ハがある。そういうことをよくいうが、やっぱりこれもいわゆるリアリズム[#「リアリズム」に傍点]です。偉さの種類、普通さの種類、それぞれが内容にふれてはとりあげられないまま、多元的にいわれたりして。前の女の場合を仮りに云えば、その女のひとの稚ない善意にたかったバチルスこそ、見のがされないものなのだから。
考えること、感じることの多いこと、多いこと。何と多いでしょう。「貧しき人々の群」、「伸子」、「一本の花」、そして「雑沓」とともに今日を経験しつつあるということ。そういう過程について考えます。そしてニヤリとする。あなたが去年、わたしが、「雑沓」を、書くべきように書けている筈がないんだときめつけていらしたことを思い出して。去年そういわれたことが当っているということが、いまになってまざまざ分るから、わたしがそういえば、あなたにしろ、やっぱりニヤリとなさるところもあるでしょう? 書くべきように書けないという範囲での自覚と、そこを一歩出て、では、どんなところで(心のありよう、ね)書けるかと会得されるということとの間には断然ちがうものがありますから。
作家の独自性[#「独自性」に傍点]ということについて、深刻に考えられます。これは去年の秋、親しい女友達の家庭にある紛糾がおこったとき、私がひどくびっくりしたり、いきり立ったりして、あなたが、なんだまるで自分の亭主でも云々とおっしゃったことがあったでしょう。おぼえていらっしゃるかしら。ああいうことにもむすびついているのです。あの折、あなたは感情の節度という点からいっていらっしゃいました。でもその根は、やはり、作家の生活ということに即してつきつめてみると、自主的(作家としての)に関係していると思われて来ました、この頃。或る時期女二人、一つ財布で暮したような生活、そこにあったプラスのもの。それからやがて生活の条件がかわってきて、それぞれ自分の配偶との生活で目に見えぬ変化を徐々に経つつ、自分の善意もめいめいその生活の現実の条件に立って活かすしかないということについての十分な自覚。それが今日の私と友達との信頼のありようの実際ですが、去年の秋はそこまで行っていず、やはり一つ財布で暮した時代の気持が中心にあったのですね。
文学について云えば、作家としての共通な立場の一般性に一緒に立っていたようなところがある。こういう変化も、意味深いと思います。こういう変化が成長の過程に起ってきて、しかもそれをあり来りの自分は自分という形にかためず、相手の独自性(よかれあしかれ)そこから生じる様々の格闘の必然としてプラスの方へとらえてゆこうとする努力という意味で。そういう努力ではじめて、孤立化ではない箇別の価値が生じるわけですから。
ねえ。この夏一つの暮しかた、それが、どんなに時々刻々の内容となって、作家としてのそういうものに作用し実質化してゆくかと考えると、この作家の独自性ということが、なお重く、新しく呼びかけてくるわけです[自注26]。
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[自注22]日比谷は休みになります――東京刑事地方裁判所のこと。公判をふくめて。
[自注23]三日――宮本顕治の公判出廷の日どり。
[自注24]三人の人たち――弁護人。
[自注25]きく顔々にもあらわれるから――当時傍聴席のベンチは、検事局関係者、警視庁特高関係のものだけで埋められていた。公開の公判廷であったが、警視庁の拷問係として知らぬもののなかった栗田という刑事がはっていて、家族のほかに傍聴に来るものを、いちいちしらべ、いやがらせをした。そのために、傍聴者は家族のものと言っても、継続的に来るのは百合子一人、あとは、ときに応じて同志袴田の妻、秋笹の父兄という有様であった。
[自注26]呼びかけてくるわけです――公判がはじまって、勤勉に傍聴したことは、百合子にとって、思いもかけなかったほどの収穫となり、内面の階級的成長に役立った。
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七月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
七月三十一日 第七十一信
さて、きょうは又この手紙を上野の大きい埃っぽい机の上でかきます。少し風があってしのぎよいようですが、そちらはいかがでしょう。昨夜珍しくねまきを着かえないで眠れたので、今日は体が楽です。一日外にいるときと家にいるときとそれだけちがうのでしょうか、それとも気候か。よくわからない。
けさはデパートのあく時刻に松坂屋へ行ってあなたの上布をかって、すぐ下の郵便局から速達にしてお送りしました。それから上野へ来たわけ。着物待ち遠しくていらしたでしょう御免なさい。その代り今召しているのよりずっとシャッキリして着心地よい筈です、大いに優待したのですから。
あなたはここへあまりいらしたことないでしょうね。婦人閲覧室はどこかの通路に沿ってあって、今日は風が通るようにドアをあけはなしてあるから、口笛ふいたり、靴のがたがた通ったりする音がやかましい、ここは、借りて家へ持って来るには、土地家屋・不動産を所有する人の保証がいるのです。不動産とは面白いこと。
寿江子がエハガキお送りいたしました由、つきましたか。どんな絵よこしました? 明るい色彩? 私の方へは板の間にゴザがしいてあって炉の切ってあるお住居のスケッチをよこしました。八月末に一寸かえって十月までいるとか何とかまだ不定です。寿江、糖の方から呼吸器になりかかったからそれですっかり用心しているわけでしょう。お姉様も三四日是非来いと云って居ります。ひとの気もしらないで。知っているつもりなのですが、やっぱりつまるところ知ってはいないから。太郎は今年海水浴第一課をやる予定のところ、ああちゃんがこういう有様なので、きのうは庭の日向に大きい支那焼火鉢の灰のないのを出して、そこへ水を入れて、泥水の中へ海水着着て入ってよろこんでいるのを見て、そぞろに哀れを催しました。海をみせてやりたいと思って。ところが私はうごけないし、女中さんでは不安だし。遂に太郎は本年泥水ジャブジャブで終るのでしょう。稲ちゃん一家もう保田へ行ったかしら。行かないにしろもうすぐでしょう。本年は鶴さんも行く由。それはそうでなければなりません。保田はあの一家に些かの健康をもたらしはしたが、稲子さんの心の苦痛は保田と全く切りはなせない。保田に行っている、その間に、ですから。女のそういう心配というものは深く考えると何とも云えないものですね。ひどいものね。子供を海に入れてやっている間。赤ちゃんを生んでいる間。その間にもなお深い女の、妻としての心配、不安があるなんて何だろう、と思いますね。
きょうはここ若い女学生が多うございます。全体すいているのだが。これからすこし古びた雑誌をよみます。では又あとで。すこし倦きる。すると、煙草のむようにこれをあけてすこし書いて休むというわけです。
ここに一寸面白いことがあります。明治四十一年秋水が、翻訳の苦心を『文章世界』に書いていてね。ブルジョアジーというのが適当な訳語が見出せず、枯川と相談した結果「紳士閥」とした、というようなこと。「それにつけても明治初年から、箕作、福沢、中村などという諸先生が、権利とか義務とかいう訳語や、その他哲学、理化学、医学などの無数の用語を一定するのには、如何に苦心を重ねたかが思いやられる」と。ごく些細なような、しかも何と面白いことでしょうね。
それから漱石はナチュラリスムとロマンチシスムを、歴史の時期によって対生にかわり番こに傾くのがノーマルだと思うと云っているのも面白いと思います。いかにも英文学ね、英国の議会のような(今度保守党、今度自由党)式。そして「或場合にはこの二つの傾向が平衡を示す」などと云っている。これも面白い。対生とか平衡とか当時としてはフレッシュな用語をつかいつつ、この時代には科学的分析というものは全くされていないのですね。例えばロマンティシズムの社会的原因など。いかにも漱石らしい。互に交り平衡を得るなどというところ。彼の境遇とてらして。
あまりのどが乾いたので何かのみに食堂という方へ行ったら、まるで迷路のようで、昔小さかったときこわい思いをして通った婦人室の廊下の方の、まだ先の、そのまだ先の、太郎の話のようにくねくねとしたところの先にひどいのがあって、婦人席と書いた[#図12、看板の絵。二等辺三角形の下に縦線]黒ヌリが立っているのには失笑を催しました。
『青鞜』の第一号にあるらいてうの文章というものは実におどろくべきものですね。ああいうものがともかく一つの影響をもった時代という点にある興味、意味だけです。彼女が大本教になった[#「なった」に傍点]と思ったが、既に当時から一種の神がかり風なのであったのですね。
きょう一日だけではすまないらしい。又明日も来なければならないかもしれません。では又明日。これは図書館のすぐ前にポストがあってね、そこへかえりしな入れるのです。
八月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
八月一日 第七十二信
二十九日づけのお手紙、間に日曜がはさまったので、けさ。どうもありがとう。赤子ちゃんの名前のことも。本当にそうね。国男さんたちも、それはわざわざどうも、と恐縮がっていました。男の子の名前、こっちで考えていたのにやはり雄や陽がありました。女の子の名の字は、私とするとおのずから特別な深い感じで見るところもあるわけです。真咲子などと字はいいことね。でも音《おん》は雅子に通じ、どうも些か。詩という字もつかっていらっしゃる、そう思い、くりかえし眺めました。
昨夜の雷いかがでした。久しぶりだったのでこわいよりも見事でした。丁度八時すぎ上野からおなかぺこでかえって来て、夕飯たべていると、はじまりました。けさ新聞を見ると落雷二十余ヵ所ですって。そうでしたろう。稲妻というものの凄《すさま》じい美しさをあれだけ発揮すれば。床上浸水が六百余戸。床下三万余戸。旱バツの地方へも降ったのならよかったと思いますけれども、これは東京近傍だけだったのでしょうね。本当にあやういところをかえって来たと話し合いました。上野の山の中であれに会ってはテムペスト的風景すぎて、きっとこわかったでしょう、どんなにか。
本の話、二十九日に会ったとききいたらそうでしたって。自分が参考として持ってゆくとの話でした。大観堂さがしているそうですが、年カン、年表類、古いのはなかなかない由。きょう山屋へ行って見ましょう、そして、あったのだけでもお送りいたしましょうが、どんなことになるか、あればよいが。
お母さんのお手紙、あなたとしては又御感想がありますでしょうが、お母さんには真実と虚構の区別がいくらかつくだけもおよろこびだろうと思いました。百四十度は本当に息つまるようでしょう。
平静専一が効果をあらわして実にうれしゅうございます。こうして手紙下さる、原稿のようにすきすきでも、でも手紙下さるからは、きっと幾分ましだろうと思い、二重にうれしい。その上にも猶々お大切に。てっちゃんのところではおくさんと赤ちゃんが仙台で、猫とさし向いの暮の由。ハガキ貰いましたから、あなたからおことづての本のこと、云っておきました。伸ちゃんのお友達の家は存じません。あのひとは先日話していましたが、すこし神経に障害をおこして二度入院したのですって。可哀そうね。今はいいらしいが。自分でそれを意識しているところがあるので、そうだったのでしょうが、はじめ私、何だか普通の人より堅くて、どういうのかと思いました。あなたはでも、そのことにおふれにならなくていいのでしょう、きまりわるいという風に感じているらしい様子ですから。
きょうのお手紙の字、丁度原稿ぐらいね。夏ぶとんの工合いかがですか。かけていらっしゃるところ、ポンポンとたたいて上げたいこと。おはつ、と云って。この次お目にかかる折はきっと、お送りした方の白いの着ていらっしゃるでしょう。あれは能登半島の方で織る上布です。ああいう織物も来年はなくなります。
きのう長い時間上野でねばっていたので、きょうは少々出足がしぶり
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