。宛 目白より(封書)〕

 六月三日  第四十六信
 今は大変珍しいところでこれを書いて居ります、上野。図書館の婦人閲覧室。これからすこし明治二十何年という時代の婦人作家たちとおちかづきになるところです。今の花圃夫人が書いた「藪の鶯」というのなどから。
 夕刻までに終って、林町で夕飯をたべるプランですがどうかしら。きのうは大変おつかれになったし、その上きょうは大分むし暑いから割合気分はよくおありにならないでしょうね。この大テーブルの右端にセイラーを着た女学校の生徒が二人居ります。どのテーブルも五人ぐらいずついて、私の紙の番号は46[#「46」は縦中横]。子供のとき来て、「十五になっていないでしょう」と云われ、「なっている」と云ってよんでいた頃を思い出します。その頃は読む場所もこんなに堂々とはしていず、はばかりなどこわかったものです。ここだけは値上げせず、特別が十銭です、やっぱり。
 読んでその感想をいきなりこれにかきつづけてしまうと、又書く気がなくなってしまいますから、今日はそういうことは黙って居りましょう。弁護人との話、昨日いろいろおきまりになりましたか?
 きのうの音楽会は自由学園の、音楽教育の父兄への売りこみのため、或は自由学園音楽団としていろいろの場合活動させ、マネキンとするために、成程こうするものかとおどろき、やがて正当な立腹を感じる種類のものでした。基本的なことは何も教えていない、只二十人三十人とかたまって、オーケストラのまねをやったりピアノでワグナーをひいたり、そしてそれは弾くのではなくて鳴らすのですが、音楽の感覚というものをちっとも滲透させていないのです。田舎の金持、自分はレコードはきくが、ピアノはひけないがピアノは買えるという親たちを、その数と一斉の音の鳴り出しでどきもをぬくことは充分出来るでしょうが。ヴァイオリン弾いている娘たちの、体勢さえちゃんと教えられていません。二百八十人だかが、あれだけの盛沢山で昼夜二回興業。大満員。純益は、あすこで北京に開いている女学校と東北農村セットルメントに捧げ[#「捧げ」に傍点]るのですって。さながら血液循環の如く、一滴もそとにはこぼさぬしくみです。なかなかそういう点にあやつられる親や娘の知性について感じることの多い会でした。つかれて、おしまいまでいず(音楽でない音のボリュームで、つかれるの)、寿江子とかえって来て、寿江子は又テクニックの上で不親切な教えかたと、フンガイして居りました。
 ではこれから勉強。きのういろいろひっくりかえしていたら明治初年に日本に入って来た洋楽についての文献が見つかって、寿江子「ありがとう」の連発でした。この机と椅子、丁度家のと同じくらいです。これにフットストールがあれば相当の長時間ねばれますね。図書係の人がもととかわっていました。そして割合親切になっている。私の方がおばちゃんになったせいかしら。窓は高く、大きく、そとに楓の若葉の梢が見えます。
 そう云えば、きのう、うちの門を入ったところの樫が一本枯れていたら新しいのと植え代えました。そして可笑しいことは(ひさの話)二人の植木屋がヒソヒソ小さい声で話しているので、じっときいていたら「かまやしない、かっぱらっちまえ」と云っている。「何をかっぱらうのでしょう、きっと林さんの何かでしょう」と目玉をクリクリさせました。「サア、どろぼーの意味か、枝でもかまわずらんぼうにかっぱらっちまえと云ったのか、何しろ植木屋だから私にも分らないね。」と大笑い。ひさにやる帯仕立上って来ました。立派になって。きょう、ひさは買いものに出かけて居ります。大変短くて御免下さい。相当埃くさいのがつんであるから、では、ね。

 六月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 六月五日  第四十七信
 きのうは失礼いたしました。(手紙かかなかったこと)
 きょうは又何と夏の暑さでしたろう。若葉を風がひるがえして吹く濡縁のところで、その風にひるがえるあなたの紺がすりの着物を眺めました。御気分どうでしょう。きょうは暑すぎるだろう、そう思いました。仕事していると、じっとり汗ばんで来ましたから。
 きのう一日ねばっていて、きょうは書きあがる予定のところすこしのこりました。くたびれたから無理に押さず、明日にまわします。明治二十年から三十年ぐらいまでの世の中、文学作品、とくに女の書いたものとの関係で見るとき実に複雑ですね。一種の復古時代ですから。今書いているのは一葉の作品の完成性の考え直しで終り、今日一葉が再出現していることについての質問で終るのですが、それにひきつづく自然主義文学の時代に、婦人作家は何故水野仙子一人しかいなかったかということ、改めてかきたいと思います。これはなかなか面白い点であると思います、ヨーロッパの文学の中を見くらべても。もしかしたら、やっぱり『改造』につづけてかくかもしれません、話の工合によっては。
 今は「藪の鶯」という花圃のかいた明治最初の婦人の小説の本質は、二十年という時代のかがみとして、女の真実の成長のためには、まともを向いたものでなく横向きのものとして出て来ているということ、一葉の完成が、旧いものの(文体と内容の)一致によって生じて居り、当時のロマンティストたち(文学界)が、その消えようとする旧いものへの魅力、自分たちにとってなじみふかい女のふるい哀苦を婦人作家がうたうということに対する一つの魅力とからめあって賞讚と支持とをおしまなかったこと、それだからこそ、哀苦もその味にとどまってしまっていたことなど。「『藪の鶯』このかた」

 六月六日
 ゆうべは可笑しいでしょう、くたびれて十時ごろ寝ようとして、急におやと一あわてしてしまいました。けさ、そちらに行くのだったか、水曜だか急にどう忘れして。勿論覚えていて、水曜日と思い、七日と思い、寿江子にもその話していたのですが、日記を出して例により起床、消灯、つけようとしたら、五日のところへ、大きい字で明日面会とかいてあるのです、あら、変だ、そうかしら、バタバタして、わからなければ、もしそのつもりでいらして行かなければ本当にわるいから、一日早くてもかんべんしていただこうと思って、ドーッと二階下りて、ハンドバッグ出してメモ見たら、ちゃんと「来週水曜日」とかいてあるのです。ああ、ああと、書いてあってよかったと一胸なでおろしました。何かに熱中していると、ボッとなって、急に思い出してかんちがえしたりする。志賀直哉の「狐とおしどり」の話ね、「お前はいつだって思い出さないでいい方ばっかり思い出して、とんまだね」と云われている妻が、良人とおしどりに生れ代る約束して、間ちがえて狐になり、良人のおしどりを見たら、可愛くて、おいしそうで、切なくて、涙こぼしながら到頭たべちまったという話。アンポンは万更ほかにいなくもないのです。メモ大明神でした。
 とんまになる原因もう一つ。それはネズミ。三日ばかり前、ふろに入っていて、ふと天井を見たら、天井板のすき間から電気のコードのようなものが見えているが、どうもあやしい、すこし先の方が細くなっているのです。「ちょっと」。寿江子を呼んで、「あれ、何だと思う?」「フーム」。やっぱり同じものと思うらしい。ネズミです、そこで死んでいるのですから閉口。自分でとてもとれない。誰かにとらせなければならないが、ひさに、してとは云えません、何しろ、家では私が一番勇気がなくてはならないわけなのですもの。一番いやなこと、こわいこと、苦しいこと、それは私が先頭に立たねばなりません。奥さんですからね。とれないのにひさを気味わるがらせるに及ばず黙っています。こっちは、「藪の鶯」でかんかんなのだから。書き終ったら誰かよんで来よう。そう思っていたら、ゆうべ偶然小説をもって佐々木一夫さん来。おったて腰で話していたうち、ああ一つたのもうと思いつき、急に寿江子と二人が勢立ったので、佐々木さんはふしぎそう、鼠の一件を話したら、「それは何でもない」と、きっといやだったのでしょうが、立って出してくれました。いいあんばいに燐をのんでたおれたのだったから、清潔だったけれども。ぐったりする位安心したと寿江子と大笑いしました。
 きょうは、午前中から時雨さんの会に一寸出て、かえり、今、二十枚かき終ったところ。
 あつい日ですね、背中がじっとりして居ります。熱中してかき、面白かった。
 こういう風な、比較的、総合的で立体的な勉強をすると、なかなか自分のためになるところがあります。文学の世代において、婦人の刻みつけた線を一寸でも自分の力として先へおし出すこと、それがどのような意味をもつかということを真面目に考えます。ただ流行非流行の問題でなく、その生活と文学との本質において。自分の生涯で、せめて一分なりそれをとげたいと思う、ね、グイグイ、グイグイと押してゆくよろこびは、よしや知ることが出来なくても(客観、主観の関係によって)。
 フィレンツェのミケルアンジェロの仕事ぶりのところ、いろいろ忘られぬ感銘です。メジィチの墓の彫刻で、与えられた条件を溢れ出たというところ。あすこは二重に心に刻まれます。このなかには、いろいろとひっぱり出される暗示があります、芸術上のこととして。ミケルアンジェロが、現実が彼にとって辛ければ辛いだけ仕事に熱中したところ、熱中出来たところ、それだけのものをもっていたところ。これも通りすぎることの出来ないところです、私などには。最も健全な、最も歴史性の充実した人間、芸術家になり切るというところ。あなたのおっしゃる「日々の精励」ということの意味、それが唯一つの道であることの謂。
 今はまだダイナモが激しくまわった余波で、お喋りをとどめるのに骨が折れます。
 さて、すこし家のことに戻ります、六月十三日は母の命日なので寿江子それまで伊豆にはゆかぬ由。七月九日ごろ咲枝が赤子《アカコ》チャンなるものをうみますから、そのときは、太郎のために林町に行ってやる約束いたしました。誰もいないのはよくないから。
 きょうは、島田で御仕事のあった日です。昨夜お母さんからお手紙で(三日づけ)お菓子も写真も私の手紙も一どきについて、お菓子は大変めずらしいから、お客膳のなかわんにもって出しますということです。ようございましたね。
 あなたのお体すこし疲れていらっしゃるとかいたから、お大切にということです。血圧は百二十ですって。すこしこれではすくなすぎますね。90+57=147[#この式は底本では組書き]ぐらいでいいのに。この次の手紙でうかがって見ましょう。
 今日、又ひさ留守です。八日ごろかえりますいよいよ。代りの人いないので、先達てのように一寸林町からかりるか派出婦たのむかします。仕事のせわしい間、十日位まで林町からよぶかもしれず。これから、マアお茶でものみながら一思案いたしましょう。
 明日はどんなお顔色でしょう。丁度先月六日に手紙下すったから一月たちました。こんな心持面白いこと、全く待っていないのに、実に待っている、こんな心持。では明朝。いろいろ。

 六月七日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 六月七日  第四十八信
 ああア。先ずこういう工合なのです。久しぶりに髪を洗って日光のさしこむお湯に入って。大分かわいて来たので、「二階へ行こうか」とおっしゃるあなたのうしろにくっついてあがって来る心持で、ここへ来て、さて、とくつろいで向いあい。髪はたいへんすべすべです。あなたのはいかが? 苅ってほどないように見えましたけれど。
 ほんのすこうしずつ、少しずつ、いくらか疲れかたが減るように感じられるけれども、そういう私の眼力は、本当の状態にふれているでしょうか。どうもたよりないとこの頃は思って居ります、爪に白い半月形が出ていて、ああと思ってうれしがって見たりしたの、あれは本当に爪について居りましたか? 私が見えたように思い、只がつがつと見ただけだったのかしら。あれから、あの急なひどい疲れの御様子でしたから、白い半月形なんて、なかったものかと思う気さえしました。もしなかったものを見たとしたら
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