驍ナしょう。風邪をひかなくなれば大いに助かります。
 就寝は、(ああ、又エンマ帖よ)七月四日、五日、これは例の通りの理由で一時ごろ。十五日の夜、咲枝が病院へ行くのを送ってやって、十一時半。あとは大体十時―十一時の間です。尤も二十五日六日は二日つづきのような形でふらつきましたが。七月はじめ、あなたが書いて下すった標準で行くと、丙が一日。丁が二日。乙が二十五日。あら珍しや、甲も甲上が二日ですが、この甲上は本質的には丁以下なわけです。おなか通したり、へばったりしていたのだから。林町も今は咲枝がなるたけ早ねをのぞんでいるし、随分やりよい条件です。書きもののためにも徹夜はしないを原則にして、本月にしろ、きのう迄でも十二時越したのはたった二日です、四日、五日。これは全くましだと思います、認めて下さるでしょう。それはそうなわけね。お客はない。台所のことはしないでいいのですもの。家居の日は仕事していられるのですものね。
 さて、読書のことは、小さくなって書きます。百二十頁。まことに点滴ですが、すこしで二巻目終ります。どうぞあしからず。
 きょう、一つ書きたい小説のテーマ心に浮かびました。家庭家族の内のこととして印象的に書いてゆけばいいでしょう。もうすこしまとまったらきいて頂きます。四五十枚のものでしょう。まだポーッと一つの中心をもったものが浮かんだだけでまとまってはいませんが。どういう風に(時間を、よ)書くか不明。十五日から又出勤ですから。九月七八日に書き上げたいから。今日の人生の現実の中でよく生きたいと思っている若い勤人夫婦、その妻の親たちの考えかた。勤先の人々の心持。そういうものをかきたいのです。今の立身(流行)の妙な波動の中で。貧乏が貧乏としてだけにしか見えず、安心してすじの通った貧乏していられないような空気の中での、子持ちの若夫婦の心持です。その心持の内からかいてゆきたいと思います。いろいろのディテールを添えて。
 この頃いろいろ自分の作家的特質というものについて考えます。私は気分から書く作家でもないし、独白の情熱でかく作家でもありません。又、女、女、女、と執したところもない。書きたいところは、やはり今云ったような心持に向きます。小説が書きたい心つよくて。全く、この間『文芸』に「求められている小説、或は小説にもとめられているもの」について書いたように人生的な共感のふかい小説がほしゅうございます。そういうものが書きたい。この人生に何かを求めて生きている人々の心にふれるような、ね。悧巧な小説、うまい小説、しゃれた小説。文学上のおもちゃはほしくない。そういう点でトルストイはやはりいつ迄たっても偉い男であると思わせます。
 では明日ね。明日火曜日、ではお大切に。

「夏の庭の小さい泉」の話ね。世の中にはいろいろの共著があると思います。けれどもああいう作品は、そういくつもあるまいと思われます。
 朝早く、涼しい光の満ちた庭で、段々泉が目ざめて行って、しかしまだ半ば眠りがうっとりとそこにのこっているようなとき。もっと早くおき出して溌溂としている鳥が一羽、そのふちに来てとまり、はじめは何となくそっと、やがて自分のやさしさに負けて、荒々しいよろこびにあふれながら、下草のまわりに飛沫をとばし、瞼をふるわせつつ水浴をする光景。そのときの小鳥の姿、そしてそのときの泉の様子!
 その美しさを話すとき、私の声はひとりでにかわる程です。あなたの手をとって、そして話すような美しさ、ね。勿論、大切に大切にしてあります。

 八月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(はがき 速達)〕

 弁護士の件につき
 お話のひと住所その他わかりまして問合わせたところ旅行中、一週間ほど後帰京の由です。それから『医典』、十二年版のしかなく本屋も古すぎると申します、月末まで待った方がよろしそうです。とりあえず。

 八月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 八月九日  第七十五信
 八月四日に書いて下すった手紙、八日朝、そちらへ出かけにとどきました。間に土、日があったせいでしたろう。第六信です。けれども、七月二十五日に速達下すった分は別として。それを入れれば四日のは七信目でした。百年河清を待つには恐れ入りました。私は、待って待って待っていると、ボーとして御飯の仕度するのを忘れて待っているというようなところがあって、この間の手紙、つい用向についてぼんやりしてしまってすみませんでした。話すべきこと、つたえること、勿論ノートにしてあります。そしてやっているのだけれど。
 さてきょうはそういう方を第一にね。弁護士のひとの件。住所はやはり代々木上原でした。事務所は麻布区材木町一〇です。会う都合きいたら旅行中で一週間ほど留守の由。
 義兄に(娘[#「娘」に「ママ」の注記]さんの良人)山口さん[自注27]という人があって(芝の角の家)その人も弁護士であるそうです。もしいそぐならばその人に紹介してもよいということですが、即答は私に出来ないのでお目にかかって(あなたに)きいてから、ということにしました。旅行中の人は第二東京弁護士会所属です。山口さんという人のことも、すこし分らせようと思います。
 あの家では、御老母[自注28]が胃ガンで秋まで保証出来ぬとのことです。気丈な婦人なので起きて出歩いてもいられるそうです。まだ二年ありますが、待ちきれずゆくというような歌をよんでいられるそうです。老人は元気だそうですが大変です。いろいろとお察しいたす次第です。医者の診断も咲枝のような例もあり、もし二年待てれば、実に僥倖でしょう。おみまいいたします、近々に。
 それから『医典』の件。古本屋へ行って見ましたがあるのは十二年版です。これでは診断には大した変りはないが、新薬などまるで役に立たぬ由。買わずに来ました。本月末に出来るのを待った方がよさそうです。それは、いずれも速達のとおり。朝日の方はまだ返事ありません。大森の方申してやりました。栗林氏の方は今明日中に。大森の方十分はっきり申してやりました、今度は。
 おや、又雨になって来たこと。これはしずかな雨ね。木の葉をうつ軟い雨の音。机の上には、アボチンがとって来てくれた蚊帖つり草、猫じゃらし。水引の花。山|牛蒡《ごぼう》の花とまだ青い小さい実の房などがささって居ります。きのう、アボチンは根岸のおばちゃん(春江。咲の姉)と、よし[#「よし」に傍点]という女中さんにつれられて、生れてはじめての独り旅! で茅ヶ崎へ行きました。一日海で遊んで夜かえって来ました。けさ、大キゲンでおきて、私が「アボチン、アッコおばちゃんのお机の草、もう古くなったから又とって来てよ」と云ったら、大得意で、「もうとって来てあるよ」と見得をきりました。離れの前が草蓬々なの。そこからとって来るのです。それが机の上にささっています。こういう面で考えると、私が目白で一人で暮している暮しが、こまごました日常のなかで与えないものの少くなからずあることを感じます。
 けさは、ひるすこし前からはじまって、二十枚ばかりの原稿になる口述しました。『婦人画報』一問一答。若い女のひとの生活について。二十枚ぐらいそのまま文章になるように話すのはくたびれます。咲枝、もう出産が迫って来たので重さや何かで腰が苦しがっている、それをすこしなでてやって。そしてまことに奇妙な手紙よみました。岡山の一人の女のひとが、お金を三十円かりたいのですって。いるわけは云えないのですって。詐欺でないことはたしかなのですって。無学とかいてある字は少くとも女学校は出て居ります。山本有三のような作家、さぞひとり合点な手紙よこされるのでしょうね。こういう手紙には返事も出しかねますね。
「ユリ、元気そう」と云って下すってうれしいと思います。
 おかげさまで、よ。尤も深い豊富な内容での。様々の深い感想をもって、益※[#二の字点、1−2−22]それを深められながらユリが元気で今日いるということには、ひとかたならないものがあるわけですから。この間或座談会(映画の)でとった写真が『読売』に出て、小さいちょこんとしたのながら扇を胸のところにもって、いかにも心持よさそうにしていると、わざわざアミノさんが、あの写真ないかときいて来ました。寿江子も見たと見え、そのこと云ってよこしました。おかげさまで、とそれをお目にかけとうございます。
 この頃よく思います。私は作家であって何と仕合わせしたろうと。そのことを、全く妻としての生活から屡※[#二の字点、1−2−22]思います。私たちがそういうものであるために、生活のいろいろな面を、何と手のうちからこぼさずに生きて行けることでしょう。それによって生活をうるおされ、やさしくされ、新鮮にされ、きのうは更にきょうであり、そしてこの今であるというようなものを、のがさないで生きて行かれることでしょう、ね。
 詩人たちの秀抜な感覚や手法を、そのまま私たちの生活に生かして、溢れる詩のなかにひたれるのはうれしいことです。そういう美しさがなかったとしたら、失われたとしたら、私はきっと、ユリは元気そうでと云って頂けないでしょう。詩の歴史が回想されると云われて居ります。けれども、芸術の神通力は、それをこの瞬間にもたらしますから、だから、作家であってよかったと沁々思うわけです。それは全くリアルです。一刹那の耀きでも、ぱーっと景色と色調と交響する音の全部が見とおされます。そういうたのしさ。そういうものが生活をいやし、新しくする力、それは実に大したものです。そうお思いになるでしょう? 年毎にそのことがわかって来ているでしょう? より深い休息とあなたがよんでいらっしゃる、その通りね。私たちの生活の中で、それは決して決して過去の文法では語られません。これも何といとしい私たちの現実でしょう。そういう点でも、ユリは、お互にとっていい芸術家になろうと思います、こんなに自分たちの生活を愛していて、そして、ねえ。
 床に入って、雨の音をききながらやすみます。
 明後日お目にかかります、お大切に。あら、土曜日ね、ではもう一日さきになります、本当にお元気で。

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[自注27]山口さん――山口弁護士。
[自注28]御老母――蔵原惟人の母。
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 八月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書 速達)〕

 八月十一日  第七十六信
 日本橋の東洋ケイザイへ行ってハンケチ忘れて行って、フーフーになってかえって来たらお手紙。(九日づけ)大いにニヤリといたしました。というわけは、珍しくもあなたからのお申しつけの方がほんの一足あとになったわけですから。大いに気をよくいたしました。本のノートなんか勿論ちゃんとしてあります。『医典』のところには未決の赤チェックがしてあります。
 さて、用事だけをとりいそぎ
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一、『経済年報』昭和八年度 第十二輯―第十五輯揃いました。
一、『朝日年鑑』九年版、十年版揃いました。
一、『朝日経済年史』これは目下親切な人が大阪の社へ問合せ中です。大観堂の方はまだ。
一、『医典』については「速達」ハガキに申しました通り。大正十二年版ではひどいと本やの話です。いかがしましょうか、本月末まで待ちましょうか。
一、弁護士のこと、代々木の方はハガキで申上げました通り。伊勢氏はまだ行かないそうです。栗林氏には、先方がまだ会っていないそうだからもうすこし経って、と云いましたらあなたが、直接本人に会って欲しいと云っていらしたとのことでした。土曜日におめにかかって、どうするか伺いましょう。伊勢氏は、父親を知っているし子供のときから知っていて情において放っておけないが、その情に立って自分の云いたいこと又自分としてそうとしか云いようのないようなことは、本人は云っても貰いたがらないのだし、と大分閉口のようでした。具体的な点で、誰にでもわかるひとり合点を注意してやるということは、勿論必要だと云って居りそのために会うと云ってはいるのですが。
一、勉強の表、その
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