お目にかけましょうね。私も知らないから。
 それから三円のこと。思いつきになりましたか? 和英どうでしょう、一寸ほかに名案が浮びませんが。
 私の考えている小説は今日の母の心持です。いろいろうけている感銘があります。それが書きたい。心持の内側からね。健全さというものの生活的な地味な苦痛をしのんでいる本質について。華やかな時代のヒロインならざるものの生活を貫いている真実について。おととしの冬ごろに小説としては一番おしまいになった短篇で、若い良人をもっている若い妻の心持を、時代的な一般の不安の面から書いたことがありましたが。小さくても、主題ではなまけていない小説をかきたいと思って居ります。
 本年に入ってからは、この間お話したようなわけで、すこしずつかけてゆくらしく、『文芸』の日記(キューリ夫人の「科学はものに関しているのであって人に関しない」と云っている言葉への疑問、それを深めかねているエヴの作家としてのプラスマイナスなどにもふれ)十枚。『三田新聞』の、日本映画とその観客とのこと、所謂文芸映画のふくんでいる文学としての問題、映画としての問題、田舎へ送られる映画の種類の文化的質の問題、見るものの人間的自主的な判断の必要など七枚。『婦公』の若い婦人におくる言葉一枚、というような工合です。去年は三田と法政の新聞に五枚、七枚ぐらい書いて未曾有の稿料レコード総計七円也。夏水道の水が実にとろとろしか出ない。実にそれではこまる、やってゆけない。だが、たとえ一筋でも出るからには、水道局は全く水を止めたというこごとは受けないでしょう。市民諸君が水をつかいすぎるから云々、と。今度市で、一定戸数に対する一定数の井戸を掘ることにきめました。防火・断水対策として。この家は、一つ井戸がありますがそれは今使いません。しかし裏の家主さんのところにあります。
 家、きのう、正門の前の自動電話の横を入って一寸歩いて見ましたが、全然駄目ね。きょうこれからおひささんを出して見ましょう。下駄の鼻緒を切らして、直してもらってからよくそこで下駄を直すお爺さんがついそちらの門前にいます。そこでもきいたらないらしい。すぐふさがる。六、二ぐらいの家である由、あの界隈は。西巣鴨二丁目という辺はきっとバタやさんが多く甚しいくねくね小路で空巣もあるらしく、何かききたいと思って格子に手をかけてもスラリとあく家はありませんでした、二軒ばかりできいたが。空いている家かと思ってきいたとき。空巣では私たちも笑う思い出がありますね。動坂の家で。あなたの大島だけぜひ出させろと私がねじこんだというようなゴシップつきの。そして、その一味の婆さんが一緒に弁当をたべるとき、きっと私に向っていただきます、とあいさつをしたという世にも滑稽な話。滑稽でも空巣とのそういうようなめぐり合いは恐縮です。
 さて、一月中の表を思い出してつける、これはほんとの大体で今これをかくというのも気がさすようなものですが。手帖を見ると、成程一月に入ってからは計温書いていないで、二十九日ごろから又つけて居ります。
 ○一月一日から退院する一月十日まで。朝七時半。消燈九・三〇。熱は平均朝五・九ぐらいから六・二三分(六分どまり)でした。
 ○退院後は、朝さむいし、起ききりにならず暮したので、朝九時ごろ夜は十時ごろ消燈していたと思います。熱はもういいことにして頂こうと思ってとらず。
 十七日、初めて面会に出かけました。二十一日にゆき、二十三日にゆき、二十七日にゆき、三十一日に行って居りますね。十七日ごろからもう昼間床につくことはしなくなっていたと思います。それでも朝は床の中にぐずついていた。やっぱり九時前後でしたろう。宵っぱりをしていたとも思わない。二十九日六・三、三十日六・四、三十一日六であった。手帖にそう書いてある。二月一日からは気をつけてつけてあり起床についても平常に復しかけて居ります。
 ○これからは朝を七時にくり上げ、追々又六時に戻しましょう。この朝おき宵ねについてはまことに遅々たる有様ですが、昨今では、夜おそくなるのは段々実際上困るようになって来ているから、これでもあなたの勘忍袋の効果はあらわれているわけです。初めのうちは正直な話、ほんとうに誰のためにやっているのかとあなたに大笑いされそうにやっとこやっとこであったが。私だって、きっとひどいお婆さんになれば宵ねがすきで寝ていたくても寝ていられないと朝おきるのだろうと思うと可笑しい。そっちだけ大婆さんになる法はないでしょうか。
 ああ、この間白揚社からブックレビューをしてくれと云ってバッハオーフェンの母権論という本を送ってよこしました。どこかの先生で坊さんらしい人が翻訳しているのです。母権論の序文を。長い訳者序をつけて。神代の神話にからめ、女は働いていさえすれば隷属はないというようなことや、母たる感情の本源性を強調して。これはこの頃の一つの風潮です。母と子とがこの社会での現実の関係ではなくて心霊的結合であるかのように。女において最高の感情を母性感におき、同時に大飛躍で女の勤労性の強さをぬき出して讚美する風。実際上この二つのものの間にある様々のものにふれずに。
 病気をする前に、新しい興味で勉強しなおしていた本は、バッハオーフェンの先駆的な意味を十分に明らかにしていたのでそのブックレビューは、今日を生きている女としての現実に科学的なよい意味でのアカデミックな裏づけをもって書くことが出来てうれしかった。プルードンへの批評にしろ、五千円範囲の住宅建築には今度の増税もかからないというような点と結びあっていてやはり面白いこと。
 ○十日ずつでよんだ本の頁数をノートをするということ。きっと面白いでしょうね、些か中学生風であるが。仕事をどの位したかということが、様々の形でわかって。あなたは大変に大変に狡いわね、忽然として今そう思いました。私のすこし子供らしいところをつかんで、そういう表にすれば欲ばってやるとお思いになるのでしょう? 一日だってブランクを出すのは心苦しいと思うとお思いになるのでしょう? くやしいこと。私はそれには、やっぱりかかってしまうでしょうから。但小説をかいているときは一日に何枚としか記入しないでもいいこと、これはきっちりお約束。一枚だって半枚だって一行だって、実際あることですものね。では又明日に。

 二月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月二十一日  第十七信
 雪が雨に変ってすっかり寒い天気になってしまいました。今そちらの門のところ、道普請(下水工事か何か)あげくで、ひどい泥濘と云ったら全くお話のほかです。
 早速ですが枕のこと、ききましたらやはりスポンジは入りません。空気枕だけの由。年中御旅行中とは恐縮ですね。どうしましょう、それを買いましょうか。
 昨日は、かえって暫くしたら婦公の婦人記者来。いろいろ話していて、女の作家のところへ行くのが一番気骨が折れます。なかなか作品の話などついうっかりは出来ませんし、云々。盛に云っているので可笑しくなってしまった。そのひとは私を思想家[#「思想家」に傍点]というものとしているらしいのです。そしてそれは思想家や宗教家の方という形で並ぶものであって、大変包括力があるのですって(!)大笑いをしてしまった。お役所につとめていて、記者になったひとの由でした。
 四時すぎごろ重いブックエンドもって栄さんのところへゆき、つれ立っておっかさん[自注3]のところへ出かけました。偶然半丁ほどのところへ越して来ていたのでびっくりしました。六畳の部屋をかりて壁に服をかけ、隅に譜面台などあり。清潔に小じんまりしている。そこへお母さんが相変らずの小づくりながら、つやのいい元気な姿で坐っていて、てっちゃんもいました。マア雨が降るのによう来て下さいました。そして、息子の三年目の洗濯ものを来た日に親類へ皆負って行ってすっかり洗ってやり、次の日二人で家さがしをしてここを見つけた由。来るとき、秋田のどことかとどことかとへよって九日間の切符ギリギリについたとか、汽車の食堂でパンをたべる話そして何里も来る間ゆっくら休んでいる話。三人で、あっちのバター、燻製の鮭、美味いつけものなど御馳走になりました。花をもって行ったのを写真の横に飾り、おじぎをしたら、おっかさんの実に気持のいい生活の気分と一緒に、涙が出るようでした。本当に生活のひとふしずつを愛してたのしんで、丈夫でよく働いて、つけものの話や息子の着物をさしこに刺した話や牧場で牛乳でジャガイモを煮る話や、そんな話をしているのに爽やかで気が和んで本当に新鮮です。栄さんと二人でびっくりしてしまった。悧巧なひと、しっかりもの、情のふかい人、いろいろ傑作はありますが、ここにも一つの傑作ありという感でした。そして生活する地方というものは何と面白いでしょう。一日に一遍はパンにバタをつけたのとリンゴとソーセージぐらい、牛乳とたべるのですって。そして牧場で、ホワイトソースをこしらえかたを教えてやったら、十年やっている(牧場を)のにはじめてだって、草苅に手伝いに来た人はコンナどんぶりに六杯もたべました、美味い美味いってね。あっちに暮しているのは、親戚も多く皆から来てくれ来てくれと云われ、本当に楽しくて豊富でいいのでしょう。この息子がもっとしっかりしていると申し分はないのだけれども。四月の初旬までいるそうです。四月に旭川の技師の細君になっている娘が(妹娘。)赤ちゃんを生むのでその手つだいのためにかえるのだそうです。すこし暇が出来たら何かよろこばせることを考えるつもりです。
 達ちゃんの手紙、お話したようにあなたのお手紙を見ての分です。もう楊柳の芽がふくらんで来たそうです。正月九日迄大同で十日から動き出し、内蒙、黄河畔、陜西省境をまわって七日に一ヵ月ぶりで帰り、当分休養の由です。丁度そこへ手紙や荷物がつくことになればようございました。隆ちゃんはあっちへ度々たよりをよこすそうです。そして軍隊の空気にもなれたので楽になったと安心するよう云ってよこすよし。風邪一つけが一つとしなかったと書いてあります。
 咲枝の兄の俊夫が(明治生命につとめている)一年半ぶりでこの間無事にかえりました。そして社報に日記抄を出しています。ずっと日記をつけたらしい。日ごろ妹たちにも大人並には思えないような風に見られていたのに。主観は単純であるが、こまかに様々の様子をかいていて、文章は独特に新鮮で、誇張、修飾を知らない味にあふれて居ます。水上瀧太郎にほめられたと云って大よろこびの由。阿部章蔵はあすこの親分です。文章をかくのが面白くなって来ているそうです。このひとは子供の時代の病気のため不幸な生理事情があって、家庭生活もこれまでは悲惨めいていましたが、その妻になっている人は(初め経済的条件だけ目あてだったのが)今度はしんから心配したし、そういう点も何か変化を生じたらしいそうです。いろいろのことがある。
 ○私はそちらへ通いながらでも、仕事をしてゆくことが出来る自信がつきました。事務的なこともちゃんと整理しておけば心配もないし、そちらに行って待つ間落付いた気持で、頭の中にあるつづきを考えていられるようになりました。これは大変にうれしい。それに、自惚《うぬぼ》れですみませんが、ユリは御飯だと、自分を考えているのですこの頃。どんなものだって自分の御亭主に御飯たべさせもしないで仕事にかかる女はいないでしょう? ね。だから、先ず一日のはじまりに御飯もって行って、ちゃんとたべさせて、自分もたべて、さて、それからととりかかる次第です。この御飯という考えは、その欠くべからざる性質においても私のようにおなかすかしには適切だし、なかなか生活的だと思います。しかも、私にあっては、よく仕事すればするほど、質のいい御飯がいるのですから、猶好都合です。
 そちらに通う時間について考えていて下すってありがとう。大体三十分―四十分です片道。家から上り屋敷まで歩き(二丁)そこから池袋まで電車。それからバス。バスからそこの四角の二辺をぐるりと歩く。八時二十分ぐらいに出て、そ
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