、ので、そのときは又方法を考え出しましょう。この頃は精動運動が活気をおびて来ていて、そのためでしょう、頼母木市長がどこかの田で稲を植えて見たそうです。女のパーマネントは自粛型というのならよろしいのだそうです。ユリのような自然波はこういうときは便利であると思います。自動車のメーター料の基本は三十銭ですが、それに十銭ずつ距離にかかわらず追加がついていましたが、それはおやめになる由。衣服費は大体三十割のね上げの由、三円のもの九円というわけですね。
 うちへも金の申告が(用紙)来ました。私の眼鏡のつるのところは金だからわが家の唯一の申告品となるわけでしょう。この金ではいろいろの悲喜劇があるらしい模様です。これまで本ものだと思いこんでいたものがテンプラとわかって、いろいろにごたごたを生じるようなこと、あっちこっちらしい風です。結婚指環売る売らない、そんなことで夫婦が心持の問題とするようなこともあるらしい。ウェディング・リングと云えば、日本でそういうものつかうのがハイカラアと思われていた時分、内藤千代子という今の大衆作家の先駆でしょうね、ひどく白粉を真白に塗ってひさし髪を立てていたひとが(写真で見ると)『女学世界』というようなものに、若い婚約者たちが婚約指環(ダイアモンド)を何かのはずみになくして、心持がもつれたりする小説を、甘々の文章で書いていたりしたが、それから見ると、そういう面の扱いかたもすれて来ているとおどろかれます。女学生のお相手が森田たま女史ですから。
 昨日は、例の俗仙人内田百間とロシア語の米川正夫とが桑原会というのを宮城道雄のところで開き、招待が来ていました。大倉喜八郎(?)或は喜七(?)が「オークラロ」という尺八の改良したものを発明してそれを自分でふく。その日に。どうもそういう顔ぶれみたら気が重くなって行きませんでした。宮城という人の箏《こと》はきいてよいものの由です。こういう会でもね、宮城という人は自分のうちで開かせますが、自分はひかない。挨拶だけをする。ね、気質わかるでしょう? 利口さも。伍してはしまわないのです。おたいこならざるところを示すテクニックを心得ている。十分ひきよせつつ。フムというところがありますね。
 寿江子が今かえって来て、二階のこのテーブルのわきの戸棚の前でフーフー云いながら荷物こしらえはじめました。明日熱川へゆくのです。「ねえお姉さま、つくづく悲観しちまうわ。」「何さ。」「だって日に日にパンパンなんだもの。果なくパンパンなんか悲観だわ。」パンパンというのはふとるパンパン。寿江子はこの頃、元あなたがはじめて御覧になった時分にそろそろ近づきつつあります。やせるにやせられない性なのね、うちの一族は。「これははいてくでしょう(くつ下のことです、きっと)。これはおいてくでしょう。」とひとりごと云いながら、赤い服着てことことやって居ります。又熱川で日にやけて、ノミにくわれたあとだらけになって暮すのでしょう。山羊ひっぱって歩いて。寿江子も今年の秋からは勉強しはじめるぐらいに体が戻って来かかっているので、夏を仕上げにつかおうというわけです。大分先達ってうちは、このまま東京にいてしまおうという気もおこしたらしいが。何か本ひっくりかえして「イッヒビンカツレツ」と云っている。これは、この間大笑いした笑話。さるドイツ語の先生が伯林《ベルリン》へ参りました。とあるレストランへ入りました。給仕の男が、丁寧にききました。「旦那様、何を召上りますか。」すると先生は自信をもって悠々答えました。「イッヒビンカツレツ。――」給仕は、まことにこれは解せぬという顔で、「何と仰云いました。」とききかえしたが、先生やはり泰然と曰ク、「私はカツレツである」と。カツレツという料理の形や材料からこれは実に可笑しい。英語で電話かけようとして、ニューヨークのホテルの電話口で「イフ if イフ」と云ったというのも、笑わずにいられないけれど。もし、もしというわけでしょう、森代議士のつくった実話です。
 寿江子は箱とトランクをかかえて下へゆきました。「お姉さま、まだ?」とよんでいる。お金の計算があるのです。ではそれをやって来ますから。そして早くねなければ。忘れず寿江子のおいてゆく服の中へ虫よけのホドジンを入れさせなければ。では、一先ずこれで。

 六月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 六月三十日  第五十七信
 きょうもホクホクデェイと申すわけです。この手紙は特別にいろいろと豊富で、くりかえしくりかえしよみます。「食べても食べてもまだタベタイ」という子供の唄《うた》のようにね。
 風邪のこと、心配していただいてありがとう。やっと大体ぬけたようです。もう喉は痛くなく、すこし洟《はな》が出るぐらいですから。そうね、冷水マサツしましょうか。私は皮膚が或程度刺戟されるのは快く感じて、今でも入浴のときは健康ブラシをつかってコスルのですが。でも、いかにも冬さむそうね。冬つづけなければ意味ないのでしょう? ウフ。
 風邪について一つ伺おうと思っていたのは、窓をあけて眠ること。あれはどういうものでしょう。二階の東側一間は、あけはなして不用心でない構造なのです、外部からも見えないし。ですからもしかしたらあけはなして眠ることはじめてもいいと思っているのですが、どういう場合にでも果していいのかしら。日本では例えばキャムプだって湿気が多いからそう大してよくはないそうですが、夜中あけはなして大丈夫なのかしら。直接体に当らず流通しないようにしておけばいいのでしょうか。冷水まさつもよいでしょうが、先ずこの開け放しをやって見ようと思います。どうか一つ御指導下さい。蚊帖をつればあけてもたしかに安全ですね。延寿太夫という芸人は、喉のために冬でも絽の蚊帖を吊って居る由。
 肥ったものは大して丈夫ではありませんでしょう? 私の常識も、その程度までは医学的(!)なのです。そして、私の肥ること考えると些か癪《しゃく》ね、生活条件が深く作用しているのだから。それはもとより瘠っぽちのたちではないけれども。
 送る医書のこと承知いたしました。すぐその配りいたします。手紙の他の二冊も。
 達ちゃんたちへ送るの本当にそうきめましょう。十七日なら月はじめの血相変え時期も一通り終りますから。この間は、珍しいおくりもの島田から頂きました。木綿手拭とタオル。それが、一旦北支まで行って、不要品整理で送りかえしてよこしたもの。あわれタオルも大した長途の旅をしたわけです。あなたの分に、大切にタンスに入って居ります。スフ、はあんまり溶けるので、夏のタオルは木綿のパーセントたかめる由。そして、けさ、荒物やに庭を掃くのに萩《はぎ》の箒をたのんだら、どうもスフになるらしくてありませんとのことです。それからみそこしね、あのわくはよく撓う木ですが、それもなくなって来ていますって。案外のものがなくなりまして、どうも、ハイと申しました。
 二十三日の花、高く匂う花であったのは本懐であると思います。その花の名の二字の、どちらへアクセントつけてお呼びになるのでしょう、いくらか長くひっぱるように名を呼ばれたとき花は花弁の一つ一つをふるわせつつ、静かにしずかにおさえがたい力で開いて行くでしょう。匂いのうちに一層深くおぼれながら。
 バックの本、考えて居りました。「その年」のこと、あれそのものについては、懸念のないものですが、一般にふれてのこととして全く正当な重点の見かただと思います。これは、あながち単純なハピイ・エンドに終らないようなものでも、ハピイ・エンドに終れないことを、気分的に只もってまわる場合にも生じる文学上の危険ですから、明るさなどというものは、現代にあって複雑きわまったもので、窮極は、あらゆる暗さを経つつある、その経かたにあるだけとさえ云えると思います。最も立派な形では複雑をきわめつくした単純さのうちにあり得るだけです。そしてそれは、誰もの日常にあるものでないし、又手放しで現象的に生きて私たちが身につけ得るものでもない。
「その年」の母は、元気をとり戻しかたが、現実の受け身な肯定でないし、あきらめでないし、ある生活的なプロテストとしてあるのです。現代の明るさというものがもしあれば、それは決して呑気《のんき》なテカテカ日向の明るさではなくて、非常に光波の密度の高い、その透明さの底に、或る愁をたたえた美しさのものです。非常に質の緻密な知性とそのひろやかさと歴史の洞察への長くひるまない視線から射出されるものです。ユリの明るさの感覚も、おのずからそこまで成長いたしました。子供の日和ぼっこのようなのや、何か殆ど肉体的な感覚的なものであったところから。面白いものね。ああ、でも決して所謂哲学的ではありませんから。どうか御安心下さい。感性的なものとして矢張りあるのですが、その質が大人になってゆくというわけなのです。
 うちにいてくれる人のこと。仰云っていることよくわかります。いつぞやもふれられて居た点でした。仕事している間、家の中大変な有様だとしても誰も小言は云わないのですし、自分の食事ぐらい、この頃の体の調子から苦労ではないし、果して、一人では迚もやれないかどうか、考え中です。一人になった当座は実にいやでしたが。気やすいところもあるの。いろいろの点で。伸縮自在なところがありますから、経済的にも。人をおいていれば、仰云っているような点でも、どうしてもちがうところが出来ます、決して主人根性ではなくてもね。人の労力というものについて、その消費者めいたところが出来ます。私たちのところでは、よそとは比かくならず、食事も一緒だし、外出日もきめてあるし時間の自由もありますが、それでもやはり。だからアメリカのヘルパア(手伝い)と云われているようなのが、私には一番いいのでしょう。時間きめて、朝、夕、手つだってくれて、その余の時間はその人としての勉強なりあって、そのために家事手伝いもするというようなのならば。いる方も気分がちがい、自主性をもっているから。然しそんなのはありませんから(社会全体の事情から。学校だって、一日三四時間のところはありませんから)。私ももしかしたらいろいろ細部を改良して一人でやってゆけるようにした方が、いいのかもしれません。ただ、一人っきりがいやだが。今のところは余りこだわって居りません、仕事ギューギューで。めっぱりこですから、人柄がなかなか問題でね、そのこともあって(何でもひっぱって来ていて貰おうとは思わぬ次第です)。
 ローゼンベルグの本は、買ったのは白揚社版で三冊『経済学史』です。ナウカでゆずった、その同じものではないでしょうか(版をゆずったのではないでしょうか、閉店のとき)。
 本月は、読書の方すこししか出来なくて、きまりわるいと思います。たった百五十頁ばかり。御かんべん。
 就寝で、おきまりをはずれたのは、さあ、どの位かしら(と、手帖を出しかけて、全くこれはエンマ帖ね。)まず手近く、昨日(書きもの終るため、十二時)それから二十四日(小説「日々の映り」)書いていて。十九日、十三日、いずれも林町へ行って。一日が音楽ききに行って。一番おそかったのが二十四日の一時十分前ぐらいです。大体五日です、これは尤も十一時以後になった分ですが。十時と十一時、その間はマアということにして。仕事する、体うごかす、よくよくでなければ早くおねんねの方が自分にとっても、好都合ですから、次第に義務感から自分の便宜になって来ている。全くこういう暮しの形でヒステリーおこさずにやるのは一つはそのことも大いにあずかって力があるのです。朝、元ですと、まだ眠りたりないのに御用ききにおこされる、たのまなければこまる、まず朝が苦手でした。今は悠々です。でも本当にいいときに盲腸切ったとお思いになるでしょう? 事々につけてそう思って居ります。
 きょうは何日ぶりかで、この手紙に長い長い時間をかけました。又明日から四日か五日の朝まで眼玉グリグリですから。おったて腰のような手紙かくことになるでしょうから。独逸《ドイツ》語の先生の批評はね、主題はまことに立派
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