ヌこか見ると、そこからあなたが見えるというような機械。そういう重宝なものはまだ発明されていないのは、実に実に不便です。
寿江子は三日ごろ伊豆行。ひさは七日位にかえります。あとには人をさがしていますが、出来る迄、消費組合関係のひとで派出婦をやっている人を暫くたのみます。
お約束の表を、二十日から。
起床 消燈
二十日 六・四〇 一一・三〇(婦公座談会)
二十一日(日)七・〇〇 一〇・三〇
二十二日 六・三〇 九・三〇
二十三日 六・〇〇 九・四〇
二十四日 七・〇〇前夜うまく眠れず八・三〇
二十五日 六・一〇(夕飯後胸苦しいから)九 すこし前
二十六日 一日臥床
二十七日 七・一〇ぶらぶら八・〇〇
二十八日 六・三〇 一〇・〇〇
二十九日 六・四〇 一〇・一五
三十日 六・〇〇 一〇・四〇
三十一日 六・一五 十一時ごろになるでしょう。新響ききたいから。
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読書は本月は三三六頁です、第一巻は終。決して大きい顔をして居りませんからお察し下さい。半月はかきものがたまって居りましたから。
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もしかしたら、今風呂屋に働いているという女の子がひさの後へ来るかもしれません。私はそういうところへも働きに出なければならない女の児の方が、一緒に住みよいと思います、ひさは性質はよいけれども、自分でよく自分の境遇、富農の、を知らないから、こまかいところで気分がふくらんでいて、その点ではこまることもありました。ごく若い娘だから、留守番のことや何かこれまでとちがう心くばりがいりますが、それはようございます、では又明朝。きのうも一寸思ったのですが、お部や同じですか、或は満員? 或はいろいろとあるのでしょうか。
六月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月一日 第四十四信
お早う。ひどく降りますね。入梅は十三日からだというのに。こちらではあっちこっち雨が洩って閉口。
きのうは、あれからS子さんが六週間ぶりと云って初の外出で来ました。お産後というよりも病み上りという風でした。赤ちゃんなしで産褥にいると、あんな風なのかと可哀そうのようでした。あなたに呉々も御大切に願いますとのことでした。それから又一勉強して、早めの夕飯たべて出かける着物にきかえているところへ稲ちゃん来。『くれない』が再版になったので、それは思っていなかったことだから、いつかの分の1/5だけ、とにかくかえすと云ってもって来てくれました。私は勿論よろこんで貰いました。稲ちゃんは前から随分気にしていたのですから。
音楽会はなかなか面白うございました。日本での初演が二つあって、一つはイギリスの民謡をとった狂想曲、もう一つはワルツやポルカ、スイスのヨーデルの歌、パセドーブル、タランテラなどという舞曲の組曲。あとのはそれぞれの舞曲としての特長を相当活かして演奏され、面白く思いました。あとはベートウヴェンの第五。第五もうまかった。そして、かえって寿江子の話が又面白かった、というのは、寿江子は作曲や音楽史の仕事を自分の仕事と思っていろいろ考えている故で、例えば指揮のことでも随分こまかく観察しているのです。例えばこの第五にしろ組曲にしろ、一団としてあげている効果だけ、各人が自身の理解をもっているのではない。そういうのを、一つとまとめてあれだけにひっぱってゆくのは、指揮者のよさであり、このローゼンシュトックという人は、指揮に当って、只一音の笛のためにもちゃんとその笛に向ってよびかけを与え、転調するときは前もってやはり注意を与えている。実にこまかく、そしてひっぱりこまれるところがある。普通の人は、幾つかの小節のはじまりにだけきっかけを与えるけれども、と。この話、私は面白く思いました。これは只譜を読む人、それで指揮する人と自分で作曲する人が指揮するとの違いで、前者はよんでパラフレイズするのだが、後の人はとにかく自分の感覚と体を通せるのですから、指揮するとき、おのずから細部が把握出来、それを一つ一つオーケストラ部員につたえてゆく冷静さ(丁度書いてゆくとき、一字一字を実にしっかりと自分の手の下においている力をもって、初めて書ける如く)もあるわけでしょう。技術団体の指揮(技術上の)というものについて、その話からいろいろと考えがひろがって何か考えるところもありました。
寿江子も本腰になって来ているし、私はいろんな専門的な話し対手として、わかるところと知らないところとのつり合いがほどほどだと見え、(音楽について)この頃話は実質があってようございます。何年も病気して楽器を只キーキーいじることが出来ず、本をよみ、人生的な様々の経験をしたのも、今となって見れば非常なプラスです。曰ク、「もしお姉様と同じ仕事なんかだったら、きっとやらなくなっちゃうだろう。」これは分る心持ですね。この頃は、生活の現実の中にはまりこんでいなくては、ちゃんとした仕事なんか出来っこないとわかって来ているから、本当に何よりです。考えたって分ることじゃない、そう云って居ります。生活において底をつくこと、それが人間の成長と芸術の生長のためにどんなに大切かということ、それも分って来たようです。これらのこと、すべてはうれしゅうございますね。仕事に対してねばりがつよいために段々追求して行って、結局それは何故という問題にぶつかる。ですから、音楽史が、過去には一つも生活とのつながりが何故というところで解かれていないことを発見して来ました。音楽史ではグレゴリー音階というのが、音階の歴史的第一歩の発展とされているが、只そう云われるだけで、どういうところからその発展が導き出されたか説明されていない、変だ、というわけです。ああ寿江子も体が弱いのは可哀そうだが、そして貧乏なのも音楽の勉強には楽でないが、そのために正気に戻って大人になりつつあるのは何といいでしょう。昔のような生活が万一つづいていたとしたら、どんなに折角のもちものが、むき出しの現実の中で磨き出されず、歪んだりごみをかぶった大きい塊りになったりしたことでしょう。でも私たち姉妹の悲劇はね、私は全く静かで仕事したいし、片方は全く音がいるという矛盾です。解決は、家の空間的な大さ。そして、それは云々と、因果の糸車でね。二人で、二匹のこま鼠のように向いあって、何ぞというとこの因果の糸車をまわして見るのですが、どうも軸の場所は同じなので、変った回転も今だに見出せません。私はうんと勉強し、仕事しようと思います。益※[#二の字点、1−2−22]そう思って居り、それの出来る予感もある。ですから、この車が又ぞろ出るというわけです。これから仕事にとりかかります。新書にウィットフォーゲルの『支那経済研究』が出て、面白い由です。御大切に。
六月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月二日 第四十五信
きょうは、結局二度お歩きになることになってしまったようですね、おつかれになったでしょう? かえりに電話かけて見たら丁度そろそろそちらにつく頃だとのことでしたから。かち合わないようにとわざわざたのんだのにね。
いろいろお話したこと。例によっての云いかたしか出来なかったけれども、要点をはっきり、現実に即してすぐのみこんで頂けて本当にうれしゅうございます。本当にうれしく気が休まる思いです。別の人をもう一人とおっしゃっていたし、三十日来、苦慮していた次第でした。性格やその高くない面や野心やそういう要素をはっきりわかって下さると、その上でのこれからのやりかたが細かいディテールにふれて、やって行く上に便利です。通俗作家が『朝日』へ連載になるのをもって一つのゴールと目ざすようなものでね。新聞へも並び大名の前列に一寸出てのるというようなことが関心事であると、その立役者として場所に非常に敏感で、自分[#「自分」に傍点]のことが仕事なのか、ひとのためなのか混同されてしまうのですね。そういう意味での立志伝中の人。なかなかデリケート。「わが道に立つものは容赦はすまじ」というような復讐的闘志が熾《さかん》であるのは、一寸類がないのではないかしら。そういう性格も心得て、大局から見てそろそろとやりましょう。要点をつかんで、のみこんで下すったことを、私がどんなに吻《ほ》っとしたかお察し下さることが出来ようと思います。
天気がからりとしていたし、昨夜は、寝汗余りおかきにならなかったのでしょうか。皮膚の工合すこしはましに見えましたが。こまかい期日にかかわらず加養なさること、全く必要であるし当然です。どうぞのんびりと願います。
きのうの雨! 家じゅうたらいだのバケツだの、洗面器からおなべまで出動し行列をつくりました。その雨の中を徳さんが、したたるばかりに濡れて来ました。北京へ勤め口がありそうで行く由。柳瀬さんの心配の由。「そして、奥さんは? 一緒?」「いや、あれは国へかえります。」国のことは先《せん》話にきいていてかえれるわけのところではないのです、本当の生活を考えれば。そこをとび出して、東京で働いていて、結婚したのだから。
徳さんと生活するということを断念してしまったのですって。この十年ばかりの間のいろいろなことが、複雑にたたまって来ているのであるし、又相互的な責任もあり、第三者として何も云えないところもあるけれども、何か苦しくて。徳さんの苦しさもわかり、歌子さんがそういう本質的退陣を決心したのもいい気でやっているのではなかろうし。小説をかくのだそうです。
どっちがどうと云えないと思います、徳さんの考えかた、やりかたにしろ。近々出かける前には、あなたのお体さえよければ一度お会いしたいとのことでした。家庭のことは、私だけの知っていることとなって居りますから、どうぞそのおつもりで。今日の大陸が吸収する人々の生活、その道、その色彩ということを、おのずから考えました。やつれていました。仕事がつまっていたけれどもあり合わせで夕飯をあげました。それから仕事にとりかかり五枚半かいて、床に入り。(十一時)様々の感想がたたまって居りましたからやや眠りつき難かったが、よく眠りました。
けさ六時に目をさまして戸をあけたら、朝日が若葉にさしていたのでうれしい気がしました。私の方が早くおきたのでおひささんキョロキョロしてあわてました。庭の土にじかにうつしたアカシヤの実生の芽がこの頃めだって大きくなりました、萩もどうやらいい勢。いつからか、五月の初旬、お母さんおかえりのとき入れた藤の花のこと伺おうと思い思い、ついおくれてしまいます、どんなのでした、藤色の? 今年は白藤一つも花をつけず。こっちの庭へつれて来ようかなどとも思います。あの白藤に房々とはじめて動坂の玄関に来たときのように花をつけさせて眺めたい。御異存ないでしょう? 樹は足かけ八年の歳月の間にずっと太っているのですもの。咲かしてやればどんな見事な花房をつけるでしょう。場所さえあれば棚にするのにね。われらその白藤のかげに憩わん。(あまり美文ですかしら。蜂にさされるかもしれないわね)
これから一やすみ。窓をあけて風をとおしているので、外の砂利をふむ人の跫音などがして、午前のしずけさがひとしお深うございます。図書館行は明日。きょうは家にあるだけの本をよみ。夜は林町の連中と自由学園の音楽会をききに出かけます。ここの音楽教育は有名です。だが、生徒を入学させるとき、先ず資産しらべをやる、そして云うことをきき、学園型になる子を選ぶ眼力にかけては、もと子夫人の旦那さん大したものである由。おむこさんである人が、ああいう心で「ミケルアンジェロ」をかき、そういう家族の雰囲気、経営、そこに入り切っている自分の妻を、どのような心で感じているでしょう。
では又明朝。毎日すこしずつ書く方がやっぱりいい、そうお思いになるでしょう? 来週水曜といえば明日から五日。丁度六日ごろ一区切りつきますから。ひさ七日ごろかえります。
六月三日 〔巣鴨拘置所の顕
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