ネいでね、只めでたしと見るだけで、自分の寝おきの顔を見ようとして来ている、あの有名な行成のことをかきつらねている。自分のそういう場合の心のありよう、二人のひとたちの愛のありよう、そういうものを沁々と思って見ないのです。そして才のたけた中宮支持の女房として相当きままして、宿へ下っているとき中宮が白い紙など下さると、うれしがって又出仕するという姿。もし古典からの情景で心にのこるところと云って小説にもじってでも書けば、私ならここをかきますね。そんなことの感じかたも亦ちがうの。面白いでしょう? そして、くすくすひとり笑うのですが、私の作家としての最大の弱みは、夫婦をむつましさの美しさで描きたいところではないかしら、と(勿論これは笑い話よ、御安心下さい)。
 それからもう一つ可笑しい話、
 私に二足中歯の下駄があります。中歯というのは足駄より低くてね、そちらへ行くとき雨の日はくのです。歯をさし代えてははくのですが、それをきのう見たらね、二足ともまるで前歯がひどく減っていて、うしろとは比較にならないのです。
 マヤコフスキーが死んだとき葬式へ行ったら、靴の大きい裏がこっち向に並んで見えて、その爪先についていた三角のへり止めの金が、まるで光って、へってピカピカしていました。爪先へついているの、へり止めが。そのことが印象にのこりました。
 自分の下駄をしみじみながめてね、これは早死にしそうだと思ってね。私はもとはこんなに前歯をへらしたことなんかないのですもの。修業がいると思いました。でもね、これは行く方角の関係もあって、やっぱりどうしたって前歯はへるのかもしれないとも考えます。御意見はいかがですか。非常に有機的であると思うのですが。勿論うしろがへるなんていうのよりは遙に痛快ですがね。ふき出してしまう、ユリがうしろへらして歩くなんて姿。そうでしょう?
 それからもう一つ。
 この間あるところで、フランス文学専門で交換学生として行く女のひとに会いました。三十前ぐらいね。その人、話の末に自分の友達に私を好きな人がいるのですって。「マア、そうですか、ありがたいことね」「ええとても崇拝しているんですのよ、そして同じ名だもんだから、あなたのが出ると、ほかの友達に『私がちょいといたずらしてみたのよ』って云っていますの、ホホホホ」私思わず「マア図々しいのね」と申しました。しかしきっと感じなかったでしょう。こういうセンスです、おどろくでしょう、そして文学です。こういうことは、今の流行作家というものの映画俳優的ありようによるのです。通俗作家=流行作家――よんでやる、これね。生きかたというものをどの位うっちゃっているのか、これが実によく語っている。私一ヶのことについて云々しているのではないのです、もっと文学のありよう、或は作家というものの生活が、おのずから一般に与えている感銘の意味でね。
 知識人は大宅壮一の巧《たくみ》な表現によれば、急テンポに半インテリに化されつつある、それは本当です、作家が、そこにおらくについている。女が、ちょいといたずらをしてと云うのは、おひがんにおすしやぼたもちをつくったときの言葉です。ひどいものね、文化はこのように低下しつつあるのです。こんな母が育てる児というのはどんなでしょう。いろいろな歴史の時代を経て、人々が益※[#二の字点、1−2−22]窮乏のなかから慧智を得て来うるところと、物質の乏しさ=精神の低さというところとではちがいのひどさがこわいようなものですね。
 さて、これできょうのお話は終りです。
 けさは喉がカラカラになりましたが大丈夫でしょうか? お大切に。ユリのかわきどうかしてとまらないのは閉口です、では。

 十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月二十三日  第九十八信
 十九日づけのお手紙をありがとう。やや久しぶりね。十日ぶりでしたから。
 佐藤さんは、試験つづきで、お医者は大変ですね。あのひとも盲腸をとってから大分ましだそうです。盲腸と云えば、私はあの先生が満州からかえって来て、日どりがきまる迄何となし落付かない心持で居ります。そっちがすまないと何だかおちおち出来ない心持。おわかりになるでしょう?
 鉢植は小菊な筈です。どんな色の菊でしょうか。いもの葉のようなのはペラゲアというのでしょうと思います。葉脈の色がちがうのでしょう? そんなに新しい葉を萌え立たせたというのは本当に感心だこと。恐嘆とかいてあって、思わず笑いました。よっぽど驚嘆の度のきついのだと。ユリの場合は、たしかに適切ですが。大規模で微妙な演出という表現は、実に含蓄があり芸術のセンスに充ちた表現で感服いたします。わが小説もしかくありたいと切望いたしますね。
 朝晩のこと、マアこの位がいいところでしょう、九時台はなかなかね。三笠の本到着しましたでしょう? 全集第五巻の方はてっちゃんからまわせそうです、やっと。
 隆ちゃんからも手紙来ましたけれども、このお手紙にかいてあるようなことは一つもありませんでした。アドレスの違いだけは書いてあったが。不思議な偶然でしたね。さぞ感慨があるでしょう。私の方へは例のとおりの文句で只いかにも忙しげですが。林町から二人へ袋送って、私は本月は休むこと前便で申しあげましたとおり。お正月がたのしめるように次の分は心がけて時間もたっぷり見て送りましょう。『北極飛行』承知いたしました。隆ちゃんはやっぱり小国民文庫が気に入りましたようです、丁度いいと云って来ていますから、つづけてあの分を送ろうと思います。
 私の「疲れた」。面白いわね。自分でもこの間迄はっきり心持のモーティヴ、知らなかったのですもの。詩集をひらくというような生ぬるいものではないのです、そのなかに顔を埋めるのです。そんな工合。
 請求書は来ません、よこして下さいと云ってありますが。
 稲ちゃん、友人の結婚の仲人をしたので十六日に式にかえっていて十七日にいたわけです。十八日ごろ又行った筈です。手紙よこさないからきっと仕事に熱中しているのでしょう。三百枚以上かくのに十一月十日ごろ迄とか云っていたが、出来るのかしら。あのひとは私などとちがってどっさり一日にかくから、別でしょうが。
 栄さんも百枚以上の小説をかきました。このひとは実にストーリイ・テラーで、そのうまさは身についていますね。しかしもう一重ほり下げた心持を追う描写になるとだめです。不思議なくらいそっちはだめで、一方がすぐれている。だから題材とそれとがうまく結びつくと、今度のなども読むには面白いのです。そこに又大きい問題があるわけです。私もそれは云うし本人も知っているわけですが。そういうものでスラスラかけてしまう題材は早くかき切るべし、と云っている次第です。このひと、稲ちゃん、自分、皆何とちがうでしょう。稲ちゃんは線のひとですね。
 きょうはおだやかに日が照って暖かですが、私は目下風邪気味で、ハナのなかが乾いたようで眼玉がいくらか強ばって昨夜は夜中おきて湯タンポをつくりました。それでもきょうは大丈夫です。朝から机に向って居ります。
 派出婦さん、お裁縫は下手のようなので些かこまりますが、やたらに、いやにしっかりものでないアンポンだからマアいいと思います。楽しみにしていたのだけれど、どうも、あなたの着物をサラリとひろげという情景は展開しそうもありません。そちらで着るには猶しゃんと縫ってないと、あっちがずり出しこっちがひっこみで妙な袋になってしまうでしょうから。
 ユリのかわきもやや可となったら風邪。笑えてしまう。きょうはそろそろ又十日分を書き出す頃ですね。
十月十一日 │ 六・五〇 │ 一〇・三〇 │
  十二日 │ 七・〇〇 │  九・五〇 │
  十三日 │ 六・一〇 │ 一一・〇〇 │
  十四日 │ 七・〇〇 │ 一〇・四〇 │ 読書98[#「98」は縦中横]頁。
  十五日 │ 七・〇〇 │ 一一・〇〇 │ 余り追つけ追越せでもなかったけれども。
  十六日 │ 六・四五 │ 一〇・一〇 │
  十七日 │ 六・三〇 │ 午前一時  │ 皆がかえったのが十二時すこし前ですもの
  十八日 │ 七・三〇 │  九・四〇 │
  十九日 │ 六・二〇 │ 一〇・三五 │
  二十日 │ 七・〇〇 │ 一〇・〇〇 │

〔欄外に〕ダラディエの『フランスの防衛』Defence of France 三越に注文しましょう、若し来たらおよみになるでしょう?

 きょうはもしかしたら太郎が来るかもしれません。大久保の方へ外套の下縫いにゆくのですって。アカコをやきもちやいて、「お母ちゃまは何故赤コばっかり可愛がるの」と云うそうです。
 この間からちょいちょい思うのですが、私がこれまで何年かかいた手紙で、去年の分、自分で考えるとどうしても気に入りません。自分に気に入らないということのうちには、自分にとって深い教訓があるのです。いやな手紙が多いわね。詰り何というのでしょうか、斯うすっとしていないのが多くて。そういうすっとしなさの原因を考えて、学び省るところ多いわけですが。あの時分あなたがいろいろ云っていらしたこと、やっぱり忘れることが出来ないから、折々思いかえし、すっとしなかったことの原因にふれて云われているそれらのことは当っていて、そして急にはなおらない、二三年かかると云われていたことの真実もわかります。どの手紙も何だか平らかでない感情の波の上でかかれているような気で思いかえされ、それがいやですね。あなたも恐らく、折々古い手紙くりかえして下さるとして、あんまり去年の分には手がのびますまいでしょう。アッペタイトがおこらない。研究としては又おのずから別ですが。「杉垣」は小さい作品ですが、作家としての私の心持では、去年の手紙がいやに思えるという、そこまで出て来ている心の状態に立って書いているのです。ですから、ひとは何と批評するかしらないけれども自分では心持よいし、先へ仕事をすすめてゆく心の張り合いです。ね、文壇めやすでない、文学のための文学の仕事、そういう仕事の味いというものは、いろいろの時期にその段階で分っているようでいて、さて或時がたつと又新たな実感で分って来るものですね、そこが又面白い。だから或る年齢以上になると、そういう根本的なことについては、何年も前にやはり似たようなこと云っているというようなことが(日記などで)出て、しかも内容は同一でないから面白い。去年の手紙思い出しては、何となく愧《は》じ入っているところのあるのもなかなかいいかもしれませんね。いかが?

 十月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月二十六日  第九十九信
 雨のなかを、昨夕は真くらで、新宿辺は珍しい光景でした。通行人は皆傘をさして、傘をさしているというばかりでなく足元をさぐりさぐり歩いていて、地下道(駅)の中でだけいつもの東京人らしい表情と足どりとで歩いている。そのちがいが何だか印象的でした。午後六時ごろそんなところを歩いていたわけはね、珍しく「むさしの」を見たのです。「少年の町」Boy's town というのが見たくて。アメリカで一人の牧師が保護者のない少年たちをあつめてコロニーをつくっていて、そこでまともな社会人としての成長をたすけてやっている、実際あることです。それをその事業の記念として物語化して映画にしているのだけれども、前半は、自然で面白く後半はメロドラマ的にしてしまって安価です。子供の家の生活を描いた、アブデェンコの「私は愛す」という小説はデーツキー・ドウムの生活の人間らしさを描いて感動的なものでしたが、新聞評でも云っているように、この子供の町の後半はアメリカ式センチメンタリズムが多くて、ギャングの人情に陥[#「陥」に「ママ」の注記]して、そういう映画としての欠陥が、そのものでこの牧師の仕事の本質をも語っているような感じです。善意でつくられている映画でもやっぱりそれだけの商魂で価値を低くされている如く、この牧師の善意もそういう少年を街上に放り出す社会生活の性質に対してはやはり一つのビボーで
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