あるという感が深まります。子役なんかを泣かせるためにつかったりしてね。それでも私はやっぱり面白く思ったのは、少年の町のその牧師が、アメリカ精神としての自治の心をつよく子供たちに養成しているところ(町のシステム全般に)、男の子同士の正義感からの闘志を或点みとめて、腕力沙汰を、フェア・プレイとしてボキシングで放散させるところ、その牧師先生自身なかなか体力敏捷であって、素早《すば》しこい悪たれ小僧に決してまけない男[#「男」に傍点]としてあらわされているところ、アメリカの感情がよく出ていると思いました。町長選挙のとき、一人の一番てこずらせが全く大人のひどい宣伝法をまねて、コロニーの牧牛や馬に自分の名をかいて「選挙せよ」とやったり、急ごしらえの楽隊で選挙場へくりこんだり、そういう大人の模倣としての子供のわるさをもっと落ついて描いて行ったらよかったでしょうに。「人生案内」を私は出たり入ったりでつい見なくてしまって残念です。比較になりませんでしょう、そう皆云っている。
 きょうも雨。きょうは又日比谷休みですから、一日机に向う仕事します。『婦人公論』で十二月号の口絵に、いい家庭をスイセンするのですって。私にもどこか一つ選んでくれとのことで、誰がどんな人の家庭選んだかきいたら、よくわからないが小林一三の家庭をえらんだ人がある由。吉屋信子は板垣直子の家庭の由。フームと感服してしまいました。大したものだと思って。板垣は信子の小説の悪口を十年一日云いつづけて来ているひとですから。なかなか通俗作家の心理洞察のタイプがあらわれていて面白いでしょう? 娘は女学校以上の勉強させない、という父の意見も、信子女史にはいい父の意見なのでしょうか。
 ともかく、私はどこの家庭を選ぼうかと考え、よくよく考えたら、家庭というと、何となし父母子供犬まで揃って、暖くきて苦労がなくて立身していて、というような条件に立ってえらばれているが、果して、家庭はそういう形でだけ云えるでしょうかと思ったのです。人間がよく成長してゆくために心のくばられているところとしての家庭と考えれば、父を失って母と子とだけの家庭に、その善意を認めないという法はないでしょう。冬の夜長に、そういう母が、子供でもねかしたあと、その雑誌をくりひろげて見たとき、どれもこれも夫婦そろって、自足していて、それがいい家庭と云われていたら、ではさけがたいことで父を失った自分たちの家庭は、そのためだけにいい家庭と云われないのか、世間はそういうものか、とどの位痛切に感じるでしょう。その苦しい心持を思いやったら、何だか私はそういう女の心、母と子の生きる心に満腔の同情を感じました。そこで、私はいい家庭の概念に異をたてるのではなく、その感じを更にひろげたものとして母と子の家庭をもそれを生きている心に目安をおいて、十分いい家庭として通すことにきめました。そして、小野宮吉さんの家庭はその生活のありようも知っているから、それをえらびました。
 その写真に短い文章をつけます。きょうはそれをかいたり、徳永直さんの「はたらく人々」という女を主人公とした小説の書評をかいたり、『新潮』でとった自分の写真につける文章をかいたりこまこましたものをかたづけます。そして、又図書館仕事がはじまりますから、私はもしかしたら明朝一寸そちらへゆきます。いろいろと返事を申しあげなければならないことがありますから。というわけ。それに防空演習で月曜日ごろは出にくいでしょうから。
 うちは、ふぢ江という派出婦のひと、久しぶりで気軽く立ち居するひとと暮して、気分すがすがしいようです。おミヤさんというひとは全く独特なひとでしたから。わるい人ではないが。本当に独特で、私はいつも疳《かん》の虫を奥歯でかみしめていたような気分でしたから、マアすこしの間|吻《ほ》っとします。それでも、こういう派出のひとは短期であっちこっち歩いて、そのうちの生活に心を入れず、やることだけやってケロリとしている風だから、きっとすこし永くいると自分で飽きるような傾向があるでしょうね。そういう風に見えます。それでも前便でかいた通り、私を使うような勝った気のひとではないからようございます。私のつもりでは正月の中旬ごろまでいて貰うつもりですが。もちろんそれ前に誰か見つかれば申し分はありませんですが。十月二十一日から十一月二十一日で一ヵ月、一月中旬までは二ヵ月とすこしだが、それまで飽きずにいるかどうか。飽きたら又飽きたときのことです。
 稲ちゃんからハガキが来て、小説、うまく進まず、自分から書く意義を見失ってはなだめたり、すかしたりしてかいていると云って来ました。長いもの、短い時間でまとめようという気が先に立つと、やはりせっついてそんな工合になるのでしょう。それでもいずれ何とかまとめましょう。その点では大した技術家だから。
『図書』は九月でお金が切れていた由、御免なさい。そちらに通知が行ったわけでしたが。『英研』は来年四月迄ですからどうしたのかしら。しらべ中です。ユリは可笑しいでしょう? 余り詩集が目先にちらついてちらついて、かんしゃくおこして詩集を懐へねじこんでしまったという工合です。ねじこむというのが、やはり懐の中だから、又笑ってしまう、ねえ。

 十月二十八日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月二十七日  第百信
 雨戸をしめた二階で机に向っていると、飛行機の音、交通整理の呼子の音がしきりにして居ます。きっと同じ音がそちらにもしているのでしょうね。門の前に立って月空を眺めながら解除まで待っていて、あがって来たところです。
 きょうは家の角でも焼夷弾練習があったりして、一日のうち何遍となく外へ出ます。その間に徳永直さんの「はたらく人々」の書評をかきました。しんそこはイージーで、岩の上を波が洗うようにこして書いていて、いい心持がしませんね。ぶつかるところへぶつかっていないところがある、どうも。その上に男の作家が女の出産の苦痛などこまかに描いているのも何だか。男としての心持からなら良人の心持の面からかくならよく分るし、一生に一度、ものをかく人ならかきたいだろうと思うところがありますけれども。この頃はこういう瑣末とっちゃん趣味がはやりでね。重治さんさえひっかかっている。市民の感情というものの解釈の問題です。
 さて、英研ね、九月十日に十月号は発送して居りますって。しかし未着ならばすぐ改めて発送すると云って居ります。そのうちにつくでしょう。やはり予約は四月迄あります。
 きょうは行きそうにかきましたけれど、考えて見ればおきまりの人があるのですから、おやめにいたしました。きょうの午後信濃町の先生かえられました。すぐ都合問い合わせておきました。電話かけたらね、おばあさんが、迎えに出る時間でも問い合わせたかと勘ちがいされて、「ありがとうございます」としきりに云われたには恐縮しました。近日中にわかりましょう。
 きょうは珍しいでしょう。戸外へかけ出したり、書評かいたり、その間には、あなたの綿入れをこしらえる手つだいをしたりいたしました。
 派出のひとの感情は面白いものです、そこの土地にいついていない心持だから、防空演習なんか自分に関わりなしという風なの。これは大変面白いと思いました。自分がいつか世帯もったら、やはりいろいろ責任を負ってやらなければならない、そんな風に現在は考えないのです。だから余分の仕事みたいに思うらしい。でも、派出としてはわるい方ではありませんからどうか御安心下さい。
 ホーサンがなくなりそうというので一ポンド買いました。クレオソート丸は隆ちゃん、達ちゃんにいつも送ってやるのですが、これもあやしいものです。輸入薬の由。
『新潮』の写真につける短文「机の上のもの」というのかきました。いろんな机の上にあるもののこと書いたのです。例えば、そこいらの文房具屋にざらにあるようなガラスのペン皿のこと。嘗て柳行李のなかから、紺絣の着物やめざまし時計などと一緒くたに出て来たそれは、こわしたりしたくないと思ってつかっている、というようなこと。写真の下にかく文章なんてむずかしいものです、なかなか。サラリとかくのには。妙ね、女のひとは多くその写真に即していろいろかく傾向です。或種のひとは、そういうところで抜《ぬか》らず自家広告をいたしますし。
 この頃夜よくお眠りになりますか?
 私は大変ねむいのです。なるたけ早くねて、きのうも十時前ぐらいでしたろう。眠るのがたのしみというようなところがあります。今夜もどうも早くねむいという傾です、どういうわけなのかしら。マア結構ですが。なるたけどっさり眠って、そろそろ又眼の色をかえなければ。
『セルパン』に「女流作家をめぐる論争」というのがあって、何かと見たらそれはイギリスの批評家のアンソニー・ウェストが『ニュー・ステイツマン』で四人の女流作家の書評をやって、婦人作家 woman novelist のまわりに lady novelist 貴婦人作家という名称をつくって、女の作家の下らなさを評しているのに対して、ミチェルとロニコルという作家が抗議しているが、それが又他愛なく、経済や政治の知識があって、その方面の著書もある婦人作家ネイオミ・ミチスンが、一般にヨーロッパ社会の一部に生じているそういうつまらない性的対立を助長する風潮にふれ、現在の不況時代に女性があらゆる部門から駆逐しようとされているということを抗議しているのでした。
 ミチスンの抗議にしろ、まだやはり婦人作家というものをごく一般性で云っている。日本の婦人作家がもしこの論争に加われば、彼女は、婦人作家の質にふれたでしょう。婦人作家の中にも lady novelist だっているのです、どこの国にも。例外は他にしては。
 そして、どうも日本の作家が十分参加する特権がありそうです、というのはね、この批評家紫式部をあげて彼女の目が社会性をもっているとほめているのですから。でもクスクス笑える。どこの批評家も、余りひとの知らない人物をひっぱって来るのは癖だと思って。あちらで式部、こちらでジイドというのかと思うと大笑いね。

 十月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月二十九日  第一〇一信
 二十七日づけのお手紙をどうもありがとう。みみかきなんかこれまでもっていらっしゃらなかったでしょうか。もっていらしたのだが、これは又これとして御愛顧を蒙るわけでしょうか。どうかよろしくね。
 バラはどんな色でしょう。バラ、フリージア、菊、マア色どりゆたかでいらっしゃるわけですね。
 康ちゃん、本当にそうです、善良そうです。奥さんの澄子さんというひとが、なかなかじみでさっぱりしていて、小市民的な心持の範囲でながらくどくない気質ですから、多分にそれが加っている様です。ニコニコしていたの? いいこと! 行きにうちへ一寸よっておむつかえたりして遊んだとき、柿をしゃぶって食餉のまわりぐるぐるつかまって歩いてやっぱり笑って居りました。太郎はあなたにおめにかかって笑わなかったでしょう。あれはああいうのよ。アババをやって見せたというのは実に実に愉快。てっちゃんどんなにうれしかったでしょう。お礼の手紙を出しましょう。
 全集五巻というのは、何だか話がゆきちがいましたが、ウリヤーノウの、おっしゃっていらしたもののことですが。この間からずっとさがしていた分。改造文庫にといっていらした分、それです。
『朝日』に真船豊が作品月評をかいています。このひとは自分が戯曲だからか、小説の文章という方からだけ一貫してものを云っていて、鏡花だの万太郎だのと云い、よろしくないのですが(北原武夫の芸[#「芸」に傍点]論に拍車をかけるから、大局的に。北原武夫というのは宇野千代の良人)「杉垣」のこと、胸を打つ文章として語って居ます。このひとの考えかたによると、「杉垣」の胸をうつのは、沈潜した、思索的な文章でかいてあるから云々というようなところで、何だかピントが狂っていますが。
 去年じゅうの手紙のこと、大変思いやりのこもっている温い心持で
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