オょう。日どりが本年は特に重っているのでそうなってしまいます。
 ああ、私はさっさと髪を洗って、詩集を伏せて、しまって、例の追いつけを開始しなくては。きょうはどうも詩集を手ばなし難うございます。たまにそういう日が、一日あってもいいでしょう、自分に向ってそう云っている次第です。あなたにしても、ユリがアンポンになってしんみりしているのをお想いになると、笑えるでしょう。笑うのは衛生にいいのよ。では又ね。

 十月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月十九日  第九十六信
 きょうは木曜日ですが出勤は又なし。
 十四日の次の手紙ですが、あの全くつづきのようなの。どうしたのでしょうね。ずうっとそういう心持で暮して居ます。きょうは午後よっぽどそちらへ行こうかと思いました。疲れるといけないと思って辛棒したけれど。あなたが、よ。
 どうかおわん、よく手にもって、よくくちをつけて召し上って下さい。それから退屈したり、ぼんやりしなくてはいけないようなときは、あの耳かきと櫛とを。櫛というものは髪を撫で、髪の間を指で梳《す》く代りでしょう? 日向で、のびて、膝の上に頭をおいて。みみかきは優しいものだと思います。
 山窩が又なかなか美しいのです。目にしみてしまった。何という美しさかしら。やや荒れた美しい庭の趣ですね。見て何と飽きないでしょう。見て見て見て、眼玉が痛くなるほど見て、まあざっと、これで堪能したという思いがしてみたいものです。
 今夜私たちがこうしている空に、サーチライトが動いています。九段の大祭ですから。黒紋付の女のひとがどっさり歩いています。若い女のひとが。山高なんかかぶったお父さんにつれられて。赤ちゃんを抱いたのもいます。春お母さんと日光に行ったときも随分どっさりいて、一つ汽車にものり合わせましたが。
 又明日あたりからずっと忙しくなります。『中公』の小説のりました。二ヵ所ばかりブランクが出来たが。
 日本の過去の文学が、情痴は描いて、愛の表現というものには乏しかった。今日の所謂大人がその高まった情感を理解しないことは日本の文学を実に低くとどめる外部の力としてあらわれています。或る見かたをする人々は、そう見るということで内面の低劣さを告白している場合が多いのだが、ビュロクラティスムにまもられると、そういうはずかしさも感じないということになっているのでしょう。徳川時代の文学のゲラゲラ笑い、その系列が、感情生活の中にのこっているのね。
『新潮』の正月号の小説はごく短いものですが十一月十日で〆切ります。早いのね。いろんなひとが書くらしい様子です。ズラリと並べるのでしょう。例によって『文芸』のを月のうちにかいて、あと小説をかきます。私はどしどし小説をかきます。なるたけどっさりかきます。そして、小説の世界にひき入れられることで、人々が毎日生きているよりもっとひろくて深い人生へ導かれるようなそういう小説をかきたいと思います。小説の世界にだけとじこもっているような小説、私本当にきらいです。この頃、このきらいさが益※[#二の字点、1−2−22]はげしくなって。そのためには益※[#二の字点、1−2−22]小説が、文学のリアリティーとしてつよめられなければならないわけですから。人間精神のよさは道義というもの以上であるし。
 只今もっている書きものはね、感想風のもの三つ(小さなもの)、若い女のひとのためのもの一つ、それから『文芸』20[#「20」は縦中横]枚ほど、小説20[#「20」は縦中横]枚ほど。きっと全体印刷に手間がかかるようになったから、十一月、十二月はたたまって来るのでしょう。
 机の上に十七日に寿江子がもって来てくれた紅白のガーベラの花があり、茶の間のタンスの上には、原さんが家の近所からわざわざ切らせてくれたダリアの大きい見事な花が満々とあります。黄菊が(私の買った)マジョリカの大きい壺にささって、これは茶ダンスの上に。
 珍しく三夫婦そろいました。てっちゃんと。三組の夫妻が揃うということはなかなかないのよ。これまで。芝居の方はなかなかはぐれていたのです。いろんな話で賑やかですが、しみじみ思ったことは、みんなそれぞれの暮しが大変なのね。マア一番栄さんのところが波が平らというわけで(サラリーマン故)あとは小さな舟が上ったり下ったりという工合です。だから、どこかこんごのことに気をとられているところがあって、それも新しい、本年の印象でした。
 てっちゃんの奥さんはかえって来た由で、結構です。ニャーニャとさし向いというのが三ヵ月つづいたわけで人相が変っていたから。よかったことね。経過もいいそうですから。子供が、一日は父さんをひとみしりした由。太郎には話の中で、度々アッコおばちゃんのおじちゃんが出てわかっているのですが、会ったらきっとはにかむわね。太郎は、はにかみのひどい方ですから。太郎カナ字がよめるのよ。いつか林町へ手紙下さるとき、太郎あてにごく短いカナの部分をかいてやって下すったら、きっとよろこぶでしょう。
 それから本月私は慰問袋やすみます。林町から二人へ送りましたから。早くあげたかったけれど、と云って居りました。たまには別の人のも又いいでしょうから。隆ちゃん、本はやっぱりすこし荷らしい様子ですね。どんなにしているかしら。もうさむいでしょう。
 てっちゃん来。二十四日ごろ久しぶりで会いたいからそちらに行く由です。お天気がよかったら、赤ちゃんをつれてゆくそうです。やっぱり会いたくなると云うことです。それはそうだわ。島田あたりが町になった話したら、ヘエヘエとびっくりでした。あの村もきっとその中でしょう? あなたの方が消息に通じていらっしゃるわけです。
 きょうは組合が食塩ナシでした。本年の冬はいろんな大ビルがスティームなしになるかもしれない、なりそうで小ビルはホクホクですって。寒帯劇場になるそうです。そちらと同様の生活ね。面白いものです。新聞に「タバコ店ゆずる」がどっさり出ます。昔はタバコ屋というものは権利を買うのにむずかしかったし、確実な商売とされていたものでした。これも昨今らしい風景。
 島田からの手紙(たかちゃん)で、お母さん、この間の十七日には大分楽しくおすごしになった様子です。三味線をおひきになりましたって。何年ぶりでしょう! 結構ね。あなたから手紙も来て安心した、とその前のおたよりでしたが。その三味線のことはお母さん上出来、とほめてさしあげるつもりです。私がよく「お母さんは出来ないことがないが、たった一つまだ出来ないのは、気をゆっくりお持ちになること」と云って笑っていたから、きっとそのことも出来ることになさろうというのね。何か人の生活というものを沁々感じました。それから、時々の心のくつろぎというものについても。私から見れば、お母さんの、そういうおくつろぎの折々の気持というものは無限の背景をもってうつりますから。もしわきにいて、そんなにしていらっしゃるのを見たら、きっと涙がにじむでしょう。そういうところがあるわ。その小さい、無邪気な、謂わばその人の心でだけのくつろぎの姿は。
 もうすこしすると大森の方から、ある女の先生の世話で派出婦が来て、おミヤさんはかえります。その女のひとは縫物が出来ることを条件にたのみましたから、私が仕事の間で下へおりて来ると、そこにはあなたの冬物が縫われているという、いくらか家らしい光景が現出するでしょうとたのしみです。若い女のひとが一刻も早く来てほしいと思って居ります。今は派出もありません。経済的にはたまらないけれども、一人ではやれませんから。ではお大切に。今年は早く寒くなりますそうです。

 十月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月二十一日  第九十七信
 夕飯になる迄一寸おかみさんのお喋りをいたします。
 けさ、大森から派出婦の、フヂエさんという丸い若い女のひとが来ました。府下の生れで、七人きょうだい。お父さんは精米やさんの由です。一年半派出しているそうです。その全体の様子は、もう二年前であったら、お女中さんをしたにちがいない人ですが、只今では一日一円三十銭、いくらでもひま[#「ひま」に傍点]のとれる派出になっているという人です。ですから、気がおけなくて、楽でようございます。
 おミヤさんが明日か明後日はかえるので、そのお礼にハオリを一枚買ってやらねばならず、目白の先の呉服屋へ出かけ、その表地、裏地買って、あなたの着物の裏買って、ザブトンの布をかって(これは三割スフでも木綿だから)かかえてかえって来たら玄関に岡田禎子が珍しく立っている。それからいろいろ劇団の話をきいて、先刻かえったところ。
 そしたらガス会社から人が来まして、来月からガスを小さくして(火口を)、そして消費だかも一〇立米へらすことになり、金高にすると四円いくらのものが三円いくらであって、それを超すと翌月はガスをとめることもあるということになりました。こんな小さい世帯でこれ丈ですから、大きいところは随分ちがいますね。たべものやなど、五十円のところ三十五円ぐらいというから、そうすると時間を短くするしかない由。したがって上りがへる。ものが反対にあがる。勢たかくなる。この頃は全くそとでものは食べられないというようなものです。所謂洋食などはペケ。私は外でたべないからたすかりますが、つとめている女のひとなど、自炊していないひと、大変ですね。二十銭、三十銭という食代にやはり何割かがかかって来るわけですから。
 玉子あがっていますか? 私の方は殆どやめです。市場(あすこの目白の角の)で午前中うりますが(一人に百匁)黄味があのいい匂いの代りに妙ににおうので。冷蔵玉子だそうです。バタは? 雪印マルガリンは本ものに似ているそうです。南京豆バタをたべようかと思います。
 世帯をもっているということは、この頃の時代ではなかなか作家にとって並々ならぬ意味をもって居ります。時々刻々が反映していますから。それは感情に反映しているのですから。この三四年間を自分で世帯をもって暮すのとそうでないのと、どの位ちがう結果になるでしょう。面白いと思います。時代のカンというようなものは面白いところにありますから。料理に対する感情などでも、私たち流の真価が益※[#二の字点、1−2−22]発揮されて来るわけでしょう。実質的なところが、ね。
 文学の仕事と云っても劇は劇場の関係がひどくて、小説の矢田津世子ぐらいのがくさっていますそうです。評価の点で矢田がどういう作家であるかということは別で、ともかくその程度のが。劇で心理描写が出来にくいというのもいろいろの点で制約ですね。岡田さんは久しく抱月、須磨子、逍遙を描きたいのだそうですが、それをかくと、早稲田演劇図書[#「書」に「ママ」の注記]館お出入りさしとめのようになるでしょうとのことです。逍遙のバツが民蔵その他がんばっていて、劇壇の半分は対立するというのだからたまりませんね。
 話していて面白く思ったことは、岡田さんは抱月と逍遙とにとって須磨子がかけがえのなかったという感情葛藤の面のみであり、私は本当に書けるのは、須磨子にとって抱月が、かけがえのない人であったということの心理しかないと云うみかたをしている点です。両方かさなるのが現実です。しかし書く意味のあるのはやはり須磨子の内からのみでしょう。さもなければ、何もああいう情熱へのまけかたはしないのですから。生活によって、見どころのちがうところがしみじみと面白い。
 たとえば、清少納言のことについて、きのう国文専門のひとと話して、「枕草子」の或場面で、清少の心ばえが、いかにも女房風情というところが、あらわれているところがあるのです。仕えていた中宮が権門の関係におされて、まことにおちめになり、藤原氏の女御が高くおさまっている。中宮は住居もひどいところに居られるが、互には愛していて、その端近のところへ来て朝二人ならんで立って、守護の武士たちが出入りする様子など眺めていられる。その姿はなかなか味深い人間らしいものです。清少はその姿にちっとも心うたれてい
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