ゥけるところの横木など、父の靴にすられて、塗料はすっかりはげているし木目立っています。こうして、向ってかけるとなかなか落付きます。南縁の前に大きい青桐。
お工合本当にいかがでしょう。呉々も呉々もお大切に。ユリは、この頃、人物ということについて様々に考えを刺戟されています。勿論自然発生的な意味ではなしに。しかし、そういうごく綜合的なものが陶冶されてゆく過程というもののむずかしさについても。どうして人々は多く、ああいう、こういう、と云うことに何かその者の本音があるように思うのでしょう、ああいうこと、こういうこと、その底に本音があるということをどうしてすぐあたり前のこととして理解出来ないのでしょう。事物に対する正しい把握は人物というような概括で云われるものではないが、正しく把握出来る真理への洞察力をその人がどう身につけているかという面からは、やはり人物ということが云えることを深く感じます。そして、本当の勉強をユリなどにもしろということをきびしく仰云る、その意味も実にわかります。もし私に私という或人物があって(誰しもあるのだから、よかれあしかれ)それがどう育つかということ、どう育つ力をもっているかということが現実に示されるには、するだけの勉強して行かなければ、仕事もどこまで出来る可能をひそめているか、つまりは分らないようなものです。いろいろと深い感想に充たされます。実に年々にいろいろの夏を経験いたします。体に注意して日々に勤勉であろうと改めて思います。又申しますが、盲腸切って何とよかったでしょうね。この頃の大汗、きゅうくつきわまる長時間、それでも夜早くねむると、翌日は大体大丈夫です。先週はひどく気をもんでずっと毎日そちら、日比谷、そちら、とやっていたので、幾分こたえて足が苦しくなったりしましたが、それでも先の苦しさなどとは比較にならず。咲枝はもうどうせ防空演習になってしまいましたから、あせらずに自然の陣痛のはじまるのを待つということになりました。九日が予定日でしたから、今日でもう十日のびたわけです。一昨日あたり大分妙のようでしたが、平穏にすぎてしまいました。あなたへ呉々もよろしくとのことです。
島田から、御中元をおうけとりになった手紙来ました。あちらは旱バツですって。七十年来の。植つけの不能であったところが千何百町歩。中途で枯死したのが千何百町歩。日夜雨乞いで大変だそうです。本年は肥料もずっと高かったところへそれでは困るでしょうね。慈雨を待つ、とお手紙にあり、実感をもって書かれていることがわかる程です。それでも家じゅう皆丈夫の由。お母さんもお元気の由です。何年も前、私がいくらそれが出放題のこしらえごとだと申しても、本当とお思いになれなかったことも、今ではやはりそうであったかとお思いなされるところもありましょうし、何よりです。
間接に深められてゆく感動というようなものが甚しくて、ユリはこの頃、まことに引しまった心持です。一面に堪えがたい優しさに溢れつつ。言葉すくなく、思い多く暮して居ります。あなたにさっぱりした浴衣でもうしろからきせかけて、どんなに、「御苦労様ね」と云って上げたいでしょう!
手紙順ぐりついて居るでしょうか。きょうは夜になるまでに『音楽評論』へ五六枚の感想(音楽について)をかこうと思います。そして、そろそろ「明治の婦人作家」の下ごしらえ。本月は火・木・土が二十九日までつづきますから、早めにとっかからなければ。明治四十年代の思想や文学は複雑で面白うございます。この面白さが、さながらに脈絡をもって活かされるのには、大分勉強がいりますから。図書館の目録さがしも大分勝手を覚えました。日本が十年十年に一つの波を経て今日に到っている。おそくはじまった急テンポということが何とまざまざとしているでしょう。女の生活は、両脚を手拭でしばってピョンピョンとびする遊戯のようにその間をとんで来ているわけですが、この頃では手拭をほどいてかけ出そうとはせず、手拭はつけたまま、そっちへひとの目も自分の目もやらないように顔や両手でいろんなジェスチュアをする。そういう芸当を覚えて来ている(文学に於て、生活態度において)。明治四十年代はまだ非科学的ではあるが、手拭を見て、抽象の呪文で(「女性は太陽であった」というような)ほどけるものと思っていた時代。昨日の火曜日は何か錯雑した印象でした。「それがですね」というような癖なのね、平面の渦巻の感じ。では又明日。どうかよくおやすみ下さい。
七月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十三日 第六十八信
きのうから降ったりやんだりの天気ですね。温度は低いのだけれども、今日(八十二度)湿気がきついので、何となく体は苦しい様子です。いかがな調子ですか。あれきり平穏でしょうか。二人一度になったあとは、きっとお疲れだろうと気がかりです。この間うちはやむを得なかったの、火木土だもので。この次は重ならないよう気をつけます。
御注文の本、三冊はあって速達しました。月曜お手元につくでしょう。
それから計温器のことは安田博士にききました。あのひとは呼吸器の専門ですが、やはり人間の体と自然との関係の微妙さを経験によってつよく感じているたちですね、明治時代、呼吸器に関する専門家は、熱がなければよし、あればよくないと、きかい的に扱ったが、現代最新の方法では、本人の体の気分の自覚で、無熱に近く或は無熱でも、自覚のよくない感じがあれば、それを無視せずやってゆくのだそうです。反対の場合もあるわけです。実に箇々別々の由。絶対安静という共通な注意のほかは、全く一人一人自分自分で発見してゆくべきものをもっている由。それはそうでしょうね。一分計の細いの(ジールなどの型)は三分。平型は一分計でも五分の由です。それで完全の由です。よろしくとのことでした。神経質になって拘泥するなどのことは決しておありなさるまいからと、私が却って、はげまされる形でした。
どうか呉々お大切に。私はすこし気になることがあるの、お笑いになるかもしれないけれども。この前のときは、謂わばちっともいそいでいらっしゃらなかったでしょう? よくなる時期について。今回はどうでしょう、いくらかせかれているところないかしら。何だかいくらか前とはちがいそうです、同じ悠々と云っても。どうぞどうぞ悠々とね。今度の方は先とちがって慢性の型になっているでしょうから、悠々の内容も又その時期としての特徴があるのでしょう、おのずから。本当にゆっくりと御養生願います。きっと上手に持ってゆく術を御会得と信じて居ります。
それからね、金曜日は全く悲観したの。あれから目白へかえって出来ている布団をお送りしようとしたら、どうしたとんまか布団屋が綿を入れすぎて来ている。あの場所を現に見ていて「はい、これが夏の布団」などと出されるものではないの。困った! 困った! 連発してしまいました。寸法が普通の夏ぶとんと云われているものよりずっと長いのです、だもんだから、きっと厚い方がいいと思ったのでしょう。うちわでパタパタやり乍ら散々困ったが、どうにも仕様がない。そこで、急に決心して、又着物着て西川へ行って、ちゃんとしたの注文しました。そのため三日おくれました。御免なさいね。でも、どっち道今年新しく作っておいてようございます。夏のふとんかわの麻地が来年はなくなりますから。せめて、サラリとした布団ぐらいきせて上げたいと思いますもの。
土曜日は四時ごろ家へかえりました。お父さんという人から挨拶されました。息子と父親というものとを非常に珍しい一種の感じで眺めました、若く見える父親なので。生活の日々のちがいは何とそういうところにも出るものでしょうね。息子のひとも、いろいろ固定した観念でものを見ているところもあるが、やっぱり本気になって、案外に脈絡をもって、要点にふれていたので、何となし心根を思いやられました。思いすぎのところも、その原因のよって来るところを考えれば、ね。一日、二日、三日目と次第に筋が通って来たのはようございました。
この頃は、私もまるでサラリーマン。夕飯前かえって来て、一風呂あびて、夕飯たべると、ああとつかれが出て、夜は十時が待ちどおしい有様です。馴れなかったし。いろいろの意味で。眠くて眠くて。
きょうは日曜日で、国男もおり、咲枝もまだ痛くならないで在宅。太郎、下で友達を三人つれて来て遊んで居ります。一日うちにいられるのがうれしくて、きょうは私は主として二階暮し。この次の火、木、土(二十九日)で八月十五日ごろまで休みです。仕事の都合ではじめの火曜日だけは休講にしようかとも、考え中です。図書館に行くひまがないので。『文芸』の締切りは早いから、三日か四日ですから。読むべきものがうんとあるし。
本当に咲枝のおなか、いつでしょうね、二十七八日ときめているのですって、自分では。人間の赤坊は二百八十日はおなかのなかにいる由。でも又自然は微妙なものだから二百八十日をどこから起算するかが、一応わかっているが、現実の場合には千差万別で、やはり正確になんか行かないのがあたり前の由。それはそうでしょうね。或日から二百八十日と云ったって、それはあらましで、何もその日に受胎したとは分らないのだから。それは単に生理上の目標として云われているだけのことだから。
いずれにせよ、八月中旬ごろには目白へかえれるでしょう。今もうこちらに本その他もって来ているから、そして今夜ともしれないから戻るに戻られず。本当に可笑しい。しかし、この次のお産のときは、私はもう留守番はしないことにしようと条約を結びました。だって、何だかやり切れないところがありますもの。
髪をさっぱり苅っていらしたし、髭もそれていたし、白い着物きていらしたし、すがすがしく見えました。そして、極めてリアリスティックに、いろいろの性格は現れるのだからと云っていらしたこと、深く心にのこされました。実にその通りです。歴史が含んでいるだけの多面さが、結局はそういうところへ出る。よきにつけ、あしきにつけ。私もそう子供らしく考えては居りませんから安心して下さいまし、一喜一憂といううけかたはして居りませんから。
一つの仕事――文学でもそうですが――にたずさわって来る人様々の角度というものをいろいろ深く考えるし、真に仕事に献身的であるということは、どういうことかということも、新たな感動をもって理解を深められます。その点での感想は、私のこの夏を通しての最もエッセンシアルな収穫であり教訓でした。自分と仕事とのいきさつにおいても真面目に反省する心持を動かされたし、そのことについてこれまで折にふれ云われて来たいくつもの言葉の血肉性が、尤もであるとか、正当であるとかいう以上の脈搏をうって、私のうちに流しこまれたものであることを感じ直したのでした。そういう感じ直しかたにしろ、私の低さを語っていると思いました。この間うち書いた手紙はきっとあなたとしてお読みになると、私の主観的な感動が舌たらずにかかれてある印象だったろうと思いますが、あれらは、そういう私の心持の状態からでした。去年の夏の頃、私の大掃除以前に云われたことが、まざまざと甦って来て、新たに真の価値を感じさせつつ、ね、そうだろう、という無言の優しさで迫りました。いろいろ涙こぼれた心持、分って下さるでしょう? めそめそではなかったのです。
私たちは普通の夫婦から見れば、何と僅かの言葉しか交し合わないでしょう。そうだけれども、その僅かの言葉が何と活きていることでしょう、ねえ。益※[#二の字点、1−2−22]命のこもった言葉で語りたいと思います。
この頃オリザニンをのんで居ます。脚がむくむから。脚気というのではないらしいけれども。オリザニンというのは、体の疲れを直すのですってね、例えば歩くとか、何とかいうそういう疲れかたを。オリンピックのとき三共はオリザニンをうんと持たせてやったのですって、水泳なんか随分それでコンディションがよかったそうです。
きのうは髪を洗い、きょうはすべすべと軽い髪です。こう書いていた
前へ
次へ
全77ページ中52ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング