ワす。どうしようかナと考えながら、先ずこれを書いて、というところ。明治四十五年頃を青年時代で送った人はどんな心持で回想するでしょう。左団次と小山内薫の自由劇場の公演のとき、三田文学会は揃いの手拭で総見し、美術学校の生徒は赤い帽子の揃いで見物して、左団次も舞台でそれをかぶった由。今の小宮とかいう人々はきっとそういう時代の空気のなごりをもっていて、芝居に愛好をもっているのでしょうね。
 福沢桃介が目黒の方に、洒落た丸木小舎の外見の小劇場をもっていて、そこでストリンドベリイの「令嬢ユリー」をやったのを見たのが思い出されます、大正三年頃。私は大きいリボンつけて、緋ぢりめんの裾のついた着物着て。新生活をもとめる女のひとの間に俳優になろうとする気運が旺《さかん》であったということも時代の空気だったのでしょうね。上山浦路(草人の妻)は女子学習院出身で、学校は除名した由。そんな時代。
 福田英という民権時代のお婆さんが、「新しい女」の問題にふれて書いているなかで、男女同権の内容は大ざっぱながら、その同権の可能にしろ、どういう客観的条件がなければならないかという歴史の進化を、はっきりとした表現と方向とで書いているのは面白うございました。らいてうの「太陽なり」は人生態度で人生問題であって、婦人問題でも社会問題でもない、と云っているのは、筋がとおっている。それでも『妾の半生』(改造文庫)では、この人は自身について割合客観的でないのにおどろかされますが。彼女は「若き日の誇り」をずっともっていたらしいから、その故で却ってそうなったのでしょうね。まだ出かけるかどうか気がきまりません、大変愚図だね、とお思いになるでしょう。では。

 八月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 八月二日  第七十三信
 今、午後の四時半。あなたは何をしていらっしゃるところでしょうか、けさは国男さんの出るとき一緒に出かけて今まで上野でした。おべん当をもって行くのを忘れたので、おひるぬきで今までいて、大ぺこでかえって来て、おそい昼を終ったところ。夕立がやんだ後としてはむしますこと。八十二度で低いのだけれど。
 今、何をしていらっしゃるでしょうね。体をしずかにしながら読んででもいらっしゃるでしょうか。私はそこへ行き、ベッドの横のところへ、頭を休めて、わきの床へ坐りこみます。ずっと読みつづけていらしてかまわないの、私はそうやっていれば気が休まるのだから。もし片手で重くないものなら、あいている方を、頭の上へのっけていただけば。何といい心持でしょう、こうやって凝っといるのは。
 読みものは進んで居りますか。あとも届いて居りますか? 私の心持も、大方あなたの一日の大部分がそこを通っているだろうと思われる一つの流れのなかにあるわけです。そして、いろいろの瞬間を思いやります。今は切実に思いやることが出来ます。
 そして、自分の仕事も考え、いろんなものをよみ、一日の〓〓幾度かあなたに何かしてあげたくて掌がやけるように感じています。ほんの一寸したこと、一寸したこと、ひとこと、どう? ということ。一寸コップに一杯つめたい水を。ねえ。これらの欲望の一つ一つは何と小さいでしょう。でも何とあついのでしょう。小さい火でしょう。そしてこういういくつもの小さな火は輪になって私たちをとりまきます。夏でもこういう焔の色はやはり鮮やかで美しい。
 今は夜の七時四十分。一人食堂のテーブルに居ます。皆は霊岸橋のよこの大黒屋という有名な鰻やへ行きました。関東からかえって来た豊寿さんという倉知の従弟をもてなしに。私は面倒くさいので失礼。それに仕事の下拵えもあるし。テーブルは薄黄色い地に薄みどりの縞のあるオイルクローズで被われていて、ガラスのビールのみコップに青々とした猫じゃらしがささって前にあります。これは、太郎があっこおばちゃんの御勉強机のためにさっきくれたもの。羽蟻が昨夜あたりはうんと来たがきょうはすっかり減って居ます。
 きょうは図書館がこんでいてね、割合となりとくっついていたら、隣りの女のひとしきりに私の手許をのぞいて、くすぐったくて仕方がありませんでした。その人は何かノートにどっさり書いたものを原稿紙に写しているの。そして写し終った部分はノートを四つに裂いて、ビラビラしたのれんみたいにしているの。妙な気持がしました。まるで見知らない女の人に挨拶されてびっくりしたら、それは連合婦人会というところの機関誌の編輯をしている女のひとで、何か書いてくれとのこと。それはよいが、御勉強でございますかって、いきなりつんである本に手をかけて背を見て曰ク「おや、懐しいこと!」それは四十五年―大正二年頃の『青鞜』なの。おなつかしいってその頃大人になってもいなかったろうのに、と又びっくりしてしまった。吉岡彌生女史の伝記編纂の仕事の由。いろんな妙なことがあるものです。
 六日までに一区切りまとめ、次月の分も十五日迄にまとめてしまうつもりです。小説も書いた方がいいのですが、今の私の心持の主流は御承知のようなものですから、そういう作家の人生感情の基調の上に不調和を感じず、しかも外部の条件に適した題材というものがそうざらにはないので、思案中です。『中央公論』で十月にと云っているのですが。『文芸春秋』の「その年」の代りもまだだし。小説というものに求めているものが、私の心の中では益※[#二の字点、1−2−22]深い濃い、些細ならぬものとなって来ているのです。あら陰翳《かげ》が〔約三字不明〕あら、晴れた、そんな風なものでは辛棒出来なくな〔約五字不明〕むずかしい、自分にとっても。今毎月つづけている仕〔約三字不明〕今度大正五年迄。それからの分に次の十年。それからの分に昭和の十年間。それから現在に到る部分。もう七八十枚以上かかるでしょうから、それが終ると、私はどうともあれ「雑沓」のつづき書きはじめそうです。ためておくものとして。あなたに向って、評論と大きな顔も出来ないからマア感想めいたものとしても、そういうものにしろ、やはり婦人作家として生き、善意の生活をねがっている者としてしか書けないものを、まとめられれば、やはりすこしはうれしいところもある。「時代の鏡としての婦人作家」大きい題はこうね。黙りこんで、ひっこんで、ムシムシ仕事がしたい。勉強したい。そういう心持です。明治以来の日本文学の中で、婦人作家ののこしている足跡というものは小さく、まばらですが、実に独特に悲痛〔約五字不明〕もっていると思います。女のおかれている社会事情の〔約六字不明〕が実にてりかえしている意味で。ヨーロッパの婦人作家〔約五字不明〕りの通俗作家と数人の文学的作品の作家とを出しています、少くとも二十世紀に入ってからは。ところが日本では、女の通俗作家というものは吉屋など以前には一人も出ていず、皆、育ち切らない作文のようなしかも真面目な(主観的に)文学作品をつくろうとしていた(明治四十年以降)。ここにはやはりなかなか人生的に、そして社会的に日本の女のその時代と層とのありようの特殊さがあります。ものを書きうる女の層のせまさもあらわれていて。全く所謂中流的なものですから。そして、ものを書いて行ける才能そのもののために社会の歴史の歪みにひっぱりこまれた俊子のような華美な悲惨もある。この時代は複雑です。そして又面白い。この時代には女の入り乱れた跫音が響いている。やがて市子が大杉を刺したのをクライマックスとして、新人会の時代が展開されて来て、文学は一つの〔約五字不明〕女の世界の中に於てもあけるわけです。
 こういう歴史の見とおしで見ると、自分のありようも広〔約五字不明〕ら見晴らせてなかなかためになります。うぬぼれたいにもうぬぼれられませんものね。四十年代の、若い女がどっと芸術の分野にきおい立ったのは、大局から見ると一つのリアクシオンです、丁度国会開設がきまった後、青年が法科からどっと文科にうつった、紅葉なんかの時代、それにやや似ています、売文社の時代ですから。売文社で一脈を保とうとした時代だから。
 自然主義が文芸の上に一つの道を建てたというより多くの流派への一つの門をひらいた形となったのも、日本としては独特の自然主義、つまりはロマンティシズムの変形であったようなところ、いろいろと面白く思われます。あの時代の天弦氏の評論も新しい味で見ました。では又ね。

 八月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 八月七日  第七十四信(これは九枚あります)
 ひどい嵐があったせいか、今日の日ざしや風の音は秋が来たようですね。空も。こういう乾いた木の葉の音は本当に秋を感じさせます。
 二日づけのお手紙、五日につきました。ありがとう。目玉くりむいていたので、返事申上げるのおくれました。「入り乱れた羽搏き」32[#「32」は縦中横]枚終ったところです。但徹夜はいたしませんでしたから。(大正三年ヨーロッパ大戦ごろまで)
 丸善の本のこと。私もほしいと思って居りました。六章加入の方も欲しいこと。先の本ではレオンの流派の影響がどんなに複雑に作用するかということについて、著者は単純に現実を見て居りました。そういうこともどう成長したか。やっぱり欲しいと思います。今日では、アメリカと日本との距離は全く地理で習ったような標準ではないのね。一冊も来ません。きいてやろうと思って居ります。『ウスリー物語』まだです。
『医典』の方はまだ品切れ。どうかもう少々お待ち下さい。年鑑類は社会にいる人にたのんで貰うよう重治さんにたのみました。今に有無がわかるでしょう。金曜日に栗林氏行くように云って居りましたが、いかがでしたろう。雨でしたが。
 それからこの間お話の謝礼のことについての処理の方法など、私はあのとき、自分あっさりすぎるとしみじみ思いました。何かを対手へなげかけてひっぱるという風なところがないのね。チョコチョコ行って、あなた来ますか? ソウ? 来るんですって。それ式ですね。私はどうも、いつも対人的ないきさつではあっさりすぎるようです。大変フームと思いました、あなたについてもよ。面白く思いました。
 規約のこと、筆耕テンポのこと、承知いたしました。規約は又写しましょう。その方がはっきりしてようございましょう。芝のおじいさんのところへ行ってしらべること、まだあれからは行けませんでした。
 書評について、どうもありがとう。云われていることよくわかります。そんな風が気がしました。そういうところが目におつきになるのではないか、そう思いました。自分で読みかえしたときにも。今に又なんかの折、すこしはましな書評でもおめにかけたいものです。しっかりした骨格を内につつんで、ふっくりとした肉つきのつよい線のものが書きたいことだと思います。
 今書いているつづきのものについてはそういう点も自分から気をつけているつもりです。底へ底へとふれてゆく、その感じで書いているから。単行本にする話が出て居ります。あれだけ。文庫にでもすればよいでしょう、とにかく多く不足の点があり、外部の事情から全面の展開のひかえられている箇処もあるけれども、ああいうものはこれまで一つもないのだから。社会の状況、その生きた関係で見られた文学の潮流、その中での婦人作家のありよう、それが又再び、当時の歴史へと照りかえりつつ進んでゆく姿としてとらえられることは、何かの価値はあるでしょう。
 二十五日には工合わるくて行けませんでした。二十六日もそのつづき。ユリの体も、しかし盲腸なくなって、どの位ましでしょう。この頃の出勤のつかれるのは、只時間とか何とかではないのでしょうと思います。ぐるり、どっち見ても普通人はチラホラという中にかこまれていれば、やはりくたびれかたもちがうというようなものです、二重の刺戟みたいなもので。二十五日のあとは七、九と出かけました。
 冷水マサツは、やる癖になりそうです。ずっと続いて居ります。問題は初冬、晩秋ですね、きっと。そこを通ればきっとつづきましょう。それでも、ユリは真冬でも朝晩つめたい衣類、すっぽり着かえる習慣だから或はやり通せ
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