ニ、そこに愕《おどろ》きが新たにされなければなりません。新しい文学の精神、エスプリと云われるものがここにあります。フランスの明智、良識よりは更に一歩進んだものとしての。
抽象的にかかれましたが、ユリの心持はわかって下さるでしょう? ねえ。そして、これを日常のなかにもち来すと、こういう反省となって、私に永遠の花嫁としての涙を潸然《さんぜん》と流させるの。私は果してあなたにふさわしいだけ、いろいろのことして来ているだろうか? いろいろのことしてあげているかしら? そして自分の勉強も、と。
夜あついでしょう、なかなか寝苦しいでしょう、そのうつらうつらの中であなたは喝采の音を遠くおききになりはしなかったかしら。昔はそれを神々の喝采と云いましたが、今は、最も人間らしき人間たちの拍手というコンプリメントの言葉で云われているわけですが。
きょうは、この手紙を、林町の日本間の方の客間のスダレの下っているところで、大きい四角い机に向って書いています。二階はホテリがきつくて苦しいから。ここは古風な座敷ですが、よく風が通るし、茶室のような土庇が長くて日光が直射しませんから。
アラ、どうしたのかしら、カンカン日が照っているのに雷が鳴っている。おや、雨が落ちて来た。面白い天気! 西洋間の前の露天のヴェランダのところで、今病院からかえって来た咲枝が、目玉クリクリやりながら、「一寸ダッチャンこれかけない」と日よけの葭ズをまいて居ます、「お母ちゃま、お母ちゃま、これ何」と、太郎が力をいれすぎて金切声のような声を出してさわいでいます。きっと、これですこしそちらも涼しくなるでしょうね。
昨夜、咲枝もう生まれると思って病院へ行きました。私が送ってやった。そしたらまだで、室があつくて閉口して、さっき国ちゃんが迎えに行ってやって、かえって来たところです。なかなかこういうことは、自分でも思うようではないから滑稽ね。十八日から防空演習ですが、明日は伊勢さんに会いに出るから、そのかえり目白によってすっかり指図して、或は明晩は目白へ泊るかもしれません。肝心のお産婦さんがフラフラなので、こっちもそれにつられて可笑しい有様です。五分計の一番たしかな方法は五分ですっかりあがってからもう五分つけてそのままにしておく。そうすれば決して間違うことはない由です。
それから調べておくように仰云った規定ね。左のようです。
(何て真夏らしいでしょう。こんな日光。その日光の中のこんな雨。白い蝶が一つ低く、苔や小笹のところをとんでいる庭の眺め)
刑事裁判事件の報酬規則。
第一審事件ノ手数料ハ左ノ区別ニ従ウ
一、拘留又ハ科料ニ該《あた》ル事件ハ金三十円トス
二、罰金ニ…… 金五十円
三、長期一年未満ノ懲役又ハ禁錮ニ……金百円トス
四、前各号以外ノ刑ニ該リ予審ヲ経ザル事件ハ金百五十円トス
五、予審ヲ経タル事件ハ 金三百円トス
六、併合罪事件ハ最モ重キ刑ニ該ル事件ノ手数料ニ其他ノ事件ノ手数料ノ各三割ヲ加エタルモノトス
第一審事件ノ謝金ハ左ノ区別ニ従ウ
一、無罪ノ判決アリタルトキハ手数料ノ三倍トス
二、公訴棄却 免訴 刑ノ免除、又ハ執行猶予ノ裁判アリタルトキハ手数料ノ三倍トス
三、求刑ニ比シ軽キ刑ノ判決アリタルトキハ其程度ニ応ジ手数料ト同額以上倍額以下トス
四、没収又ハ追徴ノ請求アリタル場合ニ之ヲ減免スル判決アリタルトキハ前各号ニヨル謝金ノ外別ニ免減価格ノ一割トス
左記各号ニ該ル事件ノ報酬額ハ左ノ区別ニ従ウ
一、予審事件ハ第一審事件ノ報酬額ノ三割トス
二、第二審事件ハ第一審事件ノ報酬ト同額トス 但第一審事件ノ報酬ヲ受ケタル場合ハ八割トス
三、第三審事件ハ第一審事件ノ報酬額ノ六割トス 但第一審又ハ第二審事件ノ報酬ヲ受ケタル場合ハ半額トス
四、上告審ニ於テ事実審理ノ言渡ヲ受ケタル事件ハ第一審事件ノ報酬額ノ半額トス 但上告審又ハ前審事件ノ報酬ヲ受ケタル場合ハ三割トス
五、二審級以上ニ渉リ包括シテ受任シタル場合ニ於ケル上級審事件ハ第一審事件ノ報酬ノ半額トス
六、審級ニ拘ラズ終局迄ヲ目的トシテ受任シタル事件ハ第一審事件ノ報酬ノ倍額トス
七、保釈ノ申請事件ノミヲ受任シタル場合ハ第一審事件ノ報酬ノ二割トス
ソノ他旅費トシテハ、 日当 一日五十円
宿料 一泊三十円
交通費 一等又ハ二等運賃
ソノ他ハ一粁ニツキ五十銭
私は、例によってどうもよくのみこめません、こういう算術が。手数料があって、それに加うるに謝金があって、さて報酬金というのは? 私の実際に当って、いろいろしらべたところでは、謝金というのも報酬というのも、或目的の成功謝礼であって、私たちの場合成功謝礼というものはあり得ないから費用として(手数料として)先云っていた額ならよいだろう、誰でも、ということでした。そして実際そうなのでしょう。民事関係では、例えば、
目的ノ価額ニ従イ左ノ割合トス
手数料 謝金
五百円以下 七分 一割五分 つまり二・二ですね
千円以下 六分五厘 一割二分
五千円以下 六分 一割 などですが。
この次の金曜日、どんな工合でいらっしゃるかしら。あの位髭、久しぶりでしたね。月曜以来もう出ませんか、この間は二人のお話しになったが、あと大丈夫でしたろうか。
トマト、もし種子がうるさくなかったら、なるたけ召上れね。ぬるくては舌ざわりよくないでしょうが。もし水につけておけたらいいけれども。種子だしてあがれるでしょう? そこだけとればいいから。あのしゃぼんいかがですか、もちろん届いているでしょう? 昨年と同じです。去年は夏のうちに一ヶしか使いませんでしたが、今年は二つつかいましょう、もうつかっていらっしゃるかしら。そんなこと些細とお思いでしょうが、生活のそういうなかでは、快い匂いというようなものは随分薬です。だから私はいろいろに考えるの、甘い匂いがいいかしら、それともスッとしたのがいいかしらなどと。そして、夏あついとき、こういう手紙の紙やインクの匂い、あついでしょう? 私はつかれているとき、原稿紙の匂い、インク、つかれを感じますから。手紙でも、かすかないい薫りを夏は送りたいと考案中です、昔の殿上人のように香をたきしめるわけにも行かないが、何かと思います。どう? おいやではないでしょう? 紙の色だって白でなくてはならないというわけもなし、でもよみにくくてはいやですが。
きょうの封筒、風変りでしょう、ユリの縞のこのみにやや近い。私は太い縞はきらい。瀟洒なところのあるのがすき。この頃の角封筒のわるくなったことは、本当にびっくりです。
次の火・木・土はどうなるのか、火曜の前日しらべて見ましょう。昨日は不明でした。妙なところから来ている人々と並んでいるのもすこしいやのようでもありました。呉々お大切に。手紙、本当に当分おかきにならないでね。島田へも達ちゃんたちにもお話のとおりかきましたから。ではきょうはこれで。
七月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
七月十七日 第六十六信ね、五信かと思ったら。
昨日の暑さは一通りでないと思ったら、やはり九十三度ありました。おこたえになったでしょうね。いかがですか。ずっと平穏につづいておりますか?
けさは早いうちに昭和ビルの伊勢さんのところへゆき、かえりに丸ビルのはいばらにまわってこんな紙みつけてきました。
きょうは風があって、それでも幾分しのぎようございます。すこし暑気当り気味で左の脚が又こむら返りそうな変な気持。この頃はくたびれるので実に早寝をやって、昨日は久しぶりで一日家居しました。ずっと毎日毎日出づめでしたから。朝八時に出て、家へ六時頃かえる、なかなかくたびれました。ゆっくりとよく休養なさらないと無理であると思いました。それに一日だけもてばよいというのでもないから。くれぐれも大切に、と願います。五十キロでは換算してみたら十三貫すこしですね。十キロはおとりかえしにならなければね。申すまでもないことですが、暑いときは塩の辛いものが案外食慾をすすめます。何とか工夫して、少しずつ食慾の出るように。夏ミカンの汁しぼって砂糖いれてトマトを三杯酢のようにしてあがってみたらどうでしょう。ゆで玉子を小さく切ってまぜて。サラドのようになりますが。そして食パンと一緒に。サーディンを夏ミカンの酢で上ったことありますか? こんなのもどうかしら。あなたは夏は果物の酸を御愛用でしたから、何とかそのこのみを御利用になることですね。はい、といって何か一皿出してあげたいと思います。夏みかんのみをほぐして玉子と砂糖かけて、そこへトマトまぜても上れるでしょうし。いろいろなさるの面倒くさいでしょうね。自分で考える(献立など)ことが出来れば、いわば食慾があるという状態なわけですから。でもどうか御工夫下さい。つめたいものと求めても中途半端ですし、かえって熱いものの方が汗は出るが気分が引立ちます。私なんか氷よりお茶のあついのをのんで居ります。
明日火曜からどうなさるの。もしこの火木土がとべば、私はその間に図書館通いいたします。早朝に出かけて。図書館でも男のひとは上着はぬげますが、女は帯しめたままですからね。婦人作家でなくては、そして或る健全がなければ書けない展望に立って、この時代の鏡としての婦人作家の歴史だけは十分力を入れてまとめます。〔中略〕
いわゆる文学的素質というものはない人々によませ、わからせ、そして感じさせてゆく小説、そういうものを考えます。私はそういう点では「独自性」の反対のたちを多くもっているから。婦人作家の歴史にしろ、何かのきっかけでふとよみついた人が、ずーっと導《みちびか》れて明治というものを今日にまでいつしか見わたすところに出てくるという風なかきかた。読者にこびるのではなくて、普通の読書人のもっているいろいろのでこぼこ、弱さ、気まぐれ、そういうものを十分よく知りぬいて、一貫したものについて来させるだけの作家としての努力、それは、云いたいことをよくわからせようとする熱心さと比例するものであると思います。自分を分らす[#「自分を分らす」に傍点]のではなく、そこに描かれていることを分らせようとする、ね。
日本の私小説の伝統は、この作者の世界を分らせるに止る限界を、まだまだうちやぶっていないから。武麟の自分[#「自分」に傍点]の匂いのつよさはその体臭で読ませているようなものであるし。より高き精神の美しさとまでは行っていず。しかもその精神の美しさも全く具象的であるという意味で、一人の作家の生活に根をおろす以外に成育の道もないところが又微妙です。そこの傍で団扇の風をあなたの横になっていらっしゃるところへしずかに送りながら、時々こんなおしゃべりをするわたし。じゃあしばらくね、と机に向うわたし。やがて、お茶でもあがりたくないこと? と立ってくるわたし。そういういろんなわたしを描き出して下さることは、大変無理でしょうか。私の心の一日は、全くそのようにして送られているのですけれど。
七月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
七月十九日 第六十七信
どうも、やっぱり書きなれた紙がようございますね。きびしい炎暑ですがいかがな工合でしょうか。ユリの方は全く文字どおり汗みずくです。夜中つめたくて目がさめ、ねまきを着かえるという調子です。でも寝汗ではなく。
きょうは一日在宅の日で、二階に大きいテーブルをもち上げ、椅子をもち上げして、自分の落付き場所をすっかりきめました。これから二週間ばかりはここで仕事をし、手紙をかき、暮します。
これは父が事務所でつかっていたテーブル。『中條精一郎』の扉についていた写真、あのテーブルです。堅木のごくあり来りのテーブルに右手へ小さい張り出しをつけてあります、折畳式の。それを上げると四尺ほどになって、ものをひろげるのに好都合です。下の足を
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