Aです。ああ私は実に几帳面な事務家で、そして又実にゆたかな溢れるような抒情詩人でありたいというのだから、一騒動なわけですね。新しい詩性のタイプなわけだから。こっちで我まんして下さい、と一方だけさし出しておじぎすることはしようとも思っていないのだから。どうぞどうぞ御辛棒。今すこしというような体裁のいいことは云わず、きっとこれからも時々眼玉頂いて、赤くなって間誤付くこともあるだろうと思いつつ、でも、些かすこしはましになります。
 実例。『ダイヤモンド』はいきなり社へ行って、十六日とってきょう速達いたしました。バックナムバーは発行元でなければ駄目ですね。古い雑誌などは特に。『経済年表』来ました。それから『体力測定計算表』。二冊明日送り出します。
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○芝の弁護士会いました。その話は明日。
○栗林氏月曜日に上ります由。トー写の人のこと、ことわっておきました。十分ことわってよかったわけがありました。その話も明日。兵役法の書類の日附、貴方からお知らせになることも申しました。
○ペンギンに関する時日ということ。
○初めのときは三月十八日づけのお手紙。二つの本の名が出ていて注文したとき(電話できいて、なかったのを思い出します)。
○二度目のときは五月四日づけ。
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 さて、とおそるおそる帖簿をひらくと(同情して頂戴、すこーしは。二つのエンマ帖ですから)三月二十四日の日附であなたにセッカア・ワーブルグのカタログをお送りして、同日に丸善へ「ホワット・ヒットラー・ワンツ」と「支那におけるモロラア」を予約と書いてあります。五月に先方も届けるのを忘れ、私もついうっかりしてしまったのね。それこそ御免下さい。改めて予約し直しておきます。そして忘れずにおきますから。
 仕事に関しての本のこと、どうもありがとう。お年よりの方は何とか日をくり合わせて参りましょう。それから分りかたよく、というのはハイと云えるけれど、鼻でくくったようなというのは苦笑ね。上に木《き》でとつくの? まさか、ねえ。
 きょうはくたびれて、かえって、お湯をあびつつ、ふと、あなたが肩の上の勲章に何気ない風で手拭をかけたりなすったときの手つきを、何とも云えない鮮やかさで思い出しました。いろいろなところの勲章は面白いこと。
 本月は又なかなかいそがしいから、大いにがんばって、せめて乙下のレコードくずさず働くつもりです。どうかうまくゆくようにと思って居ります。忙しいのも九月上旬、出勤も同じぐらいの日どりですから。
 おや、国男、太郎、ああちゃんと赤コチャンのところからかえって来ました、夕飯私一人でした。だからこれもかけたようなものです。昨夜太郎泣いてね。私たち何を云っても泣きわめいていたら十時すぎお父さんかえって、鯨がアンモをたべたという話をしたら、三分ぐらい眠ってしまいました。実にこのききめと云ったら! この太郎め、と、自分にも同じききめのあるもの思いながら笑ってしまいました。夜冷えにならないようにね。風邪おひきにならないようにね。では又。

 八月十八日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 八月十八日夜  第七十九信
 あれから代々木上原へゆきました。なかなかお見舞にはゆきにくいし、これから先は一層時間がないから。新宿へまわって中村屋でアイスクリームを買って下げて。上原の駅からすぐのところでした。
 家は夏であけ放していて、大連の方に行っている娘さんが三人子供をつれて来ていたりして(おみまいに)賑やかですが落付かない。庭のところで浴衣がけの老人が南瓜の前に佇んでいられるので、まあお庭ですか、とびっくりしたら、ああよく来た、よく来たと御老人すっかりよろこび、そわそわして、部屋へ上ったら、あ、私の太陽が来た、これは私のエンジェルだ、となかなかレトリカルで、こういう歓迎の辞をのべ、且つ握手する礼儀を、あなたがなさらないのは、遺憾千万であると申さねばなりますまい。
 お母さんはこの前お見かけしたよりやつれて居られるのに、却って何とも云えませんでした。この頃はなかなか御苦労様だそうでと申しました。そして、少しずつ一日に何回でもものをあがるように、お茶をのむところはスープをつめたくしておいて、という風にして滋養をおとりになるようにとよく注意いたしました。それでもしっかりして一言の愚痴が出ません。立派なものです。かえるとき私は、御気丈だからよけいなことは申しあげませんが本当にお大切に、といって来ました。本年じゅういかがかというのは出たら目でなく感じました。待つ時間といえば一ヵ年と一ヵ月ですから。秋になって又上りますといって来ました。
 御隠居様になって居られない条件が、ああやってまだあの老夫人を動かしているのです。おじい様は口でいろいろ小言だらだらでも、やはり奥さんを柱として居られる。窓をあけようとしているのを、お前はあぶないから人にさせろと云ったりしている様子は、なかなか心にのこる情景です。なるたけ見舞ってあげたいと考えました。
 芝の方の弁護士の方は旅行中、二十三四日以後に会うことにしておきましたから、どうぞそのおつもりで。それから二ヵ月ぶりで栄さんのところへ行って夕刻夕立の中をかえって来たら(ぜいたくをしてタクシーで)何だか苦笑してしまいました。丸善から三月二十二日づけ御注文のペンギン Book 二冊といって通知が来ているのですもの。けさあやまったのに損をしてしまった、と思って全く可笑しくひとり笑いました。
 伊勢さんのひとの方のことも見当つきましたから、早速そのように相談いたします。兄弟の方々が何とか出来るのですって。そしてその方がやはりよろしいでしょう。困難なことではないのだそうです。でもやっぱり血統とでもいうように大まかなのね。それに台湾だの朝鮮だのですから無理もないのでしょうが。

 八月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 八月二十日  第八十信
 只今電報いただきました(午後二時半)。きょうは日曜日故明日早速そのように手くばりしてなるたけ早く製本させましょう。
 きのう栗林氏に、兵役法についての時日のこと、総目録のこと、期日表のこと、など話し、紙に書いたのを渡しておきました。月曜日に参る由。モオラアの本ともう一冊二冊かペンギンも明日送り出します。実際このペンギンには笑ってしまう。
 きょうはすっかり夏の終りの雨の日という感じですね。稲ちゃん、鶴さんが熱を出してかえっているそうです。子供二人は保田。こんな雨の日、海岸の家で子供たちの心持、考えるとなかなか面白い。私は七つぐらいのときかしら、一夏大磯の妙大?寺という寺の座敷をかりて弟たちとつれて行って貰ったことがあって、そのときの雨の日の気分が思い出されました。それっきり夏の海というものは知りません。あとはよく郡山のおばあさんのところへ行き、一度ほど沓掛かへ行き、一度信州へゆき(これはお話をしに)そんなものです。こういう雨の日にきつくなって肌にまつわりつくような潮の匂い、雨だれのところに這い出すカニ、そんなことを思い出します。虹ヶ浜の夏にもやっぱりこんな雨の日があったでしょうね、そして、きっと独特な一日の風情でしたろう。家の中に足音が大きく響くようだったり、子供の声が響いたりして、雨戸を引いたところもあったりして。あの辺の砂や道やを何となし思いやります。私はなかなか立体的に思いやるのよ、何だか分らないけれどもほんのりとしたやきもちもこめて。心持のいいやきもちもこめて。そんな気持でこうやって葭戸のかげであなたへの手紙を書いている、この雨の日の風情もなかなかすてがとうございます。濡れている梧桐の葉かげに小さい光がチラチラしているようなところがあってね。
 ちょっと舌の上に、一つ追想のボンボンをのせてあげましょう、雨の音をききながら味うおやつのために。私はこっち側に坐って、それを眺めて、眼のなかが爽やかなような心持で笑いながら、どう? 美味しいこと? ときいているそんな心持。大変インティームな心持。
 夏のかーっとしたような、あけっぱなしな汗一杯の季節の終るころ、こういう雨の日があるなどと、なかなか自然も洒落て居りますね。
 きょうは熱いかがでしょう。お大切に。きょうの手紙はパラリとした手紙。詩のようなものは紙に余白をもって刷りますからね、では又ね。

 八月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 八月二十三日  第八十一信
 降りそうなお天気でむしますこと。御工合はいかがですか。今日は咲枝が十日ぶりで病院からかえる日なので、朝からいろいろと忙しく、三時すぎやっとうちへ安着。
 泰子にかける蚊帳を私たちのお祝としてやる筈のところ、出来合が寸法合わず。さりとて、きょう蠅をとまらせてはおけないので、ふと思いついて、お膳の上にかける紗の布をかいました。それに桃色リボンをちょいと結んでつけて。そんな準備してから病院へ行き、かえりに団子坂の途中にある菊そばの前のお産婆さんのところによって、明日からお湯つかわせに来ることをたのみ。
 下で太郎が、すこし赤坊にやきもちやいた声で甘ったれているのが聞えます。ああ、ああ、これで無事に父さんと太郎とをひきついで大安心です。月曜日に栗林氏行きませんでした由。何か直接の関係のあるところに起ったらしくて、大分せかついて居りました。
 火曜日は只行っただけでした。出る筈の人はリョウマチの由。あれはいつでも痛くなるものだというような話でした。きょうは月曜日のかわりに行ったろうと思いますがどうでしたろうか。夜になったら電話かけて見ますが。
 製本屋は一番早いところということでたのんであります。すこしお待ち下さい。四冊が一冊では厚すぎて不便ではないかと思われます、専門家が見て、不便そうならば二冊にいたしましょう。
 さて、これで咲枝もかえって来たわけですが、私は先の手紙に書いたように、九月の初めの仕事が一かたつくまでこちらに居るつもりです。丁度忙しくなりかかって、かえって又たった独りは閉口ですから。この十月から、三十五歳までの人を雇うに大臣の許可が入用となります、女中さんもそのうちに含まれます。寿江子が八月のうちにかえるそうですから、あのひとの都合もよく相談して、これからの暮しかたを考えます。私は一人の暮しは望みません。いろいろやって見て結局そう思いますから。ねえ、私たちの本質的なたっぷりさというものをなみなみと現実に活かした暮しぶり、簡素で活々として、勤勉で、淋しさを感じない生活をつくりたいと思います。それにはなかなか工夫というものがいります。何しろよく話題にのぼるように、常に次善的なわけですから。でもユリはまめに工夫して、その次善的なものをも、私たちの本質的なたっぷりさをうつすに足るものとして、つくって行きとうございます。
 明日は『婦人公論』のために、友情について二十枚ばかり書きます。『中央公論』に天野貞祐という新カント派の先生が、よい友情にめぐり会うことは運命的という風に云って居ります。人間の交渉のなかに生じる極めて複雑な、有機的な必然のあつまりが結果する単純さというものは、生活的なものなのね、哲学ではつかめないところを見れば。女としての私にある一すじな心、それは一見何という単純さでしょう。まるで近松が描いたリリシスムのようでさえあります。しかし、その一筋にこもるものの複雑さの比べるもののない条件はどうでしょう。その複雑さの隅々までを知りつくし評価しつくしていることからのみ生じる全く揺ぎようのない単一さ。これは実に面白い味いつきぬところですね。ああ、いつか「宮本武蔵」のなかのお通の「ただ一こと」をお話しました、覚えていらっしゃるかしら。友情だって土台は同じです。友情なんかを架空的なロマンティシスムでいうのは誤っています。所謂ロマンティシスムでもてる愛などというものは、この現実に只の一つもあるものではないのですものね。
 栗林氏のところへ電話したらまだ帰宅せず。様子分りません。八月は外に用事なし
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