邇vい出した。あなたは、髭がちゃんとそれたかどうかをしらべるユリ独特の方法、覚えていらっしゃいますか。
今葭戸が机の前にしまっていて、外に青桐の葉が嵐っぽい風にもまれているのが見え、手摺のところで、紫のしぼりの紐が吹かれています、いつもユリが帯の下にしめている紐、さっき洗ったのです、なかなか汗にしみるから。薄紅いタオルも同じ手摺で風にふかれています。このタオルは夜の汗ふきよう。この頃はあけがたの四時頃、背中がひーやりしてきっと目がさめます。ねまきの汗でぬれたのがつめたくて。そこでおきて、すっかり拭いて、ねまき裏がえしたり着かえたりして又すこし眠る、そのときつかうタオル。どこかで大きい音のラジオがきこえて来ます。防空演習では本年も何人かの命をおとしましたが、咲枝が無事医者に行けたのは幸でした。
この次は八月一日ね。石菖《せきしょう》どんなのが行きましたろう。水を打つといくらか空気もしのぎよくなるかと思って。見た目に露があるだけでも。本当に本当にお大切に。
七月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(はがき 速達)〕
『日本経済年報』の昭和八年度の四冊は第十二輯から第十五輯に当ります。只今出ている十四年度前期(後、二冊目)は三十七輯です。とりいそぎ用事を。どういう風に送るかということをどうか栗林氏におことづけ下さい。暑さお大切に。
七月二十六日ひる
七月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
七月二十八日 第六十九信
二十六日づけのお手紙をありがとう。パラパラと書かれていても、それにはやっぱりあなたの声や体が響いていて、くりかえしよみます。
一昨日おめにかかったとき、余りこまかく体のこと伺っているひまがないようでした。どうかどうかお大事に。今年は全国的旱バツで、しかも空気はしめっぽくて、妙な夏です。チフス大流行の由。私はチフスだけは願い下げですね、忽ちだから。少くとも、あなたにとって私が何かの役に立っている間は、チフスで死んでは相すみませんから、食物には気をつけましょう、大体、いつも気はつけているけれど。本当は、一昨日ね、私は暑気に当って大下痢をしてね、あすこにかけていて、すこしおとなしくなってしまっていたのです。お気がつかなかったでしょう? おかゆたべて、寝ていました(かえってから)。そして、アドソルビンをのんで、げんのしょうこをのんで。そしたら、きのうは大分よくて日比谷に出かけ、もう今は普通です。ほんの一寸した当り。でもそちらの待合所で、胃ケイレンをおこして白いもの着た人から注射して貰っていた男の人がいました。どこか特別体にこたえるのね、御自分で体の調子はわかっているから時間十分とって来てくれるように、昨日二人の弁護士に申しました。岡林さんは、疲れさすまいと思うのですって。あとで、もっと必要のとき長く話したいから。今頃栗林さん行って居りましょう。兵役法の書類のこと、そちらからの方が早いことになりました、きっとお話しになったでしょうから。
十五日から休みというのは、今のことだけで、日比谷全体のことではないのです、何しろ司法省が真先に夏休み廃止を提案したのだそうですから。従って、そういう一般事務は休みなしのわけです。ずっとつづけてとりはからわれます。
それから差入のお礼のことね。あれもう公然なのです、ずっと以前。あの細君がそれをしたのは、左様なら風の意味と思いました。この頃のモードで、公然が常識の理解にある公然という堂々的形態は決してとりません。「なりつつある」のではない。なったの。そして、それをいろいろとあっせんした人が、事務上のうち合わせで、あなたにちょいちょい会っていて、はっきりしたことを云わないということも、なかなかデリケートな心理であると考えます。職業的ということの理解が、その人にあっては、そういうあらわれをするのでしょう。浜松の旦那さんにははっきり話したと云って居りました。ひとによるのね、そして効果に。時代の風か職業的ということなのか分らないが、とにかく私は、複雑さを感じ、そういうことには必要以外絶対にふれません。おわかりになるでしょう、何だか下手に話して居りますが。
面会の用件のこと、同じように考えたから面白いと思いました。いくつも並べたの。もう二度とも。そしたら、あの紙にはやはりごく概括してありましたね、どういうのか知らないが。でも、ずっとつづけて見ましょう。
規約のこと、昨日あっちで一寸しらべましたら、いくらかはちがうらしい風です。しかし、別の方は今直接関係がないので、印刷物かしてくれず、又そこで写す時間なくて、今日はまだお知らせ出来ません。近日中にあちらで写しましょう。大体でも同じようなことらしいけれども。
大森の細君も一生懸命な顔つきで、心持よい様子でした。云って見れば、はじめて筋の通った話に近いものをきくわけですから。いろいろの誤解のあることについても、その当人のいないここではふれないと云うのはうなずけます。
さぞくたびれるでしょうね。
大体夏はすきで仕事も出来るたちだけれども、今年は、秋が待たれます。でも、もうカナカナが鳴き出しましたね。冷水マサツはじめて居ります、これは笑われそうですが、やむを得ずよ、汗でズクズクになっておきますから。ここの家は目白とちがって、どの窓も開けっぱなしは出来ません。だからわずかに雨戸の無双窓をすこしあけておきます。やっぱり早ね早おきはやって居ますから、どうぞ御安心下さい。早ねしないでいられない。五時から六時の間にかえって来て、体洗って夕飯たべると、太郎もろともフラついて来ます。そこで一ねいりしたら十二時頃おきて困るから辛棒して九時半ごろまでぼんやりしていて、眠ってしまいます。一日おきの仕事にしてあるだけのねうちがあります、十分に。次の一日は、一日家居が出来ないと何にも出来ない。ところが、丸一日かかるから、どうしても次の日の用が生じて。しかし、得るところ、学ぶところ決して少くありませんから、只いそがしい雑事などとは全くちがいます、其は当然であるが。
明日で出勤一段落。それから仕事。今年の夏は、体は苦しいけれども、自分の作家としての生活実質についていろいろ実に深い感想を得た年です。傍ら、婦人作家の研究をやっているのは、これも相並んで有益です。歴史の波の間に社会の生活、女の生活、文学の生活はどう推移し浮沈しているか、そういうことを今日に即して沁々と考え、自分の作家としての一生の内容についても、おのずから改った感想があります。
作家ののこすべき芸術上の真の足跡というものについても、考えます。この間の晩、婦人作家の或る何人かの集った会へ出てね、実に感じ入って来ました、何と彼女たちは変ったでしょう。時雨、市子、禎子、そんな連中は遊ばせ言葉になって社交声で、何か皆に負うたように(これは時雨ひどい)やっている。もとより、作家でも評論家でもなかったのだけれども変りかたがね、平民のなかで暮していず、或種の選良の環境はああいう作用をするのですね。
おや、コトンコトン足音が二階へのぼって来た、太郎です。咲枝は昨夜から病院、まだ生むか生まぬか不明ですが。太郎はこうやって机の前で「御勉強」している人を見るのは大変珍しいのです、うちにそういうのはいないから。前の廊下で揺椅子をひっくりかえして、「あっこおばチャーン、見て御覧」とやっています。そこで私が曰ク、「ね、アボチン、御勉強しているのに、そっちばかり見ると御勉強が見えなくて出来ないだろう、だから駄目だよ」。この頃幼稚園で『キンダーブック』というのを貰って、蟻の生活の話など覚えはじめました。葛湯こしらえて、「白いコナがジャガいもからとれる」というと「フーム」とおもしろがっている。太郎は早く兄さんにならないといつまでも一人立ちしないで、悧巧のくせにひよわで、依頼心がつよいから。
本月は読書は、先月よりひどいことになって居ります。けれどもそれを補うというよりそれに十分代る他のものがあったわけですから、御諒承下さることと存じます(いやに丁寧になったこと!)。尤も、そのことのうちにある様々の問題についての正当なわかりかたということと、そういう実力ということと結びつけて云えば、猶読書大切とも云えますが。けれども、ごく片々とした書きかたで云って居りますが、私のそのうけかた、わかって下すっているでしょう? ただ、ことを知る、だけにはきいて居りません、その点を。最も深くふれて、自省にも役立ちます。
小説が描き得ている人生の面ということが又別な光で考えにのぼります、この頃屡※[#二の字点、1−2−22]。そして、窮極において、何と小さい部分しか描けていないのだろうと思わざるを得ない。ただ一つの作がその内に一つの世界をまとめているので、そこだけのぞいていると終始があるようだけれども。真の大小説ということについて考えます。大小説というと、従来の通念では只題材が大きいとか構成が多くてしっかりしているとかで云われるが、私はこの頃別様に考えます。大小説というものは、そこにこめられている人間的善意の諸様相がどんなにリアリスティックに描かれているかと[#「と」に「ママ」の注記]いうと、その矛盾、相剋すべてが。そういう意味では「戦争と平和」などとは又ちがった大小説があってしかるべきです、しかし世界にまだそういうものは出ていない、最も書かれてしかるべきところにおいてさえも。そうして見ると、それはよくよくむずかしいのですね。
急に話がとびますが、あなたは私の宛名を、方《かた》としておかきになるときどんな心持? 私は何だかいやです。可笑しいこと、でもわかるところもある、そうでしょう? どうぞ猶々お大切に、ピム、パムからよろしく。
七月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
七月三十日 第七十信
その後、お工合はいかがですか。一昨日弁護士が行ったとき、余り時間がなかったのでしょうか。体どんな風でした? ときのう会ったとき訊いたら、元気のようにして居られましたがと漠然としていた。きのうは風があって、すこし凌ぎようございましたね。涼しい夜は少しは寝よくいらっしゃるでしょう? 寝汗はいかが? 食慾はどうでしょう。
きょうから十五日まで日比谷は休みになります[自注22]。あなたが十月三日といっていらしたのは、私の伺いちがいかもしれないけれど、十月三日からでなくて九月三十日から四日間で一日延びて、三日、なのですてっね。十月三日からではないのですね。私は三日[自注23]からになったようにおききしたけれど。それは私のきき間違えなのです。わかっていらっしゃると思いますけれども念のために、きのう三人の人たち[自注24]が、四日つづけてでは体がとても無理だといっていました。そうと思います。まあ、それは又そのときのこととして。〔中略〕
純真な一人の婦人を死に到らしめた例として、自殺した若い女の人の立場について全く正しい同情が示されたのもうなずけました。本当に女への態度は雄弁ですものね。男のありきたりの世界では、それが一通り通用しているから。金銭関係、婦人関係、それらの歪みが何によってもたらされたかということの解説など、わかっている人には分っていることであるでしょうが、なおその上にも分らせられてよい点ですね。逆の面からみて、面白いと思う。誰でもそういう面にはひとかたならない関心を(自覚しているといないにかかわらず内心奥深く抱いているということが)きく顔々にもあらわれるから[自注25]。
現実の多角的な鋭さ、錯綜を実に感じます。リアリズムというものの過去の限界についても考える。例えばここに一人の女がある。そして全く善意ではあるが、ある理性の内容の不足から大きい悲劇がもたらされたとする。昔のリアリズムは、たとえば大石内蔵助の臆病心をあばいたように、そこに、その女の英雄崇拝や名誉心や盲信を描き出したとして、それが何のこんにちの意味をもつリアリズムでしょう、ねえ。
どんな偉い人間にも、普通の人としての
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