「る努力に同情しましたし、或る敬意も感じたが、客観的に出された作品としてのみみると、混血というものの荷《にな》いかた(女主人公として)にやはり問題があると思われます。むずかしいものですね。非常に内在的にかかれています。よんで苦しい。気持だけが糸をより合わしたようにかくれています。そうすると、私は私で、部屋や自然や人間のボリュームのある声、体、跫音、そんなものが鮮やかに、心と物、物と心の世界として見えてくるような小説が書きたくてたまらない気になって来る、それも面白い心持です。この作品のかき出しは「心の中に不幸を、人の知らぬ秘密として持っている人々の悲しさは」云々。この間あなたが仰云った「一生懸命さには同情するが」という言葉がその最も複雑な内容で思われます。この作者のつれ合いはこの作品をよんで果してどのような感想を抱くでしょう。
 これ(今書いているもの)はもうあと十五枚ほど明日のうちにかき上げて、それからキューリイ夫人が大戦のときラジウムをもって人々をたすけたことを人類への愛という立場から、婦人のために二十枚ほどかき、それから小説にとりかかります。『読売』の月評はことわりました。目の先がクシャクシャするようなものを、こちらに何かテーマがあってでもなく読む暇はないから。今ずっとかいている歴史的なものを一貫してゆくことが、チビチビ月評より遙にまさる自他ともへの勉強ですから。
 これをかきつづけて小説をかいて、勉学して、なかなかそれ以上のひまがない。「過渡期の道標」が座右に常にあります。そして、それは背骨となって、書くもののなかに入って来るのです。
 この仕事をまとめるとき面白い有益な年表と図書目録をつけます。それはS夫人にやって貰います。図表をつくる仕事。いくらか小遣いをもあげて。
 きょうは荒っぽい、落付かない天候でした。南風つよくガラス戸ガタガタゆすぶるから、まるでむし暑いガラガラ(子供のガラガラというおもちゃ)の中で仕事しているようでした。でも今年の冬は炭も不自由でしょうから(水道、瓦斯、電気、もう制限がはじめられています)暖い室というのは大事です。
 あなたの方の詩の本は、この頃どのあたりが読まれて居るでしょう。きのう、不図ひらかれた頁に、眼を瞑り、喉をふくらませ、我を忘れた心持でのみほす朝の牛乳、が描かれていて、感覚の鮮やかな描写におどろきと傾倒を新しく感じました。口のなかにある感触を、何と微妙に、即物的にうたっているでしょう。生命のあこがれが、何と優しく激しくあらわされているでしょうね。こういう詩をよむとき、生活の深い深いところがひらかれて、よろこびの厳粛さがてりかえします。では水曜日に。手紙こちらへ、どうぞ。

 九月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 九月二十二日  第九十信
 金曜日に見えましたか。私がお話の趣つたえたときには横浜へ行ったという留守でしたが。
 その後お体の工合いかがでしょう。おつかれになるでしょうね。致し方はないが。それでも、私はこの頃すこし安心して居ります。もと、あなたは御自分の体のことちっとも仰云いませんでしたから、どの位どうなのかわからず、おやと思うとやたらに気にかかりました。この頃は、おききすればマア、すこしは仰云る。その方がいいと思います。あなたはユリの体のことばかりきいて下さるけれど、私にしてみれば、そちらの方をよく知りたいわけですから。そして、あなたの体の御様子というものも、やっぱり私たちの生活の内のことですものね。体の様子を私に云って下さることは、そのことで、私が全体としてのやりかたに別に感情を妙にしての間違えをしたりしないということを、あなたが十分わかって安心していて下さることだと考えるのです。
 さて、きのうは、『文芸』にかくのを四十枚かき終り。「この岸辺には」という題です。これは書きかたがむずかしくて。何にしろ過渡期の初りですから、単純なかきかたで四十枚余かいて終ったが、どうもと思えるので初めの二十枚余すっかりこねかえて。武者の「新しき村」と有島のことから、その反映の分析から入りました。そしたらやっと納りそうなものになりました。フーと一息つき。それから出かけて、壺井さんのところへ二ヵ月ぶり位に行って、手つだいのことたのんで、珍しく夕飯御馳走になって、古本を見つけ出して、丁度ひどい雨の上ったときいそいでかえり。
 きょうは今に、栄さんが来て口述をやってくれます。この口述では、随分古くから栄さんのお世話になっているのですが、面白いものね、S夫人のほうが近くてよかりそうなものですが、あの人とは決して出来ないの。あのひとの性質で。こちらで云う、その中に決して入らないのです。自分だけはなれて批評したり、腹に意見もったりしている。だから、一体になれず、いつも心理的抵抗がある。それが腹が立つ。駄目です。あのひとは全くその点独特ですから。こんなことでも、これほど微妙だから面白いものね。
 明日一日日比谷ですから、どうしてもきょうのうちに片づける必要のものがあって。
 一昨夜てっちゃんが見えました。奥さん、思いのほか大手術であったそうです、可哀そうに。どうなのでしょうね、子供ももしかしたら、あの康子ちゃん一人かもしれませんね。癌《がん》と同じに、幼時の細胞が皮膜のようになって組織内にのこっていて、それが成長するにつれ育ったり分裂したりして害をおよぼすのだそうです。そういうものの由。メイソウさんの奥さんが眼科を開業したのですってね。そしたら繁昌して、旦那さんすこし押され気味だって。そのことをあなたが可笑しがっていらっしゃるという話ききました。私はどっちも初耳だったから、二重に面白くて笑いました。でも結構ですね、それですっかり生活がしゃんとゆくでしょう、もう何年も会いませんが。重治さんのところでは卯女が大分可愛くなり、もう両足をなげ出して、両手でビンを持ってお乳をのむ由です。その乳に入れる砂糖が世田ヶ谷にはない。それで栄さんのところへ電報が来たので、六軒歩いたら二軒が半斤ずつ売ったそうです。昔中野は「砂糖の話」というのをかきました。が、こういう物語がおこるとは思っていなかったでしょうね。私は当分中野さんへ何かあげるならサトウにしましょう。うちだって、ありはしないが。中野しきりに小説をかきます。身のまわりのこと、子供の泣くこと、ねむらぬこと等々。せっせと書いて彼の癖の独白体を脱しなければいけないが、どうも益※[#二の字点、1−2−22]独白になるのではないかしら。「子を育てるためには先ずその子をくう話」というゴーゴリの題のようなわけです。
 おみやさんがいて助かりますが、御飯たいて雨戸あけて、はくだけですから。今市場へ出かけて晩の野菜を買って来てすっかり仕度しておいて仕事にとりかかるというわけ。私は今、それはそれは玉葱《たまねぎ》くさくて、おばけのようよ。くたびれて、パンにバタつけて、生の玉葱うすく切ってのっけてたべましたから。ロシアの農夫は、黒パンのかたまりを片手にもち、片手に玉ねぎをもち、玉葱をかじりつつ黒パンをたべます。
 隆ちゃんからエハガキが来ました。いそがしいと見え例の通りの文章です。雑誌は貰って、どっさりあるから、いらないと云って来ています。前にきいてやったのは、本をよむ時間があるかないかだったが、そのことはやっぱりはっきり分りません。この様子ではなかなか暇もないのでしょうね。
 この間『戦う支那』Utley の本、三越へ注文したらことわって来ました。為替のために。
 きのうの雨でいくらか電気が安心になりましたね。電気時計が一時間に三分おくれるだけに恢復したそうです。
 私はやっとこの頃いろいろ経験して、これからは『中央公論』『改造』『文芸』『新潮』ぐらい折々あつめては製本しておくことにしました。図書館へ行っていろいろやっていると、そうしておくことの必要が実にわかって来ます。これもお蔭さま※[#疑問符感嘆符、1−8−77] 本というものは、昔はただこのみで買っていましたけれど。何年も前の三月のごく初め、大雪の夕刻、繁治さんと私とが同じ方角へ出かけるのに、あなたから『中公』を買うことたのまれて、新宿でさがして、雪ですべってころんだこと、思い出します。あのムク犬靴はいて。茶色の外套着て。
 神近市子の良人は鈴木厚という人でしたが、この間この厚氏から印刷物が来て、「市子と離婚いたし候につき」云々と云って来ました。厚という名だけある。市子の名はない。市子さんは全くひっそりしている。複雑なのでしょうと思われます。市子さんは新宿ハウスというアパートにいる由。ユリの読書はこんな式があるところです[#底本では改行なし]
    A
G−W<
    Pm
[#底本では改行なし]。G−W の部分をこまかによんでいたし、G'−W' のつづきだし。わかります。
 おきたりねたりの時間、一日ずつとおっしゃったわね。二十日までの分を。
九月 一日  七・〇〇   一〇・五〇
   二日  六・二〇   一一・〇〇
   三日  六・四〇   一〇・一〇
   四日  七・一〇分前 一二・〇〇
   五日  七・二〇分過 一二・三〇
   六日  六・〇〇    九・三〇
   七日  六・三〇   一〇・四〇
   八日  六・四五   一一・〇〇
   九日  七・〇〇   一二・三〇(本田キトク)
  一〇日  七・〇〇   午前二・二〇(おつや)
  十一日  八・三〇    九・一〇
  十二日  六・二〇   一一・〇〇
  十三日  六・四〇   一〇・四〇
  十四日  六・五〇    九・三〇
  十五日  六・一〇   一〇・〇〇
  十六日  六・三〇   一〇・三〇
  十七日  七・一〇分前 一一・〇〇
  十八日  七・〇〇   一一・三〇
  十九日  六・二五   一〇・二〇
  二十日  六・三〇   一〇・四五
     乙 十一日
     丙 八日
     丁 一日

 仕事があるとき、熱中しているとき、どうしても床に入る、すぐ眠る式にゆかず、実質的にはくるいを来してしまいますね、床につき、床をはなれる時間ね。床に入って三分ぐらいで眠ってしまうのですが、気の張っていないときは。十時になると、サアと一応そわつくようになったから私も大したものです。
 私にいつ手紙かいて下すったかしら。てっちゃんの話をきいてやきもちをやくわけでもありませんですが。
 では月曜日に。
 きょうは曇天のくせにむします。優しくピム、パムをその胸の下に。

 九月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 九月二十五日  第八十九信
 このお手紙はいかにも同じ区内に暮しているらしくつきましたね。ありがとう。手紙の番号とりちがえたりして、いかにも眼玉キョロキョロをあらわしていると笑いました。きっとあなたもそうお思いになったのでしょうと思って。これは、ですから九十から逆戻りして正しい番号へついているわけです。九十が二つは変だからこの次はいきなり九十一にいたしましょう。どうぞそのおつもりで。
 夜ふかしになり易い危険があるのは全くです。いつでもそうね。だから、時々ホラホラと云って下すって丁度いいのでしょう。ユリが、もうそういう努力はおやめだと放ってしまったりしないことさえ十分わかっていて下さればいいのですから。健康のためには全く十一時までの就眠は大したものです、それに眼のことがあって。私は夜のよみかきは心持は悪くないが、この頃のように電力が低下していると、益※[#二の字点、1−2−22]眼をつからしますから。
 読書、本当にヨタヨタ歩きの態ですが、どうぞ御辛棒願います。今のところ。岩波文庫のものや何か、いつか云っていらしたのは読みました(他五篇)。もと読んだの、何を、この間オイゲン先生。ここでひかえているのは大部な哲学です。でも、今のをどうやら渡河してしまえば哲学は近いように感じられます。私はこういう種類の読書はずーっとずーっとつづけるつもりです。深く感じると
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