になる。まだ内からよむところまで到達はして居りませんが、この頃は、フト気がついて、あらと思う、内側からよんでいた自分に心づくのです。
 こういう風な読書力がつけば、文学評論の古典もやがて読んでゆけるでしょう。億劫がらず。実にひどい読書力ね。何と女[#「女」に傍点]でしょう。たすきかけて、前かけかけて(ああ思い出した、ユリが、かえると云って前かけかける、と笑われたこと)一寸ぱたぱたやってフーとすぐぐったりとしてしまうような。
 私はどんなつまらない小説でも小説でさえあれば、あとからあとからよんであきない、というそういう風な本好きではないのです。又、随筆的境地でもない。だから本当の読書力がつかないと、妙なことになります。
 おかあさんからお手紙が来ました。隆ちゃん案外に早く五月初旬渡支ではないかとの由です。四月二日に面会にいらして様子知らして下さるそうです。本年は二回に入営させ、一回(隆ちゃん)は一月。二回分は五月初旬の由。一回分はいられませんから。そうしたら私は五月のとりつきか四月下旬に行かなければなりませんでしょうね。六月六日までの間に一度かえることになりましょうか、居っきりでしょうか。考えておいて下さいまし。行ってかえり、又行く。それも大変です。けれど。
 四月一日から島田村が周南町と改名になります。
 おかあさんのこの頃のお手紙によって、うちのこともその他順立てようと考えます。もし四月下旬に行って六月六日をすますまでいるとすれば、適当なアパートが見つからなくても、荷物だけ林町へやり、もしおひささんが保姆学校へうちから通うのなら林町から通わせてもよいとも考えて居ります。おひささんもかえって見なければわからず、島田からのお手紙も来なければわからないわけですが。おひささんの学校は四月十三日からはじまり、婚礼はそれよりあとになるでしょう。学校が大森に近いと云って、そっちへ行って同棲してしまうこともこまるだろうから、うちから通ってよいということにしてあるのです。それでもこっちに生活の目標があるので今度は早くかえって来ること! この前の秋などかえろうかかえるまいかと実にひっぱっていたのに。
 おかあさん、私が行きたいと云ってあげ、もう馴れたから特別の心づかいは真平だからと云ってあげたらおよろこびです。あなたもそう云っていらっしゃる(行けと)というのならなおうれしいことです。土地の名がかわるようにあちらの生活、一年見ないうちに随分変化したことでしょう。野原の土地は坪二十五円以上となり、皆済《かいさい》して、主家と土地五十坪のこったそうです。御安心でしょう。富ちゃん先《せん》の手紙で、嫁をとってもやって行けると強調していたが、どうかしら。
 寿夫[自注12]さん、本を売っ払って行くというから、私欲しい本だけゆずりうけます。只でよこして貰ってもわるいから。
 スノウの細君[自注13]が西北地方旅行会見記をかいて居ります。スノウ夫人とは云わず、別な名(旧姓)でやっているらしい。訳もむずかしかったでしょう(『改造』四月)。スメドレイの従軍記と全くちがって、事務的に(マタ・オヴ・ファクト的に)数字や人名など表記して居ります。〔中略〕チュテーのおくさん、えらい女武者であるそうですが、女の問題に答えて私は彼女たちの仲間でありませんと云っているところ。知りませんと。なかなか面白い、いろいろの要素がわかって。複雑な波ですね。
 一平さん[自注14]、かの子の追悼をあちこちにかき、様々に思わせます。新婚の頃、友人をひっぱって来て二日二晩のみあかして、となりの室にいるかの子に食うものがあるかないか考えても見ず、のまずくわずで彼女はサービスしていたと。そういうところから彼の発明の童女性が生れ、それが、ああいう形に発展したこと。妻に死なれ、悲しんで炬燵にねていたら弟子が先生は職人のような顔をしてねていたと云い、かの女いないと忽ちこう成り下る自分云々。美しさより、溺情より、何だか病的なものがあって。
 さて、又例の表、きょう三十日できょうの分は完成しないわけですがそれだけ別にも及ばないから。
       起床    消燈   頁
二十一日   八・〇〇 一一・〇〇 一五
二十二日   八・〇〇 一〇・三〇 三〇
二十三日   六・二〇 一〇・四〇 二〇
二十四日   六・三〇  九・三〇 一五
二十五日   六・四〇 一〇・三〇 四八
二十六日(日)七・三〇  九・四〇 七一
二十七日   六・四〇  九・二〇 三〇
二十八日   六・三〇  九・三〇 三一
二十九日   七・三〇 一〇・三〇 三〇
三十日    七・〇〇
 ここで一つ面白半分、吝嗇漢となって三月分の頁をかぞえあげます(まだきょうとあしたがのこっているが 668 頁。きょうのを入れて 700 としていて、30 でわる。この算術の答 23.3―切りなしのしっぽ。フム。親方の御感想はいかがですか。大したことありませんね。番町皿やしきで侍女お菊は、一枚二枚と皿をかぞえて、やがて化けて出ます。おユリはどんなおばけになることやら。そちらへばけ出そうと思います。どうぞ私のおばけが通れるだけ窓をひろくあけておいて下さい。呉々もお願い。
 あなたが大変元気そうで、ときょう徳さんが申しました、くりかえして。手袋、足袋、もう入らぬ由です。ではあさってこそ。

[#ここから2字下げ]
[自注12]寿夫――池田寿夫。
[自注13]スノウの細君――ニム・ウェルズ。
[自注14]一平さん――岡本一平。
[#ここで字下げ終わり]

 四月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 四月二日  第二十八信
 きのうの日づけのお手紙。これはレコードの早さです、そう思って終りへ来たら、まあこれはきのう私が出かける前におかきになったのですね。早い手紙ね、おきぬけの。
 一日から八時になって、八時半から四十分の間に第一の呼び出しがあります。まだ肱の力のつよい女軍が相当ですが。池袋の方へ市電が通じたら、池袋辻町のバスが大層すいて朝のキューというような圧し合いがなくなりました。池袋の方はまだ試乗しませんが、表門のすぐわきへ出られて便利の様子です。
 このお手紙で云われている必然的未熟さの征服のことは、文学の現実、生活の現実のなかでは、実に意味ふかく複雑な形態をとります。今日の文学のありようを見ると農民文学、生産主義文学、生活派文学、いずれもテーマ小説であって、現実に向っては意識無意識のイージーさに立って居ます。そしてこの分野で左になぎ右に斬りすてやっている猛者連は、殆どかつて左翼的と云われた作家たちであって、未熟さであったもの(歴史性において)はそのまま低さとして在るなりに、処世の法が絡んで、文学の上では今日の歴史の低い文学の面を表現するものとなってしまった。そして、現在では、そのテーマ小説の俗っぽさに対抗するものとして、変な境地小説(芸者・老人等、子供を扱ったり)が現れている。つまり、その裏が出ているわけでしょう。
 人間の成長には常に一面の未熟さが伴って、怠慢は、自身に対する測量柱が、自身にプラスと思われる面へだけ立てられたときに生じます。これはいろいろ面白いと思います。
 昨年、非常に突入った内部的なありようがとりあげられるようになった細かい動機について考えて見ると。勿論、あなたは以前から、いろいろとユリの成長について、上にかぶさって来る或はひきずっている様々のものを見ていらしたし、それについてふれて来て下さっていましたが、去年は、私が自身の生活事情が変化したことから、それを凌ぐ、或は受けとめる内心の要求として、自分の作家的な経歴というようなものや何かにつよく執したと思います。へこまない、ということを、そういう面の強調で表現し、自分自身の力としたと思う。それが、あなたには、私の変な硬化の危険として、おどろくように映ったと思われます。そこで、これまでより一層、明瞭、強固な表現で多くの注意が与えられ、攻城法が用いられ、暮の私の連信まで到達しました。この心理のいきさつは実にくりかえし、考えるねうちがあると思う。私として、自分の抵抗力を、そういう形での言葉の響をきくことでさがしたということ(我知らず)のうちには、そのときは心付かなかった自身への甘えがあり、本質的にはやはりその境遇に負けていたのであり、言葉で何とくりかえしても要するに、只空気をふるわすだけで消えることであり、実にあぶなかった。あなたは時に、私の髪をつかんで引っぱるぐらいだったのです、あの頃。この前の手紙にもかいたと思いますが、去年あなたが、ああ正攻的であったのは、何という深いよろこびでしょう(相すみませんが、今日沁々とわかるところの。あの頃は苦しい、苦しいと思った。)私たちの生活のうちの忘れることの出来ない一節であると思います。私の最大の、そして相当身についている弱点は、この甘さです。この頃は、この甘さの百面態がいくらかずつ見えて来ました。自身に甘えるところがあって、現実が現実として見えることは決してない。作品がそうです。その世界に甘え、その世界を見る自身に甘えたら、決してリアルには描けない。おたばこ一服になる。おたばこ一服ではまさかにないが、私の長い作品について、云っていらしたことね、(傑れた作品にするには云々と。生活の態度について)あれは本当です。はっきり本当と思います、あいさつとしてではなく。私はこの前後のことを考えると悲しいようです。だって、私は何故自分でそれだけのことを自身について発見して行けなかったろうか、と。そして、そういう力のなかった場合(あなたからの数々の気付き)、自分はどんなになったろうかと。これは考えると全く泣けるほどです。芸術家として生活人としての成長というものの、おそろしさ。ね。一寸正当な眼くばりをおとすと、忽ちスーと、おし流された揚句に眺めれば、陸はあすこであったかというようなものであり。
 戸塚夫婦の生活には、こういうものが、形をかえて去年秋現れたと思います。パニック的なものの中から、やはりあっちはあっちとしての成長を見せています。無駄にころびはしなかったと思って見られます。そこにも実に云えない努力があるのですが。(二人の)其々のタイプ、其々の伝統、それによってころんだり鼻面をひんむいたりして、進む。一歩なりとも進めれば幸と致さなければなりますまい。自身の努力というものが現実にあるとしてもそれに甘えれば、努力の成果そのものの本質の価値が逆転し逆作用するところ、何と活々とした人間の生活でしょうね。
 低い丘しか歩いたことのない人間がやや山らしい山を一つのぼったことで、フーと息ついて、いや実に俺は山を征服したというような弱さ。そういう弱さや小ささの面から見ると、実に人間はその大多数が虫のようでもある。武者の人生観などこんな面と、例えばミケランジェロなんか見較べて、人間は見ようによっては実に力よわいものだが、又他の一面から見ると、実に偉大だ。それに驚くばかりだ。などという人間一般論を出すわけでしょう。
『ミケルアンジェロ』、そういう本でしたか、あと送って下さい。表のこと、すこし信用がまして来て嬉しい。自分のプランから脱れたとき――つまり黒丸の日だけ云ってあげるの? 何だか妙です。黒丸の日だけ起床、消燈、頁とかくの?
 今夜おばあちゃんのお客。いろいろの心持でこれから仕度にかかります。もしかしたらこの家で御飯にひとをよんだりするおしまいかもしれないから。あっちこっちスケッチしてよかったこと。私たちのこの家を深く愛します。
 アパートでこまるのは生活が露出してしまうことです。これがどうなるか、一番の要点で一番マイナスの条件だから。この点本当に慎重です。あとのことはサバサバするだろうと思えます。
 ひさは四月一杯いられるかと思ったら、名古屋の姉が出産しこもち肥立ちがよくなかったらそちらへ行くことになっているのですって。浮足が立っているから。アパートは豊島区内にさがしたいと考えています、かわって、初めてのところへなど行くと、つまらぬ好
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