[ロッパの有様では注文もいつ来るやらですね。緑郎、大戦始るか始らぬかで、ワルシャワにはドイツのボムが落されているなかでどうしているでしょう。丁度お金もなくなっているそうですが。この前のチェコのとき、巴里では多くの人が都会から逃げ、緑郎も「デンジャー、金オクレ」という名文を打ってよこしたが、今回はその暇もありませんでした。ドイツ式方法で侵入したからね、廻廊へ。
 けさいろいろの心持で御飯たべていたら皆川さんから手紙です。八月中旬に男の子が生れた由。そして、何人かの人々が組んで集合住宅をつくるのですって。十五坪ぐらいで三千円。渋谷のどこか奥の由。そのカン誘です。隆二さんの親友だが顔が見えなかった。そういうことについても思っていましたから、この手紙みて何か感じがあり、人の歩く道ということについて感じた次第でした。男の子をもつ、家を建てる。結構ですが。私をカン誘したこと、何となく頬笑《ほほえ》まれます。その人の心持が映っていて。私は十年の間五十円ずつ月賦はらって、渋谷の奥に自分の家というようなもの持つ心は、ちっとも湧きません。この釘もないときに。ごく少数のしかも或る種の人々と集合する気も致しません。まあそういう工合で、非常に一般の空気をよく語っている、日常生活に対する、ね。いろいろ面白いでしょう? 世界の波濤のスケールが一方に大きく出ているから、きょうは猶更。白鳥が、日本の作家は皆それぞれの時代に何とか器用にかくれ家を見つけて頭を突こんで来ている、というようなこと書いています。白鳥が云うのだから、これも亦面白い。この人のはかくれ家どころか、そこが住宅なのですものね、本質に。
 あなたはこの一二日のうち、おなかこわしなさいませんでしたろうか。昨夜、というよりきょうの明方大層冷えましたね。その故か、ここでは二人腹をこわしました。咲枝とおまつさんという女中と。大層痛んだそうです。どうだろうと頻りに考えます。大丈夫? どうぞお大事に。今年の夏は早くすぎました。夏に入ったとき、早くすぎればよいと思う心持でしたが。すぎかけたこの一夏を顧ると、味い尽きぬものを獲て来て居り、私は落付いた心持になって、その落付きは、自分がその正当さの輪廓だけ知って信じていたことの具体的内容が充実されることからの落付きという工合です。七月から八月へと、心持のそういう心持よい重みが、ずっと加わりました。感覚の面でも具体的だし。現実のリアルな内容というものが作用して来る来かたの微妙さ。その微妙さを考えると、感じ深めてゆくと、次善的なあらゆることが惜しく思われて来ます。実にね。これまで、私はこの次善的なあらゆることが惜しい心持を、その心持なりに自分に許して、というか承認するというか、そうではなく、とにかく次善的なものを可能なだけ積極の面へ転出しようとする、そういう面からだけ自分の心を見はっていました。そのことで、負けていたと思われます。こんな云いかたでは、よく呑みこめなさらないかしら。負けまいとして負けていたという工合だったのね。肩に力いれてね。あらゆる感情のうちに安心して自分を放してやっていなかったと感じます。
 二ヵ月ばかりえらく暑かったりむくんだりしたおかげで、そういう方面のリアリスティックな充実から、自分の気持のリアリティも安心してつかめて来たというのは面白いところであると思います。少しずつ或ところへ出たとき初めて、これまでいたところが全体として見えて来る、そのことも面白い。一生懸命にやっていると、ともかくそうやって、流されるのではなくて歩き出して来るから、それも面白うございますね。負けまいとして負けていたことにしろ、反面から表現すれば、押し流そうとするものの中で、とにかく一足一足自分の足で行こうとする、その努力に一杯ということなのだから。人生への態度として、去年の夏のことね、私がすこし微熱出したときのその対応法のこと、なかなか一つの点《プンクト》であると、よく思います。一人の人は、温泉に行って休養しろという。一人の人は、朝六時におきて八時迄に来い、毎日来るように、という。ねえ。後の方法で熱がとれ、生活の全般が一変化を来している。どうも面白い。こういう生きかたの力と美しさ。武者小路は一人合点の多い人ですが、人間が出来ることをするという丈が容易でないと「人生論」に云っているのは当っています。
 それからね、そういうことと直接ではないが、間接に結びついていてこの頃感じるのは、子供との遊びかた。子供と遊んでいて、発展的な気分で遊ばせること、そのことは子供の発意を導くようにという表現で云われて来ているが、その発意の導きかたにも工夫の範囲で云われていることが多いのね。自分で工夫させろという風に。だが、それで人間の精神の働きは終りませんから、何か先がある。自分のやっていること興味、その先にもっと知らない大きいことがある、もっと興味ある何かがある、その何かが漠然と感じられるような、そういう面白がらせかたを覚えさせてやる大人は少ないものね。国男、寿江、遊んでいるのを見ると、体、目の前の面白さが面白すぎる。その中だけですんでしまうように遊んでいる。感情の深さ、ひろさ、大さへの感覚がない。心が目をさます、そのことの重大さがわからない。人生へのプリンシプルのなさから。私の心では、こういう観察が、かわきの一面をなすのだからお察し下さい。シムフォニックな共感へまでひろがるかわきをめざめさせるのだから。では月曜日に。

     附
 例によってお約束の報告を。
 さて、帖面出しかけて。
 先月は十一日ごろの手紙で前月の報告したのでしょう。その中に、では、四日に十二時四十分になったとか、五日が十二時半だったとか、丁の部のこと申し上げたわけね。そこへつけ加わって、咲枝のお産の徹夜が加わります(十二日―十三日)。それから咲枝にたのまれたからは、と国男のかえりを待っていてやって十二時すぎたのが二晩。二十八、九。『婦人公論』のをかいていて十二時前後。八月の成績は丁が七つよ。それから丙が乙と半々。奥さん代りをやるとこうですね。読書は二巻目終りの数頁のこっていて残念。九月はどの位ゆくか。いずれにせよ、十月十七日はゴールですから。

 九月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月十日  第八十六信
 きのうの夜九時十五分前まで図書館にいて、かえって来たら速達が来ていました。八時ごろ着の由。帯を解きかけながらテーブルの上にひろげておいてよみ。それからまずと御飯をたべました。その間に咲枝が「困った、困った」とわきでいっている。というのは、本田龍助という八十八歳になる私たちの大叔父(祖父の生きのこっていた一人の弟)が危篤という電話だが、国男はすぐ行けないというしというわけです。この人は私たちとしても放ってはおけない人ですから、では、どうせ私もゆかなければならないのだから、と、十時半ごろに出かけて、かえったら十二時。くたくたでした。きのうは又朝九時からずっとねばっていたので。そちらの方はもう昏睡でした。けさ死去のしらせ。おミヤさんという目白の方にいた人は、中條の祖母の実家の娘で本田さんとは血縁はないが、つづき合っているので、そちらへ行っておミヤさんを本田の方へやるようにして、私は今夜通夜という次第です。目白の方は明日一杯家主にたのんでしめっぱなしです。致し方がないから。多分明日葬式でしょうと思われますから。
 私の手紙、ではやっぱり九月三日に書いたの、まだ御覧にならなかったのですね。二十六日の次は一日です。84[#「84」は縦中横]? というのは、自分であやふやだったのです。その次には三日にかいているのですけれど。そして又例のお約束としていろんな表、別に一枚書いてつけ加えてあるのですけれど。御覧にならなかったのね。もう届いているでしょうか、それとも届かないのかしら。緑郎がどうしているだろうか、どっかへ逃げたろうか、そんなことも書いた手紙でした。私の手紙いつまでついているでしょうとおききしていたでしょう? どうだろうと気にかかったからでした。そう、もとの木阿彌になってのーのーとしていられるとお思いになるのかしらと思って、何だか切ないような笑えるような気持でした。よくよく信用が不確なのですね。私にはいろいろの事務的な几帳面さのこと、又規律ある生活のこと、勉強のこと、決して今日にあって小乗的と云えないこと、わかって来ていると思うのです。そういう気のしまりなしに、ろくなものが書けないということも。そういうことうっちゃりにせず、書くこともしてゆこうと思い、又しなければならないから、ぐうたらな気ではいないわけです。でも、三日の手紙がつかず、ユリが開成山へ一寸行って来ようかしらなどということだけ耳にのこっていて、又あなたとしては決して意に満ちた状態でない他の面でのほかの非事務的な様々と、何となし思い合わせられるとき、ああいう注意改めて書いて下さる心持、本当にわかります。ね、よくて、このことよくよくおきき下さい。もしユリが、同じ平面で只右や左へあるだけのもちもので書き暮して行くような気だったら、決してこの二ヵ月間のような暮しかたは出来ないような一般の空気なのです。そういうつきつめたところでは、私たちは、全く私たちだけの生活の評価と確信とその意味との上に立っていることを、一層つよく感じているわけです。自分の仕事というものについても、そういう根本的なところと切りはなしては居ないと思います。
 勉学の方三冊目にかかっています。課程が未了のうちそちらへの面会云々のこと。私には、三日の手紙を見ていらっしゃらないことからの結論と思えるのですが、どうでしょう。そして、そういうことは、一種のコンクールであるかもしれないけれども、何だか私には堪えられそうもないことです。それに、実に望ましいスピードでないにしろ着々(或は遅々とながら)すすめられている以上、私はそのことにこだわらないでもいいのでしょう?
 笑っている口許なのだけれど何だか涙が出てしまった。ね、あなたはユリのための教育の方法としての思いつきと、ユリが日々の感情の全中心をどこにおいて暮しているか、その点での同感と、よく見くらべて下すったのかしら。同感があるからお灸の効果はテキメンとお思いになるの? お灸としての効果という程度で云える場合は、もっともっとちがった生活感情のなかでだと思われます。
 単衣のこと。お母さんがお送りになった分で、ずっとお着にならずしまってあるのがあります。この次の夏あたりからそろそろそれらが出て来るわけです。純綿大切としまってありますから。白い麻のようなのですっかりはげたのは、ホラ一昨年紺に染めて寿江子が洋服にして着ているということ、お話したでしょう。筒袖にしたのが一枚。繁治さんにあげたのが一枚。
『医学大典』それは惜しかったこと。『医典』の予約やっぱりあのままにしておきましょう。
 森長氏[自注29]のこと、いくらかわかりました。明日おつたえします。
 開成山ゆきはおやめにしました。
 浜松夫人からの返事どうしたのでしょうね、まだです。一日の速達頂いてすぐ出したのですが。よっぽどわるいのかしら。ごたついているのかしら。様子わからず、又つづけて出すのもどうかと思われるし。何とか考えてみましょう。
 目白へは十二日にかえります。どっちみち、おミヤさんを留守番としてたのんで居られない事情になりましたから。そして何とか手段を講じて誰かを見つけます、一緒にいるための人。人のないことおびただしくて、お話のほかです。困たものです。私の場合はぜいたくでも何でもないわけですから。
 寿江子たち十五六日ごろにはかえって来るでしょう。
 もうそろそろ出かける仕度をしなければならない時間になって来てしまった。では明日。あなたの表現では、夏向きに余白をのこしてとかかれているのをよみましたけれど、きょうのは何かしら。
 ああ、でも何だかいやですね、白いところのどっさりのこっている手紙など。「雨が降ると龍になる。降らなくても龍になった」の物語、お思い当りにな
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