何でもシステムを立ててやらなくちゃいけない。そういう。そして、食堂なんかで、手紙の封を切る鋏が見当らなかったりすると、ホラ、システムはどうした! と云うの。そうすると、みんなが、ソラ、システムがなくなった、と云ってワアワア笑いながらさがすの。カラーのボタンを父が一寸見えなくして葭江見なかったかなどときくと、母は実にうれしそうな眼付をして、あなたのシステムはどうしましたって云う。何しろ私はシステムというと思わず皆が爆笑するようなところで育ったのですものね(!)全く大笑いです。そして私は、あなたが、システムをなくした[#「システムをなくした」に傍点]ところをつかまえてあげることが出来なくて何と残念でしょう。私ばかりがなくしているのはまことに遺憾です。
 ○おことづけの弁護士のことすこしわかりました、十日に。おめにかかって申します。
 十三日の欲しいものについて。私の上げたいものは、たっぷりとそちらからも頂く二つのもののほかには、あのエハガキ連作でした。十三日迄に完成してさしあげます。つつましく、而もごく欲しいものとしてはヒンクスのペン先。これはまだ文房堂にあれば二グロス位買います。使ってしまうものではあるが、私たちの生活にあっては、極めて勤勉な倦むことを知らぬ役割をもって居るものですから。こういう気持は面白いこと。余り欲しいものがはっきりしているので、却って思いつかないようなところ。たべてしまいたいようなだけというところ。あなたも非常にねだられたくていらっしゃるでしょう。みんなみんなユリにやりたいとお思いになるでしょう?
 それがつまりはおくりものね。私はそのおくりものの裡に顔をうずめます。
 では又。十日に。こういう紙は余白が多くて惜しいこと。

 二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月十一日の夕方  第十四信
 今五時すこし過たところで、寿江子がおひささんを対手に台処でおかずごしらえをして居ります。私は二階の机のところで、大変珍しそうな顔つきをして、幾分口をとんがらして、しきりにいじっていたものがあるのですが、おわかりになるでしょうか? これを書いているところのものです。万年筆。きのうあれからかえりに文房堂へまわりました。お話していたペン先を買うために。ところが、ついこの間は一グロス 3.80 であったのが 4.50 になって居ります。二年足らず以前には 2.30 位でしたのに。すっかりびっくりしてしまった。たった二箱で大抵の私の高価な買物の頂点になってしまうのですもの。ともかく二箱買っていろいろペンについて話していたら、まだオノトがあるということです。もし今にペン先がないようになったら、慌てるのは余り商売柄心がけがわるいから、ええと大決心をして到頭オノトを一本買いました。万年筆の中でオノトが一番ペン先が軟かなのですってね。十三日にお目にかけます。ごく見かけはあたり前のエボナイトのですが、ペン先の工合はこの字を御覧になってもわかるように割合弾力があるでしょう? その点では調子がようございます。オノトは元あなたが使っていらしたのではなかったかしら。これはペンを引こましてインクを入れたり、小さい金具を動かしてインクを吸上げるのでもなく軸をひっぱり出してギューと押すのですね、ひねくりまわしていたのはその操作のためなのでしたが、何だか馴れないの。ペキリと折りそうでこわくて。その上、私はインクをつけながら書くのが好きでもあるから今はインクを入れてないままつけて書いているところです。本当の書き初めを。金のベルトも何もないので軸が軽いし地味だしどうもありがとう。やっぱりペンになりました。先にもペンという話があったことがあったから実現してようございます。この字はやっぱりヒンクスのGですが鉄の方です。もう一つアルミのようなのがあって、それだと字がちっとものびないの。この鉄のでもひっかかります。小さい字のためには苦情がありませんが、原稿紙へ、しっかりと明瞭な字を書こうとするとひっかかる。
 万年筆の歴史を考えるといろいろに面白い。私が生れてはじめての万年筆をもったのは、多分女学校の二三年ぐらいのとき、こわれたと云って父の呉れたものがはじまりでした。金のベルト飾りがついていて、今思えばウォータアマンでした。私は珍しくてうれしくて、それを学校へもって行って作文のときだけつかいました。ところどころにポタリとインクのしみをこしらえながら、それでもうれしかった。次の万年筆は、初めて自分が原稿料というものを貰ったとき、文房堂でやはりウォータアマンを買いました。それはいかにもその頃の女の子の年にふさわしく小型のを。そしたら使うに余り便利でなくて、長い間持ってはいたがどうしてしまったかしら。原稿なんか一度も書きませんでした。それから、いつかも話した母の記念品。それからこれ。
 きっとこれは長くよく役に立つでしょう。ガラスのあなたのお下りのペン皿にのせられつつ。そして、沢山の沢山のアンポン的物語とそうではない物語とを告げるでしょう。ときには魔法の小人のおはなしをも。
 文房堂では同じとき、鉄製のどっしりしたブックエンド一対をも買いました。これは栄さん夫妻へのおくりものです。ター坊の思い出の日があのひとたちの十五年目の結婚記念日の由です。祝うようなんじゃないと云い、それもそうですが、ともかく十五年は一区切りだから、その本立てをあげます、私たちからとして。二つがあってはじめてそのものとして役立つというところがブックエンドを選んだ所以です。
 原さんはもう退院して赤ちゃんと世田ヶ谷へかえりました。卯女《ウメ》(卯《ウ》年の女の子だからの由)という名。中野卯女。この卯女という名は吉屋信子の「家庭日記」という小説の主人公の名だそうで、稲ちゃんもアラーと云ったのですが、お父さん氏の意見ではあの小説はそう永生するものではないからいいのだそうです(勿論その小説はよまないでの話)。
 この頃、日本映画の製作が旺《さかん》になって来て文芸映画がいくつかつくられ、水準も高くなったと云われて居ります。伊藤永之介の「鶯」「若い人」「子供の四季」「風の中の子供」「冬の宿」その他。そして今や直さんの「はたらく一家」「あらがね」。文芸映画がどんどんつくられてゆくことには、映画の内的世界の貧弱さから作品を文芸に求めるということに映画としての問題があり、文学の方から云うと、鑑賞のちゃんとした規準がないために、作品そのものが不具なりに適応している。映画がそれをそのままもっと表面的な気分で描いてひろげるから、生活的な影響が益※[#二の字点、1−2−22]わけのわからないものになってゆく。そういう相互的な関係を生じて居ります。シナリオ・ライタアが真面目に求めようと欲しているところは察しられますが、自身独立にシナリオとして生み出す力がかけている。そのことも文学との関係も、実に歴史的な相貌と云うべきです。
 明日は十二日。あさっての朝は出かけてこのペンをお見せし、さすがのあなたもへるほどにお祝をねだるつもりで、大いにたのしみです。
 十三日にお気がつくかしら。私は髪のかきかたをすこしばかり変えたのですが。あんまりキューとひきつめていていやなので、殆ど元のとおりですが、左の方をすこしわけるようにしてかきつけることにしたのです。そしたらまんまるい顔がすこしたてに長めになり柔かみもつきよくなりました。これもお祝のひとつかしら。
 こんど島田へ行っても、もうお母さんが、何とかもうすこしゆるめて結えないかしらと仰云らなくてもすむわけです。書きながらクスリとしているの、だってあなたはきっと一目で何だかユリの顔だちが変ったようだとお思いになるにちがいないが、それが櫛の一つ二つの使いかたの変化だとは、きっとお気付にならないでしょうから。きっとこの手紙をおよみになってから、フーンそう云えばすこし変ったかなぐらいのところでしょう? つまりあなたがおかきになるようにかきつけるわけです、はじめ横に、それからずっと上の方へ。秘密はたったそれだけ。
 さっきハガキが来て絵かきの光子さん夫婦、三月四日立ってアメリカへゆくそうです。アメリカでも見ないより(博物館等ボストンなど)ましでしょう。が、率直に云わせると淳さんコンマーシャライズしないかと些か心配です。絵のモーティブが私にはわからないようなものをもサロンの飾りとしてかいているから。子供はお祖母さんにあずけて。お約束の十日までの計温を。
  二月一日――十日。
   起床    計温  消燈
一日 七時半   六°[#「六°」は縦中横]  十時
二日 七・一五  六・三 十時半
三日 八(目をさましてから三十分ぐらい)六・一  十一時十五分位
四日 七・二五  六   九・三〇
五日 八(〃 ) 五・九 十時四十分
六日 七時十分  五・八 九・四〇
七日 八(〃 ) 六(これは夜十一時会からかえって)十一時
八日 八     六強  十時
九日 八     五・九 十時四十分
十日 七時二十分 五・九 十時五十分
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◎こうやって手帖を出して写すと、一つの希望を生じます。いつかは、これを書かないでもいいという位になりたい、と。
[#ここで字下げ終わり]
 二月十三日午後三時
 今、おひささんがお客様のための皿小鉢を洗っています。私は指図をしておいて一寸二階へ上って来たところ。さっきシャツのボタンをつけ小包にこしらえながら、もうすこしで声を出して笑いそうな気持でした。今もそう。きょうは、あの万年筆を見て頂こうと思うのが一杯でそのほかいろんな云う筈だった文句を一つも云わずに来てしまったのが如何にもおかしい。何だかあなたも笑えるような御様子でしたね。ユリのとんまなような、一心なような、滑稽ぶりを見やぶられたらしいと思います。
 きょうは、皆が私に御褒美をくれるのですって。心からの御褒美をくれるのだそうです。大変にうれしいと思います。こういうことをされるのは初めてだから、私のためにみんながどこか私の知らないところでいろいろ相談して、呉れる人たちもよろこび勇んで、きょうを楽しみにしていて、サア、と呉れる御褒美は本当にたのしみです。虫退治も功徳を伴ったと笑えます。何をくれるのでしょう? 見当がおつきになりますか? 何でしょう。これこそその場にならなければわかりっこなしです。二人であけて見ましょうね。何か物ですって。
 二月十五日
 全く思いがけないおくりものでしたね。私は簡単に自分の誕生日と考えていたら。はじめ坂井さん、てっちゃんが来て、七時になってもほかの連中は現れない。もうおなかがすき切ってしまって、ポツポツおなべをいじっていたら、戸塚、昭和通、重治さんと一隊が入って来て、部屋の隅に長い丸い棒のようにまいたものを立てました。おや、とすぐなかみがわかったがそれでも私は意味は分らなかった。ずっとあとになってわかって、さてその絨毯をひろげて、うれしさが急にあふれた如くでした。お金は三十三円ぐらいで、そのうちで今絨毯を見つけようというのだから重治さんも大分苦心した模様です。ついに三越で見つけた由。掘り出しものです。そういえば、いつか家具部を歩いていたとき目にとまった色の調子だがねだんを見ようともしなかったものです。日本の家とよくつり合う、東洋風のうす茶、碧、黄、白の配色で本当にきれいです。三畳ぐらいの大さ。寿江子がスケッチ、エハガキにしてくれます。本当にうれしいわね。でもどこに敷きましょう。二階は椅子とベッドで畳はやっと一畳ぶん空いているきり。茶の間はおひささんが火をこぼし水をこぼす可能があるから惜しい。結局四畳半でしょうか。もし新しく家が見つかって、そこに八畳の室があって、勉強机とベッドとの間にそれをのばして、その上にねころがったり出来たら本当にうれしいこと。私たちはよく毛布を畳んでカーペットをこしらえましたね。そしてその真中に机をおいて。この絨毯の上には、あのお婆さんのくれた卓をおくとすっかり調和します。ふかふかとしたところに坐布団をお
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