アろあり、ですから。その点でも、のそのそしたりいろいろですが、やっぱり、追々身について来ている一つの感覚なのです。
キュリー夫人のこと、ありがとう。それは分っていました。私は先方からそう云っているままには扱いませんでした。そういう意味のヒロイズムでなく、人間が科学の発見で、よりよいことをこの世にもたらそうとするその考えに立って科学の力を、殺す力としてより生かす力としてつかおうとした点にふれました。あの特許をとるかとらぬかというようなときの夫婦の相談、そんなものとピエールがドルフェスのときは熱中したという無辜《むこ》のものを支持する心、そんな点です。
「メチニコフ」へのお礼承知いたしました。私は「北極飛行」は知りません。書評についてもありがとう。或人は経済条件について書きたりないことにふれていました。
この頃は、夜早く床に入り、本当に眠るのはえらい時刻となるときがあります。小説のこと考えていて。これは本当に内緒のうちあけ話ですけれど。けさも、三時間ほどしか眠らず出かけ、かえって来たら黒枠ハガキでね。芝の老夫人逝去されました。これから弔問です。花とお香典をもって行きます。御老人さぞ落胆されていることでしょう。あなたのお髯の生えかたは面白いことね。縁どりのようで大変面白いと思い、小さい子供がそこをさわる姿を想います。そういうような生えかたね。生やしたくもない髯についてお喋りするようですが、でも。
小田急にのって出かけなければならないから、只今はこれだけ。葬式は明日ですが、その時間私はよそで御話をしなければならないことになっているので、どうしても、きょう行かなければなりません。では又、明日ゆっくり。シーツとにかく一枚送りました。
九月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕
九月二十九日 第九十二信
風が出て来ました。きのうシーツやそのほか届きました。きのうはかえりにすぐ栗林氏の方へもまわり。南江堂でよく本しらべましたが、中央公論のと小南著とを合して使った方がよさそうです。それは揃えました。二冊が云々ならば小南の分だけでしょう。
あれこれ書き終ってやっと小説にとりかかります。従って眼玉を据えて居る次第です。でも三日、五日は出かけます。自分の心持としてその日うちにいるのが不自然ですから。やっぱり落付けないにきまっているし、いわば何のために暑い思いしていたのか分らなくなりますから。十月の十日にはそちらへ行っていいでしょうか。四日には寿江子に行って貰うことにいたしますが。一度でもいやなの。何と慾ばりでしょう。病気して動けないのでない限り。この調子では何だかいやで自身出かけそうです。こうしてはどうかしら。三日朝出がけにそちらへ廻るとしたら。そちらはおかまいにならないでしょう。多分そんなことになりそうです。
食事のことや何か忙しいと、今の状態では閉口だし、人からにげたいし、きょう午後から仕事終るまで林町に籠城いたします。用事を足すにもいくらか便利ですから。多分九日まで(これはおそくても、です)。本当は七日まで、ですが。迚もむずかしいから。こちらの家はおみやさんが番をしてくれます。
ね、それからちゃんと坐って、三遍お辞儀をしてお願いいたしますことは、読書がたまってあとで一時になりますが、どうぞどうぞ御勘弁。お手紙、若し急な用なら電報等、林町へおねがいいたします。アトレイの本駄目でした。そのこと、もう書きましたね。いろいろすっかり片づけて、十月十七日にはさっぱり花を飾ってお祝いしようと、本当にたのしんで居ります。あなたは桃太郎のしわんぼだから、御褒美を丸ごと一つは下さらず、きっと半分下さるでしょうが、それでも私は大変それを楽しみに籠城にとりかかります。では、ね。
十月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月六日 第九十三信
三日づけのお手紙をどうもありがとう。五日に頂きました。まぎれ込んだ二つの手紙というのは、何となし忙しくていらっしゃる空気がわかるようで面白うございました。そうね。私たちもたまにはそんなこともあるぐらい古(!)夫婦になったというのはおめでたいというところでしょう。
表は、九月下旬からこの九日ぐらいまでひどいギザギザで恐れ入りますが、どうぞあしからず。私の三遍お辞儀の願いも黙認というわけでしょうか、どうぞこれもよろしく。今から雷よけをしておきます。
三日にはね、午後二時ごろまで、時間を浪費したあげくやっと二時間ほどでした。五日も無駄足。七日は全然出かけません。これでどうやら私の仕事は息をつきますから、何でもよしあしなものね。三日の二時間のうち二三分のエッセンスあり。劇的会話というようなものもいろいろの場面にあるものです。
五日には、バスで往復して、復のとき体がしゃんと立てない位気分わるくなって、きのうは一日ねました。そしたら夜S子さんが来て、心配して御主人よこしてしらべてくれました。そしたら心臓の音はすんでいるし、尿をしらべたら蛋白も糖も出ていないで本当に可愛いわが体と思い、うれしく、大切に劬って使おうと又改めて感じました。手のひらにひどく痒いところが出来て、それは末梢神経がどうとかなって、神経衰弱の徴候なんですってね。ふくらはぎのつるのとともに。疲労から来ているのだそうです。たまった疲労の由。だが私は又ひとしきり終ったらよく眠って、すこし郊外散歩でも寿江子をひっぱり出して、それでなおりますから、どうか御心配は無用です。
きのうは一日どうせ机に向えない筈だったのだからと臥て、けさは早くおきて、手の膨れなどなおり、ずっと一日書いて又夜早くねます。そして又、明日早くおきてかいて、その方がようございます。つまり徹夜は一晩もいたしません。なかなかいいでしょう。今夜だって、これから電話かけに一寸出て、これを出して、パン買って、かえってお風呂に入ってねてしまうところです。牛乳にカキを入れて煮てそれをのみます。御心配下さらないでいいでしょう? こう気をつければ。
キュリー夫人について云われていること、全くその通りであると思います。文庫のこともありがとう、私は別なのと勘ちがいして居りましたね。
泰子、ものをかくなんてすすめてならせることではないから、マア静観です。旦那さんを見出すというだけだって、どんなにむずかしいか。咲枝はこんなことよんだら、きっとすこし赤い顔してアラと云って、考えて、そうねえ、と沈思するでしょうね。
森長さんのこととりはからいます、ちょっとおくれましたが。三日に会いました。四日には別な人が行きましたでしょう? いろいろのこと又かきます。きょうはちょっと。諸種の不自由に屈托はしないけれど、実際問題としてこまるわ、そうでしょう? 勿論そうだからと云って屈托もしないけれど。困りかたは痛切ですから。でもこれは何も切迫したことではないのですから、御心配なく。二つの手紙つくねられていたかたきうちというわけで短いのではございませんから、どうぞそのおつもりで。お体をお大切に、風がなくていい日でした。小説も2/3の終りです。その話も又ね、では。
十月十二日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十二日 第九十四信
さて、今晩は。九日朝のお手紙けさつきました。疲れのこと、気をもまして(というよりもうすこしちがったもの、ね)すみませんでした。鎌倉のことは大笑いね。私が、改めて徹夜はしない云々と書くのは、いろいろ多いと「これは例外」と云って徹夜でもしやしまいか、こっそりやってるんだろう、とお思いになると思って改って書くので、他意なし、です。いそがしいからと云って夜ひる顛倒したら、一生涯きりがないことになってしまいますもの。どうにかやれているのも朝から昼間やっているからですもの。手のはれるのは、血圧の関係ナシです。私の血圧はいいのです、百二十幾つかですから。この間小説かいていたときも、朝から午後ずっとやって夜早く横になって、それでやり通しました。どうぞ御安心下さい。七、八と随分のばしていたものがあったからたたまったのです。十月、十一月へかけても相当ですが、やっぱり昼間仕事の原則でやりますから、どうぞ御安心。
私はすこしバカね、考えてみると。何故あなたにつかれたことなんか書くのでしょうね。しかもそれが読まれて話題になる頃には、何時だって大体もうその状態はぬけているのに。何だか云ってみたいのね。云ってみたくて、云ってみては、結局大道的方針をあなたにくりかえさせているという形ですね。滑稽ね。妙な甘えかたね。これからは、おやめです。太郎が気をはって何か大いに大人ぶってやって、さて、ああちゃんの顔を見るとフニャフニャになる、まさかそれほどでもないけれども。ほんとうに、もう、疲れ話は一切おやめ、と。全くつかれない生活なんていうものはなく、それは過ぎてゆくものであり、而も根本的に疲れないように方針を立ててやっている以上、そんなこと話題にしなくてもいいわけですものね、その事自体はね。私の「疲れた」はもっと心理的発言なのですね。だから、その証拠に、薬は、早ねしたか、と云われることにないのだから、微妙さお分りのことと存じます。今まで自身心づかなかったことでしたが、何だか、きょうは分りました。しかし、あなたもいくらかは分っていらしたかしら? 十日におめにかかったとき、この手紙の内容につき、「いや早起きをショウレイした手紙だがね」と云って笑っていらして、そこにニュアンスがあったから。きっとそうでしょうね。そのニュアンス思い出す方が、つかれ癒る感じだから、そうなのでしょう。
夏ぶとん届きました、白い浴衣も。掛布団届きましたろうか。それから、この春着ていらした袷と同じ羽織(茶っぽい銘仙)そちらにはないでしょうね。領置のままかしら。うちさがしても見当らず、どうしたかと思って居ります。別のを一組、雨がやんだら送りますが。私のつもりでは別の一組は外出用と思って居たのですが、とりあえず。その着物と一緒に薄毛のズボン下一枚。半襦袢、毛糸の肌着と入れます。今年はいかが? シャツはやっぱりなるたけ召しませんか。それに一番下へ召すもの、今年は木綿と毛の交織等なくなったので、洗ったものを送ります。衣更えにさっぱり新しいもの、せめて下には、と思いますが、それでも衛生のこと考えるとね。春よりも秋は猶湿気をふせぐものがあげたいから。そして又、不用になったらお送り下さい。これまでのかえらない分など、どうなっているかしら。とりすて? 木綿のもの総てダイジダイジですから、どうぞ。
お喋りの前に表の方先にしましょうね。
九月二十日までの分は八十八信でかいたから、二十一日からね、十月十日迄。
21[#「21」は縦中横]日 六・三〇 一〇・一五 〜16日[#「〜16日」は縦中横]
22[#「22」は縦中横]日 六・二五 一一・三〇┐
23[#「23」は縦中横]日 七・一〇 一〇・三〇|
24[#「24」は縦中横]日 六・一〇 九・四五|
25[#「25」は縦中横]日 六・〇〇 一一・三〇|178頁[#「178頁」は縦中横]
(芝の老夫人のこと)|
26[#「26」は縦中横]日 七・〇〇 一〇・〇五┘
27[#「27」は縦中横]日 六・〇〇 一〇・〇〇┐
28[#「28」は縦中横]日 六・二〇 九・五〇│
29[#「29」は縦中横]日 六・四〇 一二・〇〇│32頁[#「32頁」は縦中横]
30[#「30」は縦中横]日 七・〇〇 一一・一〇┘
1日 六・四五 一〇・二〇
2日 六・二〇 一一・〇〇
3日 五・四〇 一〇・四〇
4日 六・四〇 一一・三〇
5日 七・〇〇 この日はかえってから一日よこになる
6日 七・〇〇 一一・二〇
7日 六・三〇 一〇・三五
8日 七・〇〇 一一・〇〇
9日 六・〇五 九・一〇
10[#「10」は縦中横]日 七・〇〇 一〇・〇〇
ココノトコロハ三拝九拝シテアル部分[#「コ
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