ナしょう。私は落付いて一生懸命に勉強していればよい、そう思って居ります。これから又本読み。勉強しながら、時々そーっとわきを見たいような心持になります、そして、どうお? とききたく。大変、かけるものの工合などなおしたいと思います。今はもう夜ですから、夜の仕度にすっかり着物のしわなどもなおしてあげて、ね。目をつぶっても明るさが頭の中までとおる感じのとき、畳んだハンカチーフを目の上におくと平安ですね。

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[自注16]古田中――古田中孝子。百合子の母の従妹。文学・美術・演劇を愛好した。重症の糖尿病で永年患い、一九四一年十二月死去。
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 五月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 五月二十五日  第四十一信
 又ひとしきり雨が降って来ました。さっきそちらの部屋に切り花が届いた刻限。芍薬《しゃくやく》ですか? 今朝夜着をもって行ってね、余っぽどお目にかかろうかと思いましたが、折角三十日とプランを立ててしずかにしていらっしゃるところを急にガタつかせてはわるいと思って辛棒。お工合どうでしょうか。どうか悠々と御養生願います。きのう『朝日』に公判の日どり七月十一日より火木土と書かれて居りましたが、それらのことはいずれ三十日におめにかかって。
 私の方、大体相変らず。一寸眠り工合が妙になって居ますが、勿論大したことなし。気にせずあたり前にしています。
 一昨日は、『政界往来』というのに何か書くのに、中條政恒という祖父のことを一寸かきました。西村の方は、会があったり自分で書いたりしていろいろのこっているけれども、東北の藩の出で、明治の初めは所謂羽ぶりのよくなかった方の小さい役人で、一生開墾事業に熱中して死んだおじいさんのこと。二人の祖父に、明治へのうつり代りが両面を映していて面白く思われます。西村の方は大礼服の写真。こちらの方は、フロックコート。そういう違い。細君の性格、子供の暮しそれぞれ全くちがいます。やや共通であったらしいのは、どっちの家でも曾祖母という人がしっかりものであった点。私は二人とも顔を知らず、いずれもおばあさんからの話が主です。おばあさんという人は、二人とも風流味がなかった。西村の方は家は茶の家の由。それでも祖母という人は低い現実家で、子供の愛情でも鼻先三寸の方で、老後はそのために幸福とは云えなかった人です。私なんかにでも「百合子さん何々おしかい」という風でね。中條のおばあさんは、貧しい武家暮しの間で風流を覚えるひまなく紋付の裾はしおりで台所働きをしつづけた人です。田舎の言葉で「百合子、お前のおっかさんの手紙は、ハアうますぎてよめねえごんだ」と訴えた人。西村の方は、明六社雑誌同人中では一番保守でした。
 きのうは、書くものの下こねをしていたら電報。ユーソーとあるのでいろいろ考え、自分で持って行くまいかと思いましたが、夜床に入ってからもどうもカ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ーのことが気にかかるので、自分でゆくことに決め。このまま着られになったら、本当にどんなにさっぱりなさるでしょう。ああさっぱりしていい、いい、と云ってどっさりのボタンつけ終った。半身だけボタンとめて、あと半身は、わざとはずして、見られるようにしておきましたが。面倒でもおつけにならなければ、ね、自分で。一つ一つボタンつけていたら、あなたのホクロのこと思い出しました。そして一つ一つつけてはその上に、挨拶のパットを与えました。言葉にならないいろんな物語をしながら。夜具など運ぶとき晴天だとうれしいけれど、天気がわるいと悲しいわね。折角大切に日に乾してふくらがして、ポンポンのをあげたいのにね。てっちゃん、水曜日だったので様子をききによってくれました。呉々もよろしくと。
 昨夕は新響の音楽会だったけれども行かず。前晩余りよく眠らなかったから。早くねたのに、余り好成績でなくて、けさ渋い目をしておきて、夜着をもってゆき、かえりに家の角迄来たら、ぶつかりそうになって隆二さんの一番下の弟さん、駒場出た人に会いました。何年ぶりかで。うちへ来たのだとばっかり思ったら『婦人之友』へゆくところの由。かえりによることにして。台湾の兄さんも出京していられたそうです。
 畜産の話、いろいろ面白く思いました。朝鮮牛をテーマにして特殊な勉強をして居る由。北海道というところは、その道の人が見ると、牧場の経営が古風で、近代経営のところとそうでないところとの差が甚しくておどろく程の由です。北海道は、いい、いいと云うので行って見たがよくなかった。これは私に大変面白く思われました。五月の一時に来る春というものをロマンティックに感じて、いい、いいと云った人と、地べたの上の草の生えかたや原っぱを、風景以上に見られる人の心持と比べて。大変なちがいがあります。人生のあらゆる方面にこのちがいがあるわけです。そう思うと、一層そのちがいの深さが感じられる。そんな気がしました。それから金のこと。朝鮮の砂金のこと。図書館のない町での暮し、勉強の金のかかること。等。ホームスパンのことでは大笑いでした。婦人之友工芸研究所とかいうのがあるのです。そこへホームスパンの柄《がら》の見本をしらべに行った由。そしたら「ありゃ心臓のつよさだけでやっているんですな」技術上のことはひどく知らない。チャチの由。「よくうれますか?」ときいたら「え、とてもうれますわ」との答え。大いに笑いました。『婦人之友』は自由学園で年々歳々暮しにはこまらない亜流インテリゲンツィアの細君をつくっているから、一種の信仰というかくせというかで『婦人之友』のものは、どうしてもうれるしくみになっている。この弟さんは兄さん思いの様子ですね。兄さんの心持のこまかいことなど思いやっていました、離婚した妻君についての心持などについても。愛することと甘やかすこととの混同、愛されることのうれしさと甘やかされる安易さに馴れることの混同、それらがいりくんで、破綻を来した。
 甘やかされるということの害毒は、世の中の波の荒さが加わるにつれて、不幸の原因となりまさる一方です。何につけても、ね。夫婦の間のことのみならず。甘やかされる形、そのしみこみかたは様々、複雑ですから。ユリの生活に於て、その点をくりかえし、くりかえし、云われるわけであると思います。白蟻にくわれてはおしまいですものね。
 きのう『朝日』に今日の学生生活について一寸かいた記事がありました。東大の生活調査だと、月平均四十二円六十四銭。五千四百三十二人のうち一割強がその金にこまっているそうです、農村出の学生が。卒業即応召という事実は、暗記勉強より「笑って死んでゆける心の準備」を熱望させているというのは、わかります。そして坐禅四百七十六名という数が出ていました。阿部知二、現代の漱石と広告文にかかれるが、この若き心を描き得ないことについて、嘗て一度でも涙を流したことがあるでしょうか。私は、所謂作家というもののありようについて、折々何とも云えず貪婪《どんらん》なものを感じることがあります。はっきり大衆作家と本性を出している者の方がまだ罪が浅いようなものです。もう何年も何年も昔にね、私がアイヌの生活をかきたいと思って札幌のバチェラーの家にいたことがありました。そのときバチェラーの養女になっている、アイヌの娘さんで八重子という人がいて、私より二十歳近く年上でしたが一つ忘れられないことをこの人が云いました、何気なくでしたろうが。「皆さんがアイヌを研究して下さいます。そして研究して下すった方は皆さん立派な本をかいたり博士になったりなさいました」胸の中が妙になった心持、今もまざまざ思い出します。だが、アイヌの生活そのものはもとのままということ、八重子さんの心の中で、声なき叫びとなっているのです。この人は和歌をよみます。この人は又バチェラーにつれられてロンドンにも行ったことがあります。
 当時私は八重子さんのそういう心持、悲しみ、キリスト教とアイヌの多神教との神話的な混同、そんなことに興味をもって書きたかったのですが、ものにならないでしまいました。今どうしているかしら。
 二十七日ごろから二三日図書館通いしようと思うので、それ迄に、こまごましたものもう二つばかり書いてしまおうとしているところです。
 筧さんの奥さん(光子さんという名でした)でも来てくれるといいけれども。でもいずれにせよ、私はこの間何とか永続的な形での生活をさがしてバタバタして、そんなものはないとわかって度胸がきまりましたから大丈夫。光子さんだめなら又そのように工夫いたします。三十日迄まだ五日ね。どうぞ本当にお大事に。

 五月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 五月二十七日  第四十二信
 落付かない天候ですね、御気分はいかがでしょう。夜着そろそろお手許に届く頃ですね。一昨夜と昨日は一寸芸当をやってね。私たちふた児なのかしら。心臓がすこしガタガタしてきのうは一日床の中。きっと神経性のです。先工合のわるかったときそういう診断でしたから。すこし眠り工合が妙になっていたから。その故でしょう。十分気をつけて安静にして居りますから大丈夫です。読んだり書いたりも控えて。(これは別よ)お母さんおかえりになって吻《ほ》っとして御褒美頂いて一息いれるつもりでいたら、そちら工合がよいとは云えなくなったので急に気が又張って、疲れが内攻してしまったというのでしょう。小さな肝《きも》ね。こういうこと書くと、ユリ、又宵っぱりしたな、とお思いになるでしょうが、それは断然そうではないのです。
 二十九日
 きのうは一日おきていて、普通に暮しました。十枚ばかりのものも書いて。もう大丈夫。眠ることも普通になりましたし。午後、佐藤さんが、工合わるがっているときいて聴診器をもってよってくれて、胸の音をきいてくれました。きれいな音の由です。実質に故障があればズットンズットンときこえる由。脚気などで弁膜が肥大しているとキッチリ開閉しないので、ズズットン、ズズットンと、ずった音がする由。なかなか面白いものです。私のは、スットン、スットンと滞らずうっているそうですから、どうか御安心下さい。神経性の不調というのは頭脳活動をする人が折々やるものだそうです。誰でも五月は体の工合にこたえるという話が出ました。私は例年桜時分が苦しいのだけれども、この頃は桜の季節もずったのかしら、今頃に。
 それでも(神経性でも)工合などわるくしていては相すみませんから、早速栄さん御愛用の薬を買って煎じてのみはじめました。それはつよい匂いのする漢方薬でね、まっ黒の汁が出て、ヤレと思いましたが、案外にのめます。浅田宗伯先生直伝という字が書いてあるから愉快です。私の体は独特で、いろいろよく出来たところがありますから、マアこうしてすこし手当すれば大丈夫です。漢方の薬も永い間にはきくでしょうし、実際きょうあたりはややきいたと思われる感じもありますが。どういうものか。
○臨床講座の 20、95 おくれていますが、これらは来月五日ごろでないと出来ないそうです。産業医学の方は十五日ごろの由です。どうかお待ち下さい。
 明日は三十日ね。どの位元気になっていらっしゃるお顔が見られるでしょう。いそがしくおなりになるのは九月下旬の様子ですから、ようございます。明日のかえりに六月六日のために島田へお送りするもの調《ととの》えるつもりです、何がいいかしら。やっぱりお菓子と思います。どんなお菓子がいいでしょう。くさりやすくないもの。そして美味しいもの、ね。お母さん今頃三枚の写真をながめて、又一しきりお話が弾んでいることでしょう。そちらへも一枚お送りします。それは、どっちかというと珍しいお母さんがうつって居ます、笑いかかっていらっしゃる顔。立派に実に堂々たる風格です。島田で写真とるときはいつも何かで、お母さんのお気が揉まれ切った揚句《あげく》ですから、いつもかたくなっていらっしゃいます。林町のときはお客で気がおもめにならず、のんびりして、これから不忍の池へでも行こうというところですからそ
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