オんの感覚に入って来ている、面白いことです。作曲だってもうじき、心から湧く音として描ける人も出るでしょう。そして現在の先行的作曲家が歴史的に見られるようになる時期もそう遠くはないでしょう。五十年も経てば。
 五月四日づけのそちらのお手紙で、卯女ちゃんのこと、何か薬はあるまいかとのことですが、薬はないでしょうね。体質が神経質で不眠なのです。乳をのんで二時間ぐらい、普通の子供がぐっすり眠るとき目をあけたまんまボーとしていてうってもたたいても反応ない由。それが曲者の由。あとはすこし眠るとピクリとして泣き立てる由。医者にもよく相談しているし、牛乳もちゃんと調合されたものをのんでいて、今のところ薬というのもないのではないでしょうか。中野さんのところは全く大変です。夫婦が只さえ癇の高いところへそのわをかけた子供だから、うちじゅう三角の頂点につま立っているようです。よそから、ひとの入るすき間もないようです。気の毒だがどうも困ったものですね。親たちの大変な修行です。一つ心機一転したところをもってああいう子は抱擁的に見て行かなければ、今のように目っぱりこでとっくみ合っていたのではやり切れますまい。原さん、劇場の方のことも心にかかっているから余計おっ立て腰で目っぱりこになるのね。劇場で、もう給料は払えないと云って来た由。複雑な時代的なものがあります。いろいろの辛さ十分わかると思います。「原泉子を休ませる会」でお金が相当集った、そのことも今は却って原さんとすれば重荷となっているかもしれない。あれだけやったのだからと劇団内部の人々に印象づけてしまって、今日給料を払わないフリーランサーとしてしまうということも、マアああいう状態では仕方なかろうということになっては切ないでしょう。むずかしいものですね。時代は八方へ作用して居りますから。公私とも八方への目くばりがいる。質がどんどん変って行っていて、そのことでは文学の或ものの持続性とはおのずから異って居りますから。彼等に云わせれば、結局は芸の問題さと、いうでしょう。一面の事実ですが、そういうことで他の一面をずるくごまかしていることになるのでもあります。そして、そのごまかした点については自分自身へさえも、白ばっくれているというわけでしょう。
 そちらへの夜具、奇麗なさっぱりした布買って縫わしにやっておいたら、かけ布団に裁ったと云って来た。大いにカンシャクを起して柳眉を逆立てました。玄人《くろうと》のくせに。早速直させます。
 きょうは体の節々が痛いようです。
 若葉のかげの白煙も大分、今は低くなりました。まだ低く漂って居ります、白く光って。
 隆ちゃんの出るとき、芝生で皆でとった写真来ました。台紙に貼ってお目にかけます。隆ちゃんがあなたに似ているのに稲ちゃん、びっくりして居りました。
 達ちゃんや隆ちゃんへの送るもの近日中に手配いたします。隆ちゃんへは支那語のやさしい便覧すぐ送りましょう。
 土曜日、余り厚く着ていらっしゃるのですこしおどろき気味でした。寝汗おかきになってうすら冷たいの? どうぞどうぞお大切に。ピム、パムはあなたの左右からお対手に侍《はべ》りたいようです。御気分のいいとき、ゆっくりと森や丘や泉の散策もいいかもしれません。本当にお大事に。あなたが、着実に体をお養いになるよう私も着実な勉強をつづけますから。では又明朝。

 五月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 五月十日  第三十七信
 お早う。いかがなお目醒めですか。よく眠れましたか、私はぐっすり。体はまだ幾分きしむところがありますが。寝汗は出ませんでしたか。寝汗をかくと非常にだるいのだそうですね、背中がぬけるようなのだってね。寿江子の話です。きょうもいい天気らしい。
 きのう二時間余つづいた青葉かげの白雲は板橋志村のセルロイド工場でした。志村はいつか手紙に書いた太古のタテ穴住居(穴居的)の遺跡の多いところです。見学したタテ穴の一つに火事の起ったらしいところがあって、そういう穴居人たちが火事でどんなにさわいだかいかにも興味深く感じて見たことも書きました。同じ地べたが、今日では同じ火事ながら大ちがいのわけですね。志村には東京で初めての女校長のいる小学校があります。江戸っ子でね、大層肥ったひとで賢い人ですが、この婦人は自分の経験と活動の方針について、自分一代はこれぞという大したことはしないように心がけている、由。女校長にこりさせない為の由です。初めてのがああだったと市の関係者や校長仲間の男らしさ[#「男らしさ」に傍点]に抵触しないための心くばりです。代々幾人も女校長が出るためには、初代はそういう考えも必要なのね。間接ですがその話をきいてフームと思いました。アメリカなどだと、精一杯、男の同僚をしのぐだけの力量を発揮することが必要です、どういう部署にしろ。そうでないところなかなかの紆余曲折があります、特殊な。文学にだけはマアない。マアないと申すのは、やはりいろいろデリケイトであって、小説の場合と評論の場合とでは、どこか感情としてちがうところがありますから。そういう男らしさ[#「男らしさ」に傍点]は文学の領域にも残存して居りますから。
 九の日をすこし飛ばして貰うことについて徳さんにハガキ出したら返事が来て、お大事にということです。何か面白い翻訳をしているのですって。家は無事です、まずね、とあり。これもニュアンスのある表現です。うた子さん、劇務でつかれているのです。徳さんも就職のこといろいろ考えている様ですが、そう簡単にはありません。どこにでも口があるというのでは決してありませんから。誰でも欲しいのは一部分ですから。
『改造』へは、この間一寸一葉のことを書いたひきつづきの興味で明治開化期前後の女流作家の開化性(文学で金をとるようになった)と、文学作品そのものの内容の社会性とのいきさつについて、花圃や一葉やその他の人々のことを書いて見たいと思って居ります。楽しみなところがあります。明治文学史に一つもふれられていない点ですから。そして、このことは今日婦人作家のありようについてもいろいろ示唆するところがあり、些かはその点にもふれたい。それに、山田美妙とのいきさつによって自殺した田沢稲舟という婦人作家の社会からうけた儒教的な批判の性質、自然主義以前の馬琴的文学者の気分等も見てみたいと思います。一葉と桃水とのことにしろ、実に平凡です。一葉の若さ、教養の通俗性(それはひとりでに硯友社趣味に通じている)いろいろ考えさせます。その時代から野上彌生、俊子、千代と経て来た日本婦人作家の作品における世界のこと、生きかたのこと、やはり面白い。千代が、ああいう男性彷徨の後今日その文学性よりは元軍医総監とかいう父親の地位の方がより確実であるかに見える人を良人として納ったこと、やはり現代的です。今日は婦人作家が筆一本にかける自信をゆるがされている、経済的にもね。芸術的には勿論。文学にたずさわる名流夫人(今井邦子その他)の安固らしさにひかれる心持。一葉が若い生涯の晩年に到達した文学上の自信は、一歩あやまれば彼女の勝気さの故に到って卑俗な気位に近づく性質をもっていましたが、ああいう意気はお千代さんには決してない。男性彷徨の後、所謂風流な対手との生活に納まるのがこれまでであった、或は下らない対手と下らない市井生活にうずもれるのが(青鞜の諸氏のように)。今日は脂《あぶら》切って居りますから決してそんな素朴ではない。面白いところですね。筆にたより切るひとは、又それなりに双眼鏡を肩からかけたりいろいろの身すぎにいそがわしい。荒い浮世の波のうちかたを思わせます。
 歴史的に見ると、若い花圃が洋服着て「男女交際」をして、兄の法事のお金が入用だと小説かいて、大変もてはやされたということも、どんな小説だったかと内容とてらし合わせて見れば随分面白い。これは但し図書館仕事ですが。
「風と共に去りぬ」いかがでしたか。お読みになりましたか。「ミケルアンジェロ」ついでのときお送り下さい。
 片山敏彦(ロマン・ロランの研究者)が『都』に書いていた感想の最後は、今日求められているのは精神の建設であるとして、アランの「負いがたきを負うのが精神である」という文句をひき、ヨーロッパでリルケや何かが再びよまれているのもその点にあると云って居り、現象主義以上のものを熱望している感情は、今日の数多い心の要求を反映して居ます。しかし、リルケがゴールであるところ、そこね。何故人間の叡智とでも云うようなものは、いろんな袋小路やあいまいなかげやに、身をよせたがるのでしょうね。複雑極まっての単純な光の、透明な美しさは、透明すぎるのでしょうか。生理的にまだそういう未開さが細胞にあるかと思うようです、折々は。限度が小さくて、低くすぎる。自分をつきはなして見れば勿論その埒外にいると云えたものではありませんけれども。願望としても、ね。
 こういういろんなことを考えると、勉強したくなりますね。
 きょうは、夜新交響楽団の音楽をききに寿江子と出かけます。
 寿江子も今気候の故ですこし工合わるがって居ります。近日中に又熱川にかえるつもりで居ます。栄さんのところでミシンかりてこれから着るものを縫って、そしてかえる由です。寿江子もお母さんとは気の合うところあり。お母さんは、おかえりになって一日二日と日が経つ毎になつかしさがまします。本当にいいところがおありになる。縁側のところで達ちゃんの嫁さんの話が出たらそれにつれて、お母さんは私の膝にお手をおいてね、「あなたは家事向のことを一切心配せんと、仕事をずっとやりとげなさいませ、それで結構」とおっしゃった。御自分もそれをよろこぶ心持でね。お母さんも勉強には興味もっていらっしゃる。御自分の血統の中にあるものとして尊重していらっしゃる、これはありがたいことね。東の窓から朝日がさし込んで背中の方が明るい部屋です。ベッドの白いシーツが朝日を爽やかにうけています。きょう一日御機嫌よく。

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〔欄外に〕◎そちらに出かけると、マア二時間費します。その時間だけ書きます。お母さんも本当に「熱い女」のお一人ですね。なかなかようございます。
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 五月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 五月十一日  第三十八信
 ひどい風ですね、そして大変むし暑いこと。よくお眠りになりましたか。珍しく私は夢を見て、大きい家畜小舎と奇麗な芝生と川村女学院を見ました。川村女学院というのは本当は、目白の大通りにあるのですが、その夢では林の間の芝生の横にありました。可笑しいこと。そして、亡くなった母がそこからうちへかえる途中、よその家の鶏小舎の屋根にのぼってそこから狭くるしい垣の間へおりて、垣をお尻の方からくぐって来るのを一心に待っていました。格子ががらりとあいて、鶏小舎の主人が出て来たのに、私が何か云っている、つまり、あやしい者ではないというようなことを。
 昨日は、手紙かいてから本を七十頁近く読み、隆ちゃんやその他先日来たまっていたところへ手紙をいくつもかき、夜音楽をききました。日本で初演のが一つ、フリュートのコンチェルトが一つ、あとヴェトーヴェンの第三(エロイカ)。久しぶりで面白うございました。第一のは、楽器の使いかたとして玄人らしいこったところがあるらしいけれども、音楽として語り溢れるところがなく、頭で作られていて、大変面白いようで面白くないもの。文学にもあります、こういうのは。フリュートは日本の人としては相当にやりますが、体力が不足です。第一、第二、第三と楽章が進むと第三に入り、めっきりへばりが見え、ヨタつき、息を吸う音が耳につくようになる。なかなか大変なものですね。ピアノにしろ、すべての器楽と声楽と、いつもこの全く生理的な体力の粘りのよわさが感じられ、食物のことやいろいろを考えます。神経の緊張でかっと一時に出す力ならあるのでしょうが。
 フリュートのコンチェルトなんかというものは、私が新響をききはじめてこの数年の間、今度で二度目ぐらいです。そんなにたま
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