一年に三―四百枚小説をのせることが出来れば経済的にはどうやらなり立つのですから。ほんとに考えてしまう。あっちへいってもこっちへ来ても、生活のパタパタからやっては三日ぐらいいて又あっちというの、本当に考えものに思われます。機械的にそうやらねばならぬものとしてやって見たところで、意味ないし。
    ――○――
 同じ筆者の翻訳でも、訳をする人の文章に対する感覚の敏感さによって何というちがいでしょう、与えるものの。あの本の初めの部分は文庫で、これは名文です、底まで味いをつくして訳しているから全く感動すべき動的な思索の美が流れています。あとの部分は別の人ので、その人は理屈を辿っていて、文章の美まで到っていない、ためにやや晦渋で、活きた美を失っている、残念です、でもつづけて居ますから大丈夫。そちらはこの天候で風邪お大切に、咳出ませんか、明日ね、

 四月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 四月六日  第三十信
 四日づけのお手紙けさ、ありがとう。この頃は起きる方が新聞や郵便の配達より早いことがあります。きょうも。手紙見ておいでよと云って、丁度出がけにうけとりました。
 先ず金原の本。このお手紙のと合わせ(追加注文したから)届けて来たらすぐお送りします。きょう云っていらした小説では、和田の「沃土」と伊藤永之介「鶯」など農民文学の双壁[#「双壁」はママ]ということになって居りますから送りましょう。「鶯」はないから買って。生活派という文学を徳永直の「はたらく一家」が代表している観あり。受けみ反映の典型。
 本のこと。きょうは家へかえっても思い出して、ふき出してしまいました。本当すぎて笑えてしまうということもあります。あれはそれね。私は手紙で、わかるとか、わかったとか盛に書いてくれるが、とお笑いになったように、きっと書きすぎてしまうでしょう。(あなたの仰云ったことは本当としての話です、勿論)きっと、わかるということをわからせたいと心配しているのね、こんなこともつまらないこせつきのようでもあります。今になおります。よむ方が益※[#二の字点、1−2−22]はかどれば、益※[#二の字点、1−2−22]こせこせ、ね一寸見て、一寸見てとうるさい子供式のことはなくなります。
 経済年表はたのんであります。哲学辞典はありますが。経済学史のことありがとう。大部なものの前によんだのにも一部分は出て居りました。文学評論の古典は、アリストテレスとは思いませんでした。あれはもう古典をそう考えていた時代、岩波のホンヤクでよんで(!)しまいました。
 いつだったか徳さんか誰か、あなたの物覚えのよいのをフーと云って話していたことがありますが、大掃除以前のきわめつけ[#「きわめつけ」に傍点]をとり出されたのは、全く汗顔です、意地わるい方ね。恐縮な顔は自分でも滑稽であるが又腹立たしいところもあります。まさか、今悦に入ったりしてはいやしないでしょう? 悦に入っているなどと思ってお書きにもなっていないでしょう。
 素朴な合理主義をより成長させるための努力。いろいろ勉強して、文学においても発展成長させたいと思います。素朴な合理主義へは、誰しも一応ゆくのです。そこいらまでは自然発生的に辿りつくが、現実の諸事情の間で、いつしか弱い基力となり、文学においても様々の形体で、主観的な道義性ならまだわかるが、道義性さえ失ったあるがままの姿に安住する姿、陸続です。私にあっての危険は(文学上にも)土台そういうのはこまるため、それに反撥して、しかも基底はちょぼちょぼであるためやはり大きい目で見れば主観的なもので強ばって、ひとも発展させず、自分もめきめき成長するという工合ではなくなるところです。(いつか勝気のことにふれたと同じようですが)そういう点実に面白い、こわいものです。このいきさつを科学的につかまない、そのような機会にめぐり合えないまま、卑俗な意味の物わかりだけよくなってしまうような人の例がある。
 ペニイのことから敷衍《ふえん》されてある点ね。これは作品が本ものか本ものである[#「ある」に「ママ」の注記]か、本ものになれる資質かなれない資質かという位機微にふれた点です。反射運動みたいな習性、才気ある女云々、そうとり出して読むと何かおどろかれるようですが、私はこの頃ペニイのこと抑※[#二の字点、1−2−22]《そもそも》からね、こう考えるのです。そういう感想をもたれた以上は、そんな気だとか気でなかったとか云うより先、自分のどこかにそういうものがあるのだ、と。同じような種類の、或は程度の間では似たりよったりのため気付かれずいるものが、見え、質の点で小さくても大きいことだ、と。むき出しの身をもって学び、成長してゆくということは、生涯その成長をとどめない努力をつづけて自省をより高くひろくしてゆくということは大したことですね。その困難さが十分に分るだけでも困難というようなものです。文学においては、特にある境地でものを云う風が多く、(過去の文学の性質上、作家の生活上)あるところへ(迄)ゆくと、とかくそういうものがつく。苔。文学が衰弱しているから、青年の文学における歩み出し第一歩がもう境地の手さぐり、擬態、誇張ではじまっている。
 非文学的文学の横行の自然な半面として、純文学がこの頃はずっと浸出[#「出」に「ママ」の注記]して来ています。しかしその純文学が新鮮な血球を増殖させ得ているかと云えば、何しろヴィタミン不足故、境地的なものから脱せず、そのことで純文学を求める心の負の面と結んでしまうことになります。そうなっている。しかしそれにあき足りない本能はうごめいているが、目やすがないから女子供の書くものの面白さに行ったり、今日婦人の作家が健全に成長し得ない、その低さ小ささ、その罪なさ(愚にも近づき得る)のなりに、所謂現象的擡頭をしている。ですから、栄さんのかくものが、栄さんの人となりのままで、その程度なりにまじりもの、こしらえものでないから本人予想以上の好評であるということになります。所謂新人のうちでは忽ち屈指です。健康さから云ったって。そこにやはり悲しみがあるわけです。
[#ここから1字下げ]
〔欄外に〕こんな飾りをつけていて[#便箋右上に花飾り付きのページ数]、不図昔の人間がゴジック文字をこしらえた気持思いやりました。ああいう気持、こういう気持のおもしろさ。
[#ここで字下げ終わり]
 自分の主観的な一生懸命さでさえ、成長を阻むものとなり得るということは、一応も二応もわかって居て、岡目八目的にはわかっていたが、我身にひきそえて、この頃は自分たちの生活の本来的なよいものでさえも、それをよいように活かさなければ、わるいものにさえも転化して作用すると思って居ります。推進力というようなことをも複雑に考えます。所謂いいもの、いいこと、だけがよい方への推進力であるときまってはいない。あなたにとって、あなたの讚歌をくりかえすオームや、我々にとって我々のよろこびを死ぬほどの単調さでくりかえすちく音機もいらないわけですから。
 円滑性ということについても考えます。いろいろな場合の。これもなかなか目が離せぬ代物と考えられます。同感でしょう? いいものから来ているものもある、だが、ペニイの従妹めいたものもあるのではないか。包括性としてあるのか、どうか。ね、私には幸、便宜的な社交性、功利的な社交性というようなものはすくない方だけれども。俗人気質は全く通暁してよいものだが(作家として)自身の俗人性は、これ又本ものの作品の基調と両立しないものです。文学上のこの点は少しこまかに考えると面白うございますね。久米正雄は文学者というものは一般の大衆より一歩先を歩いていなければならないが、決して二歩三歩先を歩いてもならない、というような彼らしきことを云って、その例として漱石、ゲーテ、トルストイ等あげていました。(よほど前)凡人らしさで衆凡との共感が保てるというわけです。共感ということがここではもっと詮索を要しましょう。もろともに泥濘をこがなければ(現象的に)ならないというのでは、直さんです。泥濘のあるのが現実で、そこをごたごたやっているのが現実だ、そうい直れるものではないわけですから。いつぞやの手紙でふれた小説と神のような心の話ね。考えて見ると文学もジタバタですね。作者の眼のひろさ、高さ、複雑さは、何かこれまで共感のひろさ、複雑さといくらか別なもの、判断力ぐらいの範囲で云われていた傾きがあり、従って共感というと現実主義に傾いて、自分にも対象にも溺れる甘える結果を来している。日本の純文学が私小説となり、今境地小説として出ているのとこのこととは、なかなか深い因縁がつながって居りますね。
 ああ、豊富な人間になりたいわね。豊富な人間になりたがる人間ではなくて、豊富な人間そのものになりたいわね。私にとって大切なのは、自分の努力で、現実に、今よりはもっと豊富になり得る余地があるということを常に知っていることです。
 様々の大小の題材にまともに当ってゆくことで、私の生きている内容を試し、しらべ、自分にわからせてゆくつもりです。もとより彼此《あれこれ》を書きこなせる、ということではなくて。
『朝日』夕刊に「宮本武蔵」が出ていて(社では夕刊を、むさしという。ニュースらしきニュースないからの由)もう二刀つかうようになったむさしが、愚庵とかいう禅坊主に一喝くらって、昨夜はむさしがその機縁を失うまいとして坊さんのとまる宿の軒下にねてくっついてゆくというところが書かれていました。ロマンチシズムもあり来りのものですが、機縁をのがさぬ心構えということはものを書く人間が、生活の間でハッと心に来たその機縁にあくまで執して、そこからたぐってたぐって一つの作品を書いてゆくのにやや通じるものがありますね。事柄があったって小説はかけない。そこが面白いところね。文才では事柄まではかけるが。
 きのうの手紙で、うちのこと、大分ピーピー申しましたが、つづけて頻りに考えて居ります。林町の空気ともう一つの空気の間にちがいが大きすぎる。そこをあっち、こっちとうつること考えると肌にしっくりしません。もっと平押しにゆかないか、そう考えて居ります。そういう形はないかと。林町にしろ、家賃はいるのです、些少にしろ。寿江子が留守番に来たらきいて見ようと昨夜思いついた一つのプラン。寿江子ピアノのひけるアパートはないから弱っていました。郊外に暮すということがこの辺でいいなら、ここの家へ寿江子ピアノと来て共同的な経済にして、私は別にそちらに部屋をもってゆけば、客のこと、手紙のこと、その他が順調にゆき、私は変にバランスのちがった二つの間を動く感じではなく、いいのではないかと思いつきました。林町の裏、しめておく。仕事の用で来た人も用を通ぜず不便なところへ来て無駄足をする。それは困ります。表と一緒のは、いろいろこまります。生活が混るから。一寸こちらへ来て部屋にかえることも直《ちょく》ですし。家のことやる人もこちらにおいて。二階を私の室。下の六畳寿江子。四畳半を茶の間。ね。わるくないプランでしょう。本人にきかないで一人でいいと云っていたってはじまらないが。寿江子にしろ、すこしは責任のある暮しぶりも身につけ、いいのだと思うのですけれども。今の私の時間わりと気のはりでは、台所のこと、洗濯、やってくれる人がなければ非能率的です。
 どうも自然の工合で、私と寿江子が近よる傾きが、寿江や私が林町とかたまる傾よりつよい。其々ちがったものによってのところもあるが。どうも、このどうもと体の工合がいぐるしいのが、なかなか実質的なので弱ります。
 仰云っていた本調べました。注文したもの支那四冊、スペイン二冊。その他には
 China Can Win! by Wang Ming.「支那は勝つ」
 All China Union「全支同盟」
 China & The U. S. A. Earl Browder.「支那とアメリカ」
 When Japan goes to War「日本戦うとき」
 The Chin
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