A心持わるくなさらないで下さい。あのコロンブスだって、海に漂い、陸を陸をと思っていたときは、雲を陸かと思ったことだってあったのです。どんな思いで、指を私が見るでしょう、ねえ。微妙な、しんみな指たち。
きょうはあれから電話をかけて、弁護士会館へ行き、話の趣わかりました。あなたのおっしゃったことを、只手足となってあのひとの下に働くものという意味で解していて、共働者という立場での人を云っているのがわからなかった様です。やっと「ああそういうことなら」とのり気の様です。あなたのおつもりは勿論そうですね。私は間違わず理解していると思いますが。連絡上、あのひとに導かれるとしても、経験や相当学問に於ては一本立ちとしてやれる程度の人、そうでしょう? そして勿論それはそれとして新しく話をもってゆき、料金の話もされるという関係。そういうのだということがわかったようです、一人、若手で実力もあるという人がいるのだそうですが、つとめている事務所の親方(先生ね、まあ)の関係で、どうかというようなこと。明日何かの用をかね、お目にかかるそうです、そちらへ行って。この手紙はそれまでつきませんけれども、よく、新しくわかった意味に於てあなたとお話しするよう頼みました。その他のこともわかりました。いそいで居る由でした。
それから三越にまわって傘のはりかえ。お母さんのいらしたとき、自動車が急停車して、私の手首にかけていた傘の金《かな》ものの柄が殆ど直角ぐらい曲ってしまったこと、きっとかきませんでしたろうね。そのために直さねばならず、布地もいたんで洩りますから。二本の傘を直すのです。一本は私が動坂の入口をさして出入りしていたの。覚えていらっしゃらないでしょうね、骨がしっかりしていて、布地はもう破れ障子であったの、それを直して。
それからうちへかえり(池袋までのろのろ市電で、新橋―池袋です)すこし休んで髪を洗い、涼風に吹かれたというわけでした。
きょうは、家じゅうごく早ねいたします。ひさは今夜一晩このうちで眠るだけですから、どっさりたっぷりねなければならず、私は又明日からいそがしいし、ひさはいず、今夜せめてのうのうとねておこうというわけで。昨夜も明けがたまで眠れなかった。間におかれる日がちぢむにつれてよく眠れるようになるのがわかりますから、きっと、いまにあたり前になるでしょう。おかしいこと。土曜日までは三日だけですから。
あしたの朝ひさは栄という、いつか(去年の初夏、私が島田へ急に行った留守から)いたひさの友達の娘のところへゆきます。何かの工場へ今つとめて四十五円とっています。その中から、下宿料十五円、家へいくらか送り、交通費、きるものなどすべてまかって、十円やっとのこる。この十円のために夜勤ですっかり体へばりかかっているので、この間来たとき十円出してくれるのならば、却って生活しよいから来てもわるくなさそうな話していたそうで、そのことをきめて来るわけです。来るか、来ないかを。この娘は、先は大変目のこで勘定高かった。たべるものにしろ食べさせるのをたべなければ損、そのようでこちらで切ないところもありましたが、今度は世間を見て、四十五円とは何を意味しているかがわかって、もしかしたら先よりよいかもしれません。
明日の話でどうなるか。いつかも申していたように、私はもう自分たちの暮しに又一さとりして、一緒にいる人のことは、勿論一生懸命に心がけますが、永続的でなくても平気という気になったから、そう気にして居りません。大して困ったところさえなければ誰かいて、空巣の番と御飯をたき洗濯してくれればようございます。その誰かが問題でキューキューしていると云えばそうですが。
今月は一年半ぶりでやや生活するに足る(生活費の三分の二ぐらい)収入がありそうです。きょうお送りした衣類はセル、紺がすり、白い晒木綿の襦袢(半エリをかけてあるのです)、単衣羽織です。襦袢、せん、あるのは小さくてといっていらしたけれどこれはどうでしょうね、新しく縫っておいたのです。羽織、単衣ばおりなんかというようなものですが、季節のものですし、セルや紺がすり一枚では肩さむいとき、人にお会いになることもふえているからお着下さい。この羽織は昔々のです。きょうはまだ袷きていらっしゃるのを見てわるかったと思いました、六月一日からセル類は入るのでしたから。
ああそれから、大森へ速達出しました、かえってすぐ。何だかとりとめのないような手紙だと思います。これは髪を洗ったりしたせいです。私たちの生活にだって、やっぱりこういうようなお喋りのときもあるわけのものですものね。一つ家にいて、あとからあとから忘れながら話しているようないろんなこと、一寸したこと、そして笑ったりすること、こういう流れるものは手紙にはなかなかのらないものですね、笑いというのが土台曲者だから、つかまえるに楽でない、それに字になると、笑いが又笑いをさそい出す味が消えてしまって。こんな話しかた、ごく内輪の気分で、明るい電燈のしたで、「あら、このおしたしは案外美味しいわ、一寸あがって御覧なさい」、そんなことを云っている夜のようです。さもなければ、何かの漫画見てハアハア笑って、「一寸ぜひこれを見て頂戴」と云って、「バカだね」と云われて、たんのうした顔しているような。明日から書くものについての頭の内でサーチライト動かしつつ、一面でこのような気分。緊張していて、ゆれていて、それでいてあるゆとり。ゆとりの只中で絶えず或ところへ集注しているもの。目の中に独特のこまかいつや。では又明日。ねむうございます、八時だのに。
六月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月十日 第四十九信
まだセルが届きませんでしたね。いそいで羽織ひっかけていらしたらしく、エリのうしろが折れずにいるのが見えました。どうか早く寝汗だけでも出なくなるように。
さて、ひさは八日の夜八時半、出発して国へかえりました。おめにかかる折がなかったけれども呉々もお体をお大切にと云ってかえりました。稲ちゃん、栄さん、林町、うちは勿論それぞれ心づくしでお土産もらいようございました。「かえるような気がしない、又あしたかえって来るような」と云って出てゆきました。寿江子が来て泊ってくれています。派出婦も毎日ずっといて貰うほど用はなく使ったひとの話ではまことに負担で、家の中の事もち出されて困るというので、日をきめて一週に二度ぐらい来て貰うようにするかもしれません。どうにかやってゆきますから御安心下さい。そちらに出かける時間午後にしてもいいし、或は又門を外からしめられるようなのにしてもよいと考え中です。どんな家庭だってこんなことはあるのだし、仕方がありません。
八日は、ごたついて、くたびれ、この間から何しろかえるかえるでひさがいても一向落付かなかったので、いよいよ行ってしまってかえってほっとしたところもあるというような工合です。
九日は、『中央公論』の、十枚ばかりの感想をかき(映画の「早春」というのに描かれている女の心持の問題について)、夜、寿江子と日比谷公園を珍しく散歩して、林町へゆきとまり、けさ、寿江子をかり出して、夜着をもってかえりました。『ダイヤモンド』すぐ送り出しましたから。
きょうはすっかり暑く、そちらもむしましょうね。八十度近うございます。
六日は、岩本のおばさま、山崎のおじさま、野原から富ちゃん親子とがお客で無事御法事終った由、お手紙でした。予定どおり古代餅は中椀にもって出して皆によろこばれたとのことでようございました。あなたにも安心するようにつたえてとのことでした。でも、お客が皆かえってしまったときはしーんとして、その静かさがお心にしみた工合です。別に何ともおっしゃってはありませんけれども。文章のどことなしにそれが感じられました。来年は来るのを待っている、とおかきになっています。
きょうはまだどことなく落付かない心持です。しかし、今度は冬になって、農繁期が終って、誰かみつかる迄は、こういう状態でやって行かなければならないでしょうから、早くなれてうまくやって行きたいと思って居ります。寿江子は十三日の母の命日が終るまでは東京に居りますが、あのこも緊縮で、夏着るものを林町のミシンで縫っているので、こっちにばかりもいられません。でも、私は昨夜林町へ行って、しんから底からわが家を恋しく思い、わたしたちの生活というものについて、胸の痛いほどの愛着を覚えましたから、淋しささえやっぱり可愛いと思います。そちらでも夕方豆腐屋のラッパの音がするでしょう? そういうとき、あのいつかの絵ですっかりおなじみの間取りの家の中で、コトコトやっているユリを想像して下さい。幅のひろい前かけかけて、それはいつかのように黄色ではなく、紺のですが。
私たちの生活、そこに流れている心持、それはこの家の隅々に漲っていてね、ここは私たちにとってまごうかたなきわが家です。元とちがって、朝早いから不便もすくないでしょう。窓を青葉に向ってあけ、よく勉強し、仕事をし、あなたのお体を段々とよくして行きましょう。
いろいろに工夫して生活して、生活の術を会得してゆくのも面白いと思います。そのうちには又誰かいる人も見つかりましょうから。
本月はね、十五日までまだつづきがいそがしく。伊藤整の作品のブックレビューなどしなければなりません。私はこの作家はこのみません。しかし、判断をもつところまで行かないで読む若い人たちのためには、よくその人々の納得ゆく形で評価のよりどころを与えなければならないから、そういう意味で、しゃんとしたものをかこうと思って居ります。「幽鬼の街」、「幽鬼の村」、それらは現代の知識人の悲しみ、鬼であるのだそうですが、この作者が現実の生活では大陸文学懇話会とかいうところの財務員というのをしているというのも面白い。今日は行為の時代ということが流行《はや》って居りますが、行為の本質という点でそれを見ると、やはり結局はいかに生きるかということと、どういう文学が生れるかということとの関係になり面白いと思います。その点からかいて行くと興味があると思います。
今、下からは寿江子のかけているラジオでベートウヴェンの「土耳古《トルコ》行進曲」が響いて居ります。どうもこの音というものが。寿江子の音楽に対する理解解釈評価それはなかなか同感されるのですが、音楽と文学とは何とちがうでしょうね。音楽をやる人は、謂わば考えることも感じることもすべて音である、その音が、こっちには同時に同じこと考え感じていたにしろやかましいというのだから困ります。三吾さんの兄さんは、弟に勉強させてやりたいと思ってキーキーをこらえていたそうですが、時には辛棒出来なくなって家をとび出したりしたそうです。三吾さんわるいわね。そんなにして貰ったのに。寿江子は段々しまった気持になって来ていて、今夕も御飯の仕度すっかり自分でしてくれる位になったが、音が果して私にこらえられるかどうか。
水曜日、徳さん行くでしょうかどうかしら。どんな返事が来るでしょう。私は出立がもっと先になっていて、もっとあとでいいと云ってくれることを切望して居るのですが。
あのひとが出発するときまったら、御せん別には、岩波のウィットフォーゲルの『支那経済学史』(?)という本、私たちから記念にあげようと思って居ります。文献があげられていてきっとためになるでしょうから。研究の方法をも示しているそうですから。
きょうは、あっちこっち体動かしてもう迚も眠い。九時半迄にはねてしまおうとほくほくして居ります。今夜は寝ながら仕事について考えないでいいのです。極めてニュアンスにとんだ、賢こさや愛の溢れ出ている一つの笑顔を見ながら、その精神につつまれた感じの中で眠りにつくのがたのしみです。では大変早うございますが、おやすみなさい。
六月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月十一日 第五十信
すっかり用事をしまって、おやと気付いてびっくりしたのは、盲腸を切った功徳が又一つあらわれていて、台
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