ノ在る心持で語るという。しかし、小さいことだが一寸相手の人という者の確りさ[#「確りさ」に傍点]の種類について感じた言葉がある。おひささんが私のところで経験した生活は(そういう生活は)長所もあるが欠点もある、その欠点を田舎へかえって直して来い、と申しました由。おひささんには申しませんが、私は、生意気だと、思う。田舎の大きい家の二男坊らしい目安があるのです。だから欠点云々という。私はおひささんに「旦那さんにそう云っておくれ。おひささんが自分で持っている欠点を、私たちのうちの欠点と思って貰っちゃとんだ迷惑だって。」おかしいでしょう。いかにもおかみさんのようなことをユリもいうとお思いなさって苦笑なさるでしょう。でも、それはそうだわ、私の心持から云えばね。おひささんはナイーヴですから、対手のそういうクラーク気質を素直に反映するのです。おひささんも、そういう御亭主に鍛えられれば半年か一年して変って来ることでしょう。対手の確りさ[#「確りさ」に傍点]、その工合も、それで略《ほぼ》想像がつきました。いわゆるかっちりやでしょう。ビンタで人を使っている立場だから、工場づとめでも。冨美ちゃんは土曜日か日曜に参ります。この頃は大分体がしっかりして、あちらではバター牛乳が献立の中に入れてあるからましです。特に冨美子のためにそういう点気をつけていらっしゃるから。語学のこと申します。女学校を出たら二部へ入って二年で資格をとる計画です。お兄ちゃんが可愛がっているから仕合わせです。女学校三年から上の学校へゆく子と家事向の子とわけて、語学の時間などふりかえる由です。
さあもうそろそろおしまいになりましょう。うちの裏の白い「いちはつの花」が一輪今朝咲きました。鶏の卵は一日に七つか八つ生みます。麦は今年はきれいにのびていて、広島の方は穂がでて居りますが、こちらはまだ。河村さんのうちの横に山羊がいて、それが年よりの男のような声でメエエエと鳴くが、一種妙な淋しさというか、退屈さというかがある声の響ですきでありません。動物の声のくせに、いやに人間っぽいところがある。いやな心持。(本当よ)気の違ったすこし年よりの男が、言葉で何か云えないで、声ばかり出しているようで。上島田の町並はちっとも変りません。周南町とはなっても。もう一度こちらへ手紙頂けるでしょうか。
くれぐれもお大事に。私のかぜは大丈夫です、けれども非常に御持薬を欲します。
四月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
四月二十一日夜 第三十四信
今下へ近所の細君で指圧療法をする人が来ました。それで一寸失礼をして二階へにげ出し。大変挨拶が長くてこちらの言葉で云うと、ハア持てん、から。
去年来ていた間の手紙に、タマという猫が登場しましたが覚えていらっしゃるかしら。もう八年いる由です。そのお玉夫人が今年は六匹仔を産みました。去年は飼いようが下手ですっかりおびえさせてしまったので始末にこまり、遂にカナリヤ箱に入れて遠くへすてに行ったので、本年は手なずけてそれぞれ養子にやろうというわけです。今カナリヤ箱に仔が六匹入っていて、ときどきお玉夫人を入れてやる。店のところに出ていて、人にも馴れ且つもらい手を見つけようというわけです。よく手まめに母猫を出したり入れたりする、誰彼が。生きものを飼うのはこういう人手がなくては駄目ですね。戸塚の主人は、小鳥を九羽飼っています。それぞれの籠で。私にはそういう小まめさがない。あのひとは実際まめね。鳥の名はどれも相当美しいが。例えば瑠璃、きびたき、黒|鶫《つぐみ》などと。
こうして坐っていると、昼間のいやな山羊の声はしなくなって蛙がもう鳴き出して居ります。蛙の合唱期は永いものなのね、六月初旬は夜という夜が蛙の声で溢れるようですから。北海道へ旅行してアイヌ村の真暗な夜、谷地《やち》で(湿地で葦のような草の根のかたまりだけがとびとびにかたまって谷地坊主と云われて居、そこをつたわって歩く)五月頃蛙が鳴いていて、その声々が天地一杯という原始的な印象を思いおこします。自然の深さが、夜の闇、そこで生きているという力一杯の蛙の声々で、非常にポテンシアルな豊饒さで迫って来たのを思い出します。数年前、栄さんと信州に行ったことがありました、あのとき木の葉に小さな蛙がとまっているので、栄さんが珍しがって、ホラ又いた、ソラそこにいると云って歩いたことがあった。四国に――小豆島にそういう蛙いないのですって。
母が若い娘の頃、お風呂に入っていたらいきなり背中へピシャリと冷たいものがとびついたので、キャッと云ったらそれは青蛙だったという、いかにも明治初年の向島あたりらしい話もある。この向島の家は、築地の家の隠居所であった由。私が五つ六つで行った頃は裏に蓮池がありました。青みどろが浮いていた。ここは震災で滅茶になり、後とりがあるようなないような形で今は江井、ね、もと林町にいた、あれがアパートをやって居ります。
ハハア、私がここにいるのでKという運転手遠慮して下へおりた。寝たいかもしれない。では、私もその細君を忍耐して下へ行こう。では又、ね。サロメチールつけたので、びっこ大分楽です。
二十二日
きょうは久しぶりではっきり晴天になりました。暖いこと。でも羽織をぬぐと風邪をひきかかるような工合。そちらの御工合はいかがですか。きょうは二十二日ね。三日、四日に岩本の小母さんが来られて、五日に立って、六日について、七日。七日。七日。
沢山歩いたりして疲れている故か眠いこと。この頃皆つかれて大抵九時半というと一斉消燈です。六時前もう、御免なさんしと云って来る人もある。朝、駅から電話がかかって、二十六日の「さくら」の場席がとれました。多賀ちゃんはお母さんの持っていらっしゃる襦袢を縫っている。私はさっき下で、お母さんがあなたへお土産とお買いになった純木綿の浴衣を裁って、二階へ来て久しぶりで海老茶色の本をひろげました。そして六十頁ばかり読んで、一寸一息入れたくなってこれをかきはじめたわけです。明日冨美ちゃんが来るでしょう。明後日は岩本の小母さんが見えるでしょう。二階にいられる時間がなさそうですね、私は笑われるかもしれないが慾ばりでこんな本よみかけ一冊、つづき一冊、二冊も持って来たの。一冊読了することさえ出来るかどうか。今ではこの本も親しさが加っていて、長い本をよむときの気持の持続性が生じていて、日常生活の気分と平面が同じになって来た感です。生活の内へ大分入って来て、そう嵩《かさ》だかで、手の出ないという感じでない。
てっちゃん、やっぱりこんな本よんでいる話、していましたろうか。そう云えば、私の今日の手はすこし鉄さびやら蕗の渋やらがついています。うちの水はひどい鉄分で、アルミニュームのやかんにすっかり赤さびがついて湯の出がわるいわるいとお母さんが云っていらしたので、その中をすっかり洗いました。マアマアと皆びっくりした、よくこんなのでわかしたお湯をのんでいた、と。でも鉄は貧血症の薬だから、うちの人は皆貧血はしないでいいだろう、と大笑い。蕗はお母さんと、台所の腰かけで話しながらむいたの。わきの七輪ではタコがゆだっている。お湯からゆでると茹《ゆで》ダコの赤いのにならないとか、なるとか。その汁が松の木の緑を深めるというので野原の小父さまが御存命中、わざわざタコを買ってその汁をかけたとか、そんな話をしながら。うちの仲仕たちタコが好きですって。その御馳走。タコは骨を太くするんじゃげなと仰云るから、アラ、タコは自分が骨なしの癖に、と又大笑い。
『大阪朝日』へは『東京朝日』へ出る『中公』の公広[#「公広」に「ママ」の注記]など二十二日になって出るのですね。きょう、『中央公論』と『日本評論』とがのっていて、『日本評論』ではパール・バックの「愛国者」という小説の抄訳か完訳か、広告が出て居ります。これは日本の長崎や日本人や、日本に留学している中国人やらが出るのですって。バックはどのような材料によったのでしょうか。
同じ『日本評論』に富沢有為男の「東洋」という小説の広告あり。題が多くを語っている、そのような作品でしょう。しかしこの題からバックの取材(日本人など扱う)を考え合わせ、日本の文学の複雑な内包的可能性というようなものについて考えます。日本の文学において見らるべき視野は、明かに地理的にもひろがって居り、それによって人的諸関係もひろがって来ている。日本の小説が東洋というような題をもちたがる気分が生じている。そのことの中に、現在は盲目性がその中軸となって居ること、ならざるを得ないような事情が、この新しい文学上の条件を非常に特殊なものにしている。非文学的な性質にしている。こういう時期がどのように経過するか、そして真のひろがりがどのように文学の上にもたらされるか、これは十分注意をもって観られるべきことです。川端康成や何か、作品の部分部分でそういう点ではごく小さく或る追随をしつつ全体としてはそういうものと対立するものとして純文学を云って居り、そういう読書人間の要求もありますが、純文学というものが川端の火の枕(「雪国」)でなければならないのではなく、又所謂生活派でも(これは自然主義の一転形ですから)なければならないというのでもない。真の文学の発展、成長が、地理的拡大だけではなり立たないという微妙な真理はここにも反映して居り、文学をもって生涯の仕事としているものにとっての云いつくせぬ遺憾があるわけですね。この点については、なかなか面白い問題がふくまれています。
二十三日
今朝は三時四十分に多賀ちゃんを起し、多賀ちゃんが御飯の仕度してから二人の男連をおこしました。私が目醒し時計。お母さんはおきなくてはならないと思うと、よくお眠れにならないのですって。だから又例によって私がおこし役。私の可笑しい特色ね、こんなに眠りん坊のくせに、大抵おきなければならないとき目をさますというのは。どういうのかしら。かけねもなく、あなたにほめて頂いたのもやっぱりこういう目醒まし役でしたね。それを思うと笑える。そしてその笑いは段々と優しいニュアンスを帯びて来ます。眠たさで、重く柔かになっている体や、いやいや青茶をのんでいらっしゃる手つきや。
達ちゃんからお母さんと私とへ手紙が来ました、十六日に出している。島田へ来たことをよろこんで居り、隆ちゃんにとっては何よりの餞別でどんなに意を強うしたかしれない、と書いてあります。母上の方へは、顕兄さんのお気持も十分わかります、深く感謝しています、と書いてありました。大同の人たちは一部(年かさの人々)が帰還するかもしれぬ由です、勿論はっきりは分らないけれども。若い達ちゃん達は後まわしですが、本年中には、と書いてある。辞典が大いに役に立つ由。誤字がすくなければそのおかげ、とありました。
達ちゃんは面白い。私宛に書くときより、お母さん宛に書く手紙、見違えるようにしっかりしていてゆき届いていて、なかなか急速な成長です。お母さんが三十年来商業に従っていて、後天的に商業をたのしむようになっているから、商業のために忙しいのは決して不満でないのを知っているから、お忙しくて却っていい。そういうようにも書いています。私へは、書くことが家事に即さないのといくらか、かたくなるのね。写真、あなたの方へは送ってよこしますか。東京へと思うと何か気おくれがする(写真)と書いてあるので笑いました。父上の御一周忌くり上げたらよいと達ちゃん申していますが、これは予定通り決してくり上げません。そういうことにきまって、お母さんもお上京になるのですから。よしんば又五日ぐらい私が来なければならなくても、やはり六月六日がようございますから。
これから達ちゃんと寿江子に手紙かきます。寿江子は今主婦代理故、二十六日の夕刻ついて、それから御飯の準備ではこまるから、今日献立を云ってやっておくのです。
野原小母さんお見えにならぬうち、と大急ぎなの。冨美ちゃんがついて来て、私が二階にいたのでは何に来たのかわからないと思うでしょうから。
きょうはひど
前へ
次へ
全77ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング