いて。私たちがこのカーペットの暖かさにつつまれて、というお祝の心であると云われました。皆は初めっから上機嫌で、十二時半ごろまで賑やかでした。この家はじまって以来の賑やかさでした。

 〔七枚目右端欄外に〕
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 │お笑い草│
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  結婚第一年 綿婚  八年 ゴム婚 二十五年 銀
   〃 五年 木婚  九年 楊婚  三十年 真珠
     六年 糖婚  十年 錫   四十年[#「十年」に「ママ」の注記] 紅玉
     七年 絨婚 (間をとばして)五十年 金婚
           二十年 陶婚  七十五年 ダイアモンド
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 │ 生れ月の宝石     │
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 │十月 オパールかトルコ石│
 │二月 紫水晶      │
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 │            │
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 きのうは、あれからかえって、お礼の手紙を書き、夕飯は林町へゆきました。咲枝が十八日にお祝いをします、お目出度の。その日にあっちこっちの会が重って行けない。(三宅やす子の七周忌、ペンクラブの会、柳瀬さんの結婚と中のの赤ん坊を祝う会)それで、ひさが休日をとったのでお湯に入ってかえって来ました。
 さて、十日づけのお手紙をありがとう。十四日朝着。割合かたまりますね。八日に書いたが今頃着いたでしょうか。私が十一月に書いた手紙の中での希望について、丁寧にふれて下さってありがたく思いました。おっしゃる通りもうわかっては居りました。云わば眼を見ただけでも分るというようなものでもあります。それでも、ちゃんと、私の心に在った当時の重量を察してこうしてとりあげて下さることは大変にうれしい。こういう慎重さというものはお互の生活の中では大切な働きをしていると信じます。こういう慎重さによって私は自分の気持に対して責任を感じ、またあなたのお気持に対する自分の責任をもはっきりと知るのですから。いろいろな点から私はこの頃一層深くあなたという方の実に活々とした心持の抑揚やリズムや溢れるニュアンスを理解し、美しい巖にうつ波、とびちる飛沫、現れて消える虹の眺めに飽かぬ思いです。幸にして、私もいくらかはあなたにとってより興味あるものに成長しつつあるでしょうか。
 この間、生活というものは背水の陣をしいてしまわなければ落付けるものでない、とおっしゃったこと。耳と心にのこり、面白く翫味《がんみ》しています。この言葉の内に含蓄されているものはなかなか一通りではなくてね。人間芸術家としての成長の真のモメントはここにあると思います。そして、特に面白く思うことはその内容がまことにダイナミックであって、一擢きかいてスーと出た、そのところで又次の一擢きが要求されている種類のものであり、ただその一擢き一擢きを必然にしたがい、かきつづける気力が人間にあるかないかというところがある。沖へ出れば、そうぐるりに小舟はいませんものね、何となく波うちぎわをふりかえり、そこと自分との距離を感じる方が多い。そこでたゆとうところにブランデス時代の天才の悲哀が語られ、誇張もされていたわけです。
 人生における背水の陣の意味を一たび理解しそれに耐えるものは、追々成長の異った段階で、一層新しい発見をするから面白いものです。
 合理的な生活を希っている道の上に不合理として現れて来る例えば手伝いのことなど。今日では不合理性が、見つけるにむずかしいというような末の現象からしてさえ実にはっきりして居ります。しかも私の日々にあっては不合理の根底が深甚であってね。客間というようなものをおかないという生活の条件がやはりここにも反映しています、大きい因子として、ね。誰か私のほかに人がいる、その点で。こういう避けがたい私の必要と、Sのお嬢さん的偸安とが結びつくことは警戒しなければならないのは確です。私の生活にも関係している点と仰云るのはよくわかります。人間の気持のずるさでSをだしにしたり、Sにだしにつかわせたりしては何にもならぬこともわかります。実際に生活しはじめるのは当分先のことですが。
 シャツのことなど、それは本当に、うまく気候にしたがってお着になるのがあたり前です。そのことで特別に弱くなっていらっしゃるなどという考えかたは決してしないのですから。本年は平均より七度近くさむいのよ。私は今年はじめて昼間も綿の入ったどてらを着て机に向って居ります、その位ですもの。
 では又明日。雪が降りやんで雀が囀って居ます。赤い花実にむかってする雀の啄《ついば》みやその啄みをかえそうとしてゆれる枝の景色はなかなかつきぬ風情をもって居ます。

 二月十六日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(自宅の玄関付近の絵はがき)〕

 描いてくれた当人は、失敗失敗と云って居りますが、これだって判る、と出す次第です。左手の垣沿いの小道が少しひろいように見えること。前が生垣つづきの一間ぐらいの小路。左手のつき当りに家があ〔一〜二字不明〕裏の上り屋敷の駅のところの欅の梢が見え、雪の夜など電車のスパークが見えます。貨車が通ると家じゅうゆすぶれます。有斐閣注文しました。

 二月十六日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(絨毯の絵はがき)〕

 これが十三日の絨毯です。夜描いたので全体すこし色がきつめですが、大体こんな感じです。三畳しきです。おなじみの箪笥の前で椅子にかけてのスケッチです。これは私が寿江子の弟子になって壁だのタンスだの障子の棧だのの色をぬり、ぬるときはおとなしく、これでいい? ときいて注文を出すときはえらそうな声を出すと大笑いをしながら描いたもの。

 二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月十七日  第十五信
 十四日づけのお手紙をありがとう。きのう頂きました。かえってすぐ返事を書こうと思っていたのですが、そちらへ行ったら十四日のときの受けたものと余りちがった印象だったので、たった間一日のうちにどうしてそういう激しいちがいが生じているのだか咄嗟《とっさ》にそちらのお気持に入って行けなくて、戸まどいを感じ、何だか悲しかったから、その気分がしずまるきょうまで待ったわけ。
 きのうすぐ書かないと云ったら、きょう、いやな顔をなすったけれども放っておいた意味とは全く反対の、そういうわけ。
 正直なところ、今もやっぱり私には、あなたがあれ程の顔をなさるのが、何か唐突なのですが。私のやりかたに原因がないというのではなく。確かにそうであっても、でも。びっくりしているようなこの気持わかっていただけるでしょうか。ただ対照から、そうつよく感じるのでしょうか。どうお思いになるかしら。
 家のことは、お話したように省線の便利はあった方がよいという附随的な条件なのですから、そちらへ歩いて通えるということが条件第一条です。寿江子が一緒に暮さないのだから、ひさと二人の生活を考えて見つけるわけです。きのうはあれからまっすぐ家へかえり、途中で買った地図をしらべていましたが、気持が落付かないので出かけて、そのぐるりを相当歩いて見ました。札は一つもなかった。そちらの裏手の東横とでもいうあたりには大きい雑木林があるの初めて見ました。真中に四間通りが一本通っていて、やがては住宅地になるのでしょうが、きのうは雪が落葉の上にあって独特の眺めでした。護国寺の方から市電が池袋までのびるところで、いかにも新開地らしく、古い餌差町という停留場の棒が立っていたりして居ります。こっち側と池袋の駅よりの方歩きました。自分で大体の当りをつけておかないと、ひさを見させるにも具体的でないから。明日は土曜日ですから或は又何か見当らないものでもないかもしれません。この頃は、もう裏から電車とバスで出かけて居ます。行きの時間には相当もまれる、それももう大丈夫ですから(歩ける距離に見つけるまで、)
 勉強の方は、入院前よみかけていたものプルードン批判をよみつづけて居ります。書く方は、『文芸春秋』が小説をのせるようにして見たいと云っているので、それを今ねっているところです。短篇ですが去年の秋ごろから心にとまっている題材です。お手紙に云われている創造力の源泉の問題は、私の場合ではやっぱり生活の掘り下げかた、生活への沈潜度の問題、その条件としての私の夾雑物への目のつけかたというようなものとむすびついていると思います。ここには非常に興味があり且つ微妙な問題があるので、多難な時代の中で成長してゆこうとする芸術家の努力の様々の段階のプラス・マイナス層が現れていると思います。いつかの連信の中であったか、或は他の手紙の中であったかに、一寸ふれたと思いますが、条件に対する抵抗力というか独自性の自覚(歴史にふれての)というようなものを、外へ向って押すように感じていた時代(これは表現は変化しているが期間としては相当長いように思います、一九三〇年頃から昨年ぐらいまで)その範囲で、「健気《けなげ》な」執筆をもしていた時代。勿論そのときはそれで精一杯であったのですし、そこにある反面のものにも心付かなかったのですが、去年の冬、それから暮以来(あの大掃除を区切りとして)これまでの自分が作家としてもっていたプラスとその反面のものが見えて来ました。だから同じぐらいの短篇を考えても、これから書きたいと思っている気持から例えば「小祝の一家」ね、あれをよみかえし考えかえして見ると、今の自分には沈潜度が不足していると感じられます。では何故沈潜度が不足していたかというと自分が認めるより正しさよりよいものへ向う面と、その一方自分にまだまだあるところの負の面とのいきさつがじっくりとわが胸に見られていなくて、現実に前の方の目だけでぶつかっている、そのためにあるよさはあるとして、足りないものがある、芸術品としては。つまりあの一篇の中に「忘られない或もの」というものがあるでしょうか。それだけ突こみ、迫り、描き出したところがあるでしょうか。ここが面白い。作品にそういう奥ゆきが出るということ、味のあるということ、それはとりも直さずその作家が自身の心にもっている複雑性の把握の厚みの反映ですから。
 この点については現代文学史的な含蓄があるのです、私一ヶのことではなく。沈潜を、正当な発育の方向に向ってやって行かず、(外部の歪ませる条件と自分の内の歪むまいとする希望、にもかかわらず歪みに吸いよせられる条件として|ある《存》もの等をきつく見較べてゆかず)所謂おらく[#「おらく」に傍点]に自分の上に腰をおろしてしまって、元来は文化の歴史のマイナスの面がむすびついて一見文筆的才能と現れているようなところへ沈潜[#「沈潜」に傍点]して行きつつある顕著な実例がある。音を立てず、而もそうやって水平線が岐《わか》れつつある。深刻なものです。「雑沓」が旅立以来無銭旅行的テムポであるというのは名比喩で一言もありませんが、私としてはそういう全局面の見晴しから、一時たまっている水のどっとはける予感でいるわけです。自分論は、生活的な面からそして文学的なものからもふれていたと思いますが、そういう気で書いていたのですが。自分の生成の過程その拡大、そのプロセスにある諸相として。自分についてそのように見直してゆこうとするものが全く作家としての欲望の一表現であると感じられていたと思います。自身の作品へ対しての様々な希望、現実のありようについての疑問もとりのけられてはいなかったのです。作家としてのよりひろがりと深化と芳醇化とをはげしく求める気持がある。そこから。あなたを目の先におかずに、という風なことわりがきが書かれたのも、あれは単にあなたへ向っての知的陳列の欲望とはちがったものを書く動機として感じていたからでした。歴史的な文学的プログラムがいるという感じも、そのつきつめから生じています。
 この前のお手紙に、到達されている省察の上に立って生活と文学との実際でそれを具体化してゆくためにはなかなかの辛苦がいるだろうと云われていたのは全く本当だと思います。具体化してゆくためには
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