であろうかということがこの頃改めて人々の心のうちに問われている、そのことについて。農業、工業、技術の文学的説明が文学でないということが感じられていることについて。『文芸春秋』へは、つなぎにというので一寸した思い出のようなもの。
 島田行の仕度はすっかり完了。さっきチッキにして送り出して、明日の私の出立ちは、小さい手提カバン一つです。それに膝かけとクッション。お土産は、お母さんに春のスカーフ。これは紗のような黒い地に黒いつや糸で、こまかい花の出た品のよいの、先、私がそちらへかけて行っている紺のを御覧になってほめていらしたから。私のより上等です、長くお使えなるように。多賀子にもレースのスカーフ。働いている男連には皮のバンドか何かがいいとのこと故それ。野原の小母さまに下駄。河村の細君にも。冨美ちゃんにくつ下。それに、のり。お土産で目のくり玉がむけました。去年より同じようなもので例えば二十円のものが三十円になって居ります。隆ちゃんは、現地教育としてゆくのだから後から送ることは出来ても、行くときは何も持てぬ由です。明日御相談いたしますが、お金でもあげましょうか。
 あっちでは主として読む勉強をヘビーかけつつ、書くものについてねって来るつもりです。(本もって行きます)
 おくれた手紙で、しかも落付かなげに書いていて御免なさい。いろいろの買い物や家の用事のことやでつかれてしまった。
 寿江昨晩参りました。林町から親子三人昨夕飯に珍しく来て、隆ちゃんへのおせんべつよこしました。徳さんがわざわざその間に来てくれてやはり隆ちゃんへ。隆ちゃんの写真お送りいたします。それからお注文の『実用医事法規』を。夜になって先刻届けて来ましたから。では行って参りますから、御機嫌よくね、呉々お大切に。眠い眠いの。下の台所でバケツを誰かがひっくりかえしてガランガランやっている。私はもって行くための縮刷の詩集をこれからとり出して枕許において寝ます。では明朝。

 四月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県熊毛郡周南町上島田より(封書)〕

 四月十七日  第三十二[#「二」に「?」の注記]信
 さて、きょう、やっと二階に落付いてこれを書きはじめます。十三日には、午後一時半のサクラで出立。相変らず例の如く寿江子、栄さん送って来てくれ、後から思いがけなく、太郎その両親が現れました。太郎幼稚園がえり。アッコオバチャン送りにゆくかときいたら行くと云ったということで両親ついて来た。
 特急は御承知の通り定員で切符を売って居りますから立つ人はありませんが、その代り一つも空いたというところがない。二人ずつ、つまりぎっちり四人向いあって、相当です。私のとなりに来合わせる人は、私を苦しめるだけでなく自身もよけいキュークツ故笑ってしまう。大陸との交通繁くて、こむこと! すぐ隣の席に女がいて私はチンタウに二十七年います、私は奉天に何年。あたい、あたいと云って特別に響く声を出して、我もの顔でした。
 やはり盲腸のくされのなくなったのは有難いもので、大してそれでもつかれず。すこし体を休めたかったので広島からは二等にしました。ずっと真直かけたっきりで脚が切なかった、けれども、これは結局二等も同じです。やっぱり二人つまればなかなか楽でない。今のようにどうしたって一人でいられないように混むときには、三等もその点は同じという結論を得ました。
 途中はずっと東海道の花見をいたしました。サクラのニッポンというわけね、全く。実に咲いている。そして奇麗です。市内の桜のように灰色のよごれた幕ではない。夜になって、退屈になったとき、朝着いて一度よんだきりであった手紙出して、ゆっくり、ゆっくり、字と字との間をくぐったり、字にもたれて一寸ぼーとしたりしながら永いことかかってよみました。そして、何だか独特な豊富さで旅の心を味いました。自分の名の呼ばれている、その字に声が響いていて、その声の響から全身が感じられて、近くに近くにあることを感じる夜半の汽車の中。
 目前や周囲にくらべず、より高くと成長してゆける目安から考えるということは本当のことであるし、又本気で自分の生きかた、仕事に面したとき、云って見れば人類の古典と自身とが一つの直線の上にある感じで、ぐるりの同時代的相貌は煩わさなくなって来る。自身が古典として生き得るという直接の意味ではなく、芸術がいくらか分っているものは、恐らく誰でも、題材に向いテーマに心とられたとき、同時代の誰彼が、ああかいている、こうかいている、は消えてしまうでしょう。
 低いものと比べるという形で危険は現れないのです。こっちがましというような形では出ない。比べる気も持たず、そこまで自分を低く見ていず、しかもそれが、十分客観的に自他ともに見得ない(プラスが正しくプラスとされ、負の面はそれとしてこれ又正しく示されるという[#「う」に「ママ」の注記]がない)そこに危険はあるのです。低いところへ移ってゆくと思わず、高いところにいて、事実対比の上ではそうであるが、地盤の下りようがひどいから全体として大したズリ下りになってしまっていることがあり得る。そこがこわいところであると思われます。昨今の私は仕合わせに自分のプラスの面をかぞえないといられないように貧弱でもないから、本当にいろいろ書いて下さること底までよくわかるし、その点では私心ないの。それは前便にも書いた通り、ね。片上全集の第二巻御覧でしたか? 一人の友に二つの種類のものを求める心のこと、お思い出しになれましたか? 又くりかえしになりますが、それこそ人間が人間に求める深い深い心ですね。男同士、女同士でさえそれは稀であり、ましてや男と女との間に、そういう二重の一致があり得るということは、一般の事情、文化のありように準じて、何と何と稀でしょう。男と女であるという単純な偶然から必然であるかのように結びつくのが一般であるのだから。
 十四日の朝ついて、十五日は一日茶の間にいて、昨十六日、日曜日面会いたしました。実にようございました。隆ちゃんは二十一日に立つことが、その前の晩の点呼のとききまったのだそうでした。電報うとうかと思っていたが、どうせきょう来るというのだから、びっくりさせる迄もないと思って出さざったと云って笑って居りました。去年会ったときよりは大分肥って大きくしっかりして、すっかり馴れた風です。班のものが皆可愛がってくれる由。ねえ、わかるでしょう? 可愛がらずに居れないところが隆ちゃんにある、当然だと思いました。只おとなしいなんかという受動的なのではないから。やることバリバリやっちゃる、そういうまけん気と、一種独自なやさしさ、おとなしさが伴っていて、本当に私だってかわいいと思うのですもの。昨日は最後の外出で、六時まででした。曇り天気で、お母さんと私とはどんな土砂降りになってもいいように雨合羽を着て、下駄に雨傘といういで立ち。広島の相生橋というところで降りて、桜の咲いている一寸した土堤から下へおりて連隊へゆき暫く待っているとすっかり外出の服装で、長い劒を吊った隆ちゃんが出て来ました。昨夜から一等兵になった由、星二つついている。十時すぎでしたから、ずっと西練兵を突切って歩いて、福屋デパートへ行って、先ずクレオソート丸やその他の薬品を買い、六階の食堂でおひるを三人でたべました。隆ちゃんは西洋料理はきらい。白いお米の御飯よろこんでたべました、あちら麦ばかり故。どうもお花見だし日曜日だし、広島の狭苦しい通りは縁日のような人出で、ゆっくり歩けもしない。すこし静かなところと云ったら隆ちゃんが比治山公園というのへ案内してくれました。ここも折からお花見の大した人出でしたが、山がひろいので、騒々しくはない。そこの林の間の亭に腰かけて、お母さんは隆ちゃんに東京からの御餞別をおやりになり、私たちのもやり、隆ちゃんがこれ迄働いた給料の貯蓄分として、いつぞやお送りした額の倍だけ定期にして証書を見せておやりになりました。私共三人がそんなことをして、隆ちゃんがいろいろ軍隊生活の話をしてきかせてくれたりしているわきには、サラリーマンの親子づれが竹の皮を開いてお弁当をたべたりしているという光景です。暫くしてぶらぶら山の高みへ上ったら、そこは大変。ぎっちりのお花見。のんだくれて歌をうたっている。すぐ下りて、ずっと広島市街の見晴せるところへ来て、みよし野という茶屋のはり出しに休んでお菓子をたべ、そこでしばらく話し。私は三人でどこか落付いたところへ休みたいと思い、宿やか何かへ行こうかと思ったが土地の様子も分らずそうやって、話して、それからズックの物入れ、空気枕など買うために又福やへ戻りました。(広島ではメーターの基本が60[#「60」は縦中横]銭ね。東京の倍です。東京は30[#「30」は縦中横]からはじまる。)そこで買物が不足。空気枕なし。本通りという人ごみをごたごた歩いて、森永で又休んで、もうそのときは四時。五時すぎにかえって風呂にも入った方がよいというので、四時半頃西練兵のところで電車にのる私たち、かえる隆ちゃんと訣《わか》れました。
 お母さんは面会で上気《のぼ》せ、ゆかれることで上気せ、人ごみでおのぼせになってあぶなくて。私は怪我があってはいけないと思い、時々こわい声して、それでも無事広島から五時二十五分のにのりました。
 ゆっくり会えて、本当によかった。隆ちゃんはほんによう早うに来て貰ってすまんかったと云ってよろこんでいてくれて、うれしゅうございました。十六日に私がゆくというお手紙ね、そちらの。丁度十六日につきました由、よませて貰いました。よく分らないが北支の方面のようです。二十日に又会いにお母さんと御一緒にゆきます。二十一日の宇品はそれこそ人波の押しを私の気の押しでは支え切れないから、却ってあぶなくていけないから行かず。Kという運転手がゆきます。
 達ちゃんも無事。近々坂田部隊というのと合一して大作戦がある予定の由。お母さんのところへ来る手紙、こまかに隆ちゃんに持たせてやるもののこと、自動車の車体検査についての注意等、大変はっきりと明晰に書いて来て、すっかり大人らしくなって感じられます。水のせいか何かで歯が三本虫くいになっている由、それを直すに送金してほしい由、きょう飛行便でお金と隆ちゃん出発の知らせお出しになりました。
 この手紙は、表通りに近い方の部屋で書いています。上ったばかりのところには、Kというのが、自分の机をキチンとおいて、その机の下にトランクをチャンと入れて、机の上にアザリアの桃色の花を飾って居ります。だから私はこっちの部屋。でも正直なところすこし寂しいの。私のいたところ、いるつもりのところにひとがいるから。でも、うちとすればこのKが几帳面によくやっているからというところがあって、お母さんも丁寧に口を利いていらっしゃいますし、そうやって置いていいのです。夜は下の部屋に、お母さん、多賀ちゃん、私、眠ります。こんなことでも私が早おきになっているのでどんなに楽かしれません。早ねを皆と一緒にして、大抵同じ頃起きられますから。案外のところに功徳がありました。これで私が早くおきられないと、自分でも辛かったでしょうから。このKという人の性質はその机のありぶりを見ても分るようなところがあって、なかなかの努力家、まけん気。もう一人いる広瀬という仲士はすこしぬけさんと云われますが、気はよい男です。トラックの方はこの二人がきっちりやっていて、毎日25[#「25」は縦中横]〜30[#「30」は縦中横]ずつ仕事している由です。先月は 600 位の由。ですから、お母さんもこの頃はすこし気がのんびりとしていらっしゃるわけで何よりです。
 それについてね、お母さん御上京のプランがあるのです。今ならば二人がトラックはやっている。多賀ちゃんも落付いている。二人の息子を出してしまって、お母さんはあなたの顔が御覧になりたいのです。この頃は毎日でも面会が出来るそうだから、前後十日ぐらいの予定で行って七日ほど毎日ちいとあてでも会うたらさぞよかろう、というわけです。秋に行こうと仰云いましたが、秋は
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