあって、日本の見当らず。すぐ注文しておきました。本屋といえば、目白駅へ出る黒いサクの一本道、覚えていらっしゃるでしょう、あの右側に金物や床やがあり角に果物やがあります、あの一軒手前に夏目書房という古本屋さんが今出来かかりです。いい人だったらいいと思います。いろんな点でどんなにか便利でしょう。今いい古本やなくて、神田の稲田にたのむのです、主に。
『図書』の良書紹介、やがて私もかきますから、そのこと思って居たところでした。誰も云いませんね、妙ね。
 鑑子さんの家のこと。同感して下すってうれしいと思います。人生、幸福、そういうものに対する現実的な一つの見識であるわけですからね。女としては特に、ね。
 日常の細部、それから芸術上のこのみにふれればいろいろあります。けれども全体の誠意というところから見て、やはり云えると思って。光ちゃんは大きい娘(小学校五年ぐらい)です。体が大して丈夫でないが、大変美しくて、賢い子です。
 いい家庭といえば、先ず世間的な名士というのは何と凡俗でしょう。
 うっかりして風邪ひかぬよう、というのには笑えました。そう? そんな顔におもえになりましたか? 光栄です。私は風邪ひかぬよう、と云われたりすると、風邪のクスリと云ったいろいろのこと思います。でも本当にきょうはすこし風邪気になりました。きのうは袷であつすぎ、きょうはこんなにさむいのですものね。どうかあなたもお大事に。あなたはうっかりして風邪ひかぬようと云われる必要は、おありにならないのかしら。
 一寸ハクショ! ぐらいさせてあげたいと思います。ハクショとしたら、右の肩の上を左の手で、左の肩の上を右の手で二つ三つパタパタとやるというおまじないがあって、うちの母なんかよくやって居りました。きょうは表をかく日ですが、ちょっと二三日御勘弁ね。この手紙かいて、すこし横になって、それからきょう、あすとで仕事してしまって、それからゆっくり又かきます。昨夜なんか九時十分過ぐらいです、床に入ったの。すぐ眠って。今晩はすこしおそくなるでしょう、でも十一時迄ね。ではお大事に。黄菊匂って居りますか? ユリの机の上のは薄桃色と藤色っぽいの、やはり小菊です。明るい午後に匂って居ます。

 十一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月八日  第一〇三信
 きょうは水曜日でしょう、きのうからちょいちょいポストをのぞくのですがまだ御到着にならず。今頃どの道通ってる、あの道とおり、この道とおり、と子供のうたのようなものね。それ頂いてからと思っていたのだけれどもまち切れずかきます。
 私の手のはれのこと、くりかえし申しますが、本当にいろいろ注意して薬も燐ザイと併用して内分泌の薬のんでいるしその他よくきく鎮静薬も心がけてたっぷり貰って居り、そのために心つけていてくれるひともあり、どうか御気になさらないで下さい。却ってこんな形で出るバローメータアがあればようございます。私は体の右がよくないのね。眼の度も右がひどいし。
 けれどもこの間『新潮』でとった写真届きましたが、なかなかちっとやそっとで参らなそうな様子です。カゲは到って濃いから御安心下さい。それは気持よい写真だからやきましして貰って一枚おめにかけましょう。私のはいつも皆と一緒で、そういうときの顔は又そういうときの表情ですから。誰かを愉快にしてやりたいと骨を折っているのでもないし。その写真をとったときは、そちらに行って、かえって横になって、いろいろの感じに浸っているうちすこし眠って、おきて間もなくのところでした。御覧になればその感じ、きっと分ると思います。わたしのお歳暮にいたしましょうか。ユリがこんな写真をよこすのならと、良人たるあなたは大いに気をよくなさるところがあっていいと思います。
 さて、てっちゃん十五日に立ちますそうです。私は十三日の月曜日に(大体)行って、島田へのおみやげをことづけます。又中村のマンジュウです。いいでしょう? お気に入りですから。どっさりあげます。野原へも分けるのだから。少しかないと舌がかゆいでしょう。てっちゃんは、やっぱり私の手のはれたりするのを心配してくれて、十三日に天気がよければ澄子さんと赤ちゃんづれで稲田登戸へゆこうという計画です。私としては本年はじめてのピクニックね。十三日までに『新潮』の小説をかいてしまわなければ。まだ何をかくか分らないのです。英男という弟の死んだ知らせをモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でうけとって、その悲しさは独自でした、その気持がかきたいのです。でも、どんな風にかけるかと考え中。
 きょうは、さっき帝大新聞に「文学のリアリティーとしての思意的な生活感情」というものをかきました。これは武田さんの月評からひき出された感想で、「杉垣」が、翻訳小説なら随分佳作として称讚しただろうが、日本の小説性格形成の過程と西洋的なのとは全くちがう、私のはつくりものと云うのですが、作品との関係では云うこともないが、そこに彼の散文精神の風俗小説的限度があるのです。人間感情のリアリティーとして思意的なものがあることが分っていない。行動の感覚と混同した程度で意力的な感情は日本の文学に昨今どっさり入って来ていますが、その行動を吟味し、人生の歴史のなかへ、集積としてもたらす力としての思意的な生活感情は、武田氏によれば知的だとか理性的だとかいうことになる。そんなものでない感情のリズムとして情感としてのそういう思意性の日本の文学にかけているところは自然主義からのことで、そこには歴史のなかでの一般生活のありようが反映しているわけです。
 今日では日本らしさそのものの内容が変って来ているという点を結論としてかいたのです。だって何と妙でしょう日本のこと日本の人間、日本語でかかれた小説がホンヤク小説なら佳作だというような仮定! ああいう人たちの感情は何かプロフェショナルにかたまっていて頭をなでてやる高さの作品にはいいが、肩が並び或はすこし高いとどうもうけつけないのね。作品の出来、不出来以外に或るそういう微妙なものがあります。女、というところがぬけないのね。
 マア、こんなことはいい。私は私として書くだけですから。
 そちらの黄菊はいかがですか、まだよく咲いて居りますか。そしてすこし匂うこと? 三四日前下の四畳半の本をすこし片づけていたらスケッチ帖が出て、寿江子が茶の間の庭をかきかけたのが出ました。むずかしくてよくかけないと放ってあって未完成ですがそれでもやはり面白いからお送りいたします。狭い庭の感じはわかりますから。
 十五日すぎにあか子を私がだっこして現れますからどうぞそのおつもりで。大変よく似合いますからよく御覧下さい。十二月に入ると寒いし、春まで待つとすこし大きくなりすぎて、只今の天下御免式面白さが減るからどうしても一度は今のところを見てもらいたいのですって。あなたはきっと慨嘆なさいましょう、よくも似たり、と。
 いねちゃんはまだ湯本。この間の土曜日に健造はリュックを背負い妹をつれて二人きりで母訪問に出かけました。十に八つよ。どんなにうれしかったでしょう、双方とも。エハガキくれました。こちらからもお礼に「満州国の露天商人」のエハガキ送りました。うちの藤江女史、きょうはS子さんの家へ一寸行って洗濯やお葉漬けして来たところ、風邪ひきで白髪のお婆さんが半分腰をかがめながらチョロチョロしてお気の毒ですから。よそのうちで働いて気が変ったような顔つきしているから習慣というものは可笑しいことね。
 岡さんの奥さんに会って女中さんもしかしたらよこせそうという話ききました。耳よりです。紀の国やで働いていた人が帝大の美学とかの人と結婚してそこの家は大したお寺で、娘を文化学院にやっていた、そんな縁故なのね。そこの女中さんで一人あまったのがあるとかというのです。もし出来たら助りますが。
 いつぞやからの本大体集りました。製本も出来て来て。まだ図表がないけれども。
 この頃手紙ずっとこの一月二十三日に頂いたオノトで書いているのです。わりに調子があるでしょう、弾力が。ペン先に弾力があるので気に入ってよく大切につかって居ります。
 おや、デンポー。もう四時半すぎている。明日早く参ります。日の出を三時十分に出て居りますね。ここは四時十四分。
  お約束の表。十月二十日―十月三十一日迄
二十日  │ 七・〇〇 │ 一〇・〇〇 │
二十一日 │ 六・三〇 │ 一〇・一〇 │ 読書
二十二日※[#丸付き日、432−3]│ 七・一五 │ 一〇・四〇 │  九十頁。
二十三日 │ 六・四〇 │ 一一・〇〇 │
二十四日 │ 六・三五 │  九・四五 │
二十五日 │ 六・四〇 │  九・五〇 │
二十六日 │ 六・五〇 │ 一〇・〇〇 │
二十七日 │ 七・〇〇 │ 一一・〇〇 │
二十八日 │ 六・一〇 │ 一〇・三〇 │
二十九日 │ 七・〇〇 │  八・〇〇 │(夜なか防空演習でおきるから)
三十日  │ 七・三〇 │  九・四〇 │
三十一日 │ 七・〇〇 │  九・三〇 │
     │起きて床の中│       │
 早くねられる日はなるたけ早くねるのが専一と思って先月後半と本月とは随分早い方です。七時間ではおきたときいい心持でないから。当分うんと眠ります。あまり物価の変動が激しいから小遣帖つけて見ようと思ってやって居ますが、なかなかおちてしまう。それでもやはり面白いと思います。ああいい小説が書きたいこと、いいいい小説が。では明朝、まだ来ないのかしら。又ポスト見よう。ではね。

 十一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月九日  第一〇四信
 遠路をはるばると御苦労様。けさ御到着。返事がすっかりあとからとなりますが、いろいろありがとうね。
 体については申しあげたとおり。気力ある人間のかかるべきものでないと私だって思っているから、自分ではそんなこと思っても居りませんし、今だって疲れたら眠ることをモットウにして、それですまして居ります。
 詩集のこと、これは私としたら、どうしても又改めて念をおさなければならな
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