。私たちという心持も、この頃ではぐっと内に自分たちの間に向っています。妻としてのいくらかの生長です。日々の生活の細部が別々に運行していると、こういう自然に、皮膚からそうなってゆくようなことも(尤も、今ふれている内容は只それだけで解決されるより以上のものでもありますが)根気のよい追究がいるのですね。こういう時期が経過すると、細部まで質において一致して来る。それがわかります。そうでしょう? この頃それがわかりかかっている。だから、毎日ゆくこと、単な[#「な」に「ママ」の注記]習慣でもないし、私たちの必然です。腹からそう思って来ている。
 去年の暮書いた連信から後、すっかり掘りかえされてむき出た泥の間の礫や瓦のかけを、片はじからすこしずつとりすて中。目下そういう工合。土の黒い色が段々あらわれて来るよろこびを感じつつ。その上に降る涙も、従って、涙そのものの滋養をもっているようです。
 いつか余程以前、私が暮の形のことをいろいろ云っていたとき形態の問題ではないと云っていらしたこと、それが自分でわかります。生活というものの本質が、形態だけでない、と云い得るには、非常にはっきりとして自律のある態度が前提されるわけです。そして又有機的な微妙さで、おのずから形態もそれに準ずる。
 ジャーナリスムとの接触のこと。消す、消されるのこと。あの手紙の中で云っていたことは、生活の経済上の必要の点から云って居りました。限度を知ることは元より。真の労作を築いてゆくことにしか、全面に自分を成長させるものはない。その限度を明瞭にした上で、かける一杯のところで、人間らしいものをかき、経済の必要もなるたけみたして行かなければならない、という意味のつもりでした。所謂外見的な面子《メンツ》を保つために、低い限度を自分の最大限として稼ぐ気は家のことその他毛頭ありません。でも最低五六十円はなくてはならない。あれは、その話。そして又真の労作というものもその現実性から見れば、それは単に発表し得ないということにだけかかってもいないわけですから。前のこととは別にこれとして考えることもあるわけです。
 この頃は、友達たちの生活をいろいろ眺めても、実に箇別性がくっきりとして来て居ます。まあ大抵夫婦一組ずつと見て、その一組がそれぞれの過去現在のあらゆる持ちものをもって、それぞれの足の下の小道をつけつつ生活している、その姿が、実にくっきりして来て居ります。どんなに或る一組は他の一組ではないかということが痛感されます。この中では私たちの生活というもの、その独自性もやはり深く考えられ、自分たちの小道についても深く思う。よその根にどんなに近くよって見たところで、自分の花は咲かない。自分の根の養いとするのでなければ。このあたりのこともなかなか面白いものです、人間生活というものの。
             [#図8、花の絵]
 きのうは、昼すぎ家を出て、ター坊のお母さんをつれて、てっちゃんのところへ行きました、およばれ。てっちゃんが世帯をもって初めてです。赤ちゃん大きくなっている。卯女ちゃん[自注11]の両親だの、良ちゃんのお母さんが弟息子をつれて来て、皆それぞれ親子のつどいでした。てっちゃんの家のあたりは去年ぐらいまでは前が畑でよかったらしいが、今は住宅地に売ろうとしているところで、急速にぐるりが変って来かかっています。豪徳寺というお寺を散歩しました。ここに井伊直弼の墓があります。又招き猫という、縁起の猫の本尊(由来不明)があって、花柳界などこの頃大層な儲りかたにつれ、お猫様繁昌で紫のまくがはってあったりするのを見ました。坊主が自動車に重りあってのって、どこかへ(お彼岸だから)出かけてゆきました。そんなものをも見て珍しく散歩し、夕飯をたべ、かえりました。ター坊のおっかさんの話、本当に真率でいい心持だし面白い。本当は東京にいたいのですって。しかしもし万一のとき心配だからと云って、他の子供たちがきかない由。
 島田からお手紙が来ました。お元気で、働いているものもいい若者たちだそうです。甘党だから何かと思っているとありますから、何かお送りしましょう。隆ちゃん五六月頃には渡支の予定だそうです。六月には、皆留守だから御法事も大したことはせず、達ちゃんが秋にでもかえれば(只そうお思いなのか、何かよりどころがあるのか不明です)すぐお嫁さんもたせなければならず、その折は私にぜひ来て貰わなければならないから、この六月には来ないでいいということです。達ちゃんのことはそれとして、私は、皆がいないのだから猶一寸でも行ってあげたい気持です。達ちゃんが手紙で、『文芸』に「早春日記」(私の題は「寒の梅」、もう一人のと集めてそういう題)が出ているので懐しく、雑誌送ってくれと云ってよこした由。あちらにないそうですからこっちから送りましょう。
             [#図9、花の絵]
 丸善の本注文しました。研究社へきいたら出版と同時に送ったという返事でした。まだつかないでしょうか。何でも十二日ごろ発送したそうですが。払込は二月十六日にして居ります。あの英和どうでしょう。わるくありませんでしょう?
 家のこと、暮しのこと。寿江子の方へも手紙かいておきました。今に返事よこすでしょう。そしたら又よく考えて、御相談いたします。護国寺のところから、音羽へ曲らないでずっと雑司ヶ谷へぬけて日の出の裏を通って池袋へ出る市電が四月一日から開通します。日の出の三丁目あたりからそちらの横へ出られるわけで、団子坂方面からは一直線、のりかえなしとなりました。ひさは、友達を代りに見つけられそうです。大いに助ります。けれども、全体的な経済の点から、家のこと、考えなければならず。もし、本郷に動くとして、その電車が通るようになったの、何とうれしいでしょう。あれへのりこれへのりしないですんで。時間はすこしかかるでしょうが。これもまだ未定ですけれども。今度そちらからのかえり、林町までずっと行って見て時間を調べましょう。
   お約束の表  三月十日――二十日迄。
    起床     消燈    頁
十一日 六・三〇   一〇・二〇 十五
十二日 七・三〇   一〇・一〇 四〇
十三日 六・四五    九・一〇 四二
十四日 六・三〇   一一・〇〇 四六
十五日 七・三〇(水)一〇・四〇 五七
十六日 六・四〇    九・四〇 二〇
十七日 六・三〇   一〇・〇〇 一五
十八日 六・五〇   一〇・三〇 三四
十九日 七・〇〇(日)一〇・五〇 五一
二十日 六・三〇   一一・〇〇 二四
 この頃本について感じることは、一つの本を、何冊も持つの、どういうのかと思っていたら、それが手元にあるなしばかりでなく、違ったときに又よむときやはり別の本がいいということがわかり面白く思います、その時々で引っぱり出して来るところが変化し進みもするので。それから、前に読み終っているものが、他に一歩出たため、又ひろい展望で思いかえされてよみかえしたくなるというようなこと。
 又曇って来ましたね。久しぶりの外気。風邪をお大切に、呉々。

[#ここから2字下げ]
[自注11]卯女ちゃん――中野重治の娘。
[#ここで字下げ終わり]

 三月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

  *二十四信という番号、とんで居りませんか?
 三月二十六日  第二十六信
 実に何とも云えずにやついて部屋掃除をやりました。たっぷり屋の御亭主というものは、と考えながら。読書のこと百頁が勉強[#「勉強」に傍点]にふさわしく、二百頁がんばれると(!)三十頁というのは、一方に書きものをもっての話と(!)にやつかざるを得ません。だって、私はまだ蝸牛《かたつむり》的テムポですもの、これから見れば。
 しかし、この頃は、ここに云われているように、文章に拘泥せず、全体をつかんで読んでゆくこつは些か身につけました。そして、丁度英語で読むときのように、全体としてわからせてゆくという方法で。今の私のもっている科学的素養では、いくらねちねちやったってわかる限度がきまっていて、今は今の網ですくえるだけ掬って、そう思ってよんで居ります。そして、こんな面白い本はきっと又何年か経って又よみかえすと又よくわかるようになっているだろうし、そのときは今引っぱっている棒がうるさくて又別の本が欲しいだろう、そう思います。暮頃よんでいたのは多く一とおりはもとよんだものでして、やっぱりその感じでした。科学としての面白さは次第にわかって来つつあります、特に文学的になるのです手紙だと、どうしても。そうでしょう? 自分の身についたものが多ければ多いほど、その方面の本は速く、深くよめる。だから、文学的なものをよむ力とこういうものをよむ力とを比べて見れば、経済についての知識がどんなに低いかということはおのずから明瞭です。しかし実を云えば、こういうものがこれだけ面白いとはこれまで思えませんでした。どうか当分は蝸牛の歩みよしおそくとも、というところで、御辛棒下さい。私が急に一日に百頁もよんだと云えば、それはうそなのだから。何しろ、W−G−W というような式には初めて出会うのですから。そしてこんなものは云って見ればアルファベットでしょう? そこからえっちらおっちら歩いているのですから。グランマーとはよく仰云ったこと。こういう文法が一通りわかれば、随分多くの他のことがわかりやすくなるのでしょう。貨幣が主に説明されているところなど実に面白い。人間生活として面白い、バルザック風な。グラッドストーンというお爺さんは、なかなか洒落たことを申したのですね、「人間は恋で馬鹿になるよりも、貨幣の理論ではもっと馬鹿になる」と。この老政治家の夫人は賢夫人で、議会に重大な演説のある日、馬車に同乗して、ドアでひどく指をつめ痛み甚しかったが良人には一言も訴えなかったという一つ話があります。議会へ、そもそも同乗して行くというところ。日本の幾多の賢夫人たちはその良妻ぶりを示すそのような機会を決して持たないわけですね。
 自身の仕事についてのこと。又生活についてのこと。いろいろ考えます。主観的ないい意志というようなものも、一定条件の限度とともにもあり得るものだということもこの頃ははっきりわかって来ました。而も条件的なものへの敏感さを失って、いい意志というものの中に入ってしまっていれば、結局において自身については一種の盲目であるということも。人間の成長のジグザグの線というものは実に複雑きわまりないと思います。そのものとして大なるプラスの本質をもっているものでも、関係如何によっては、結果としてマイナスに出る場合もあり。外的な時間のことや、おかれた不自由さが、作家の内的豊富さを加えることは、私にもわかって居たと思います。時間がなくて未熟だというようなことよりも、これだけとぎれた間でこれだけ行けばややましだ、という点を自分で見て、大所高所を目安としての未熟さを身に引そえて感じないようなところに、未熟さが現れていたのだと思われます。云わば未熟さが手がこんでいたと思う。
 それにしても、あなたは本当に、何という方でしょう。自分の妻であるということでは決して一人の作家たるものを甘やかさない、一層甘やかさない、その弱点をも最も具体的につかんでいる批評家として在る、ということは、何と感動的でしょう。その長所をも、一作家として同じ程度に掴ませることが出来ないとしたら、それは何と悲しいことでしょう。(これは決して、あの手紙、この手紙の部分について云ったりしているのではありません。この頃私はあなたに対して微塵《みじん》もひがんで居りませんから。全体として感じているから。病気を直すときは病のある部分について語るということは分っているから)
 家のこともね、やはり全体とのこととして考えて居ります。目先のことだけで、林町へひっこんだような暮しかた、何だか虫が好かないのです。元の杢阿彌と笑っていらしったこと、それほどでないにしろね。あっちを根城にしておいてそちらの近くに部屋を見つけることが一番
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