郎が母さんの膝へ栗鼠《りす》のようによじのぼって丸くなって眠ってしまい、その始末をしてからさて、帖面、さてファイルブック、さて受とりともち出して財政審議会。寿江子はこれまであっちへまかせていたのですが、一定額以上兄さんに立て替えをさせ、いくら送れ、というようなことを云い、つかいすぎるというので、あっちでは御機嫌よくないのですし、寿は、寿で、自分のものを自分が使うのに云々というところがあって、必要以上の気持のぶつかりを生じているので、今度はすっかり立ち合って、寿江の使うのはいくら、兄へかえすべきのはいくら等々すっかりやったわけです。寿江子は一番生活能力がないというわけで、父が配慮してやってあったのです。
皆それでもきげんよく協議会を終了。それからお茶をのんで車でかえったのは、お約束の十時をすでにずっと越していた刻限です。昨晩は本当にいい月夜で、遠い家々の赤い灯。建てかけの家の屋根の木片《こば》ぶきだけのところが霜でもおいたように白く月光にぬれ光っていて、目にのこる夜景でした。
かえって、茶の間に入ったら私の場所にお手紙がおいてある。おや、御褒美があった! と云ったら、私が巣鴨へ出たあと程なく来たのですって。寿江子曰ク「よっぽど持ってこうかと思ったけれど、かえっておたのしみの方がいいと思って、どうせ落付かないから」と。ありがとう。大変かたまって届いたのですね。三つもいちどきとは。しかもあの三つは、たっぷりしているものたちだから。「煙突ぶらし奇譚」まで覚えていらしたのは、本当にあの一連りの詩物語が、どんなにまざまざとした詳細を生きているかということですね。これらの其々味い深い小題をもつ詩譚は、一つ一つとあなたのお手紙によって思い出させられ、一層の面白さ、可愛さを増します。
花もお気に入ってうれしいと思います。バラもそちらで開いて満足です。どんなのが行くか分らないのですもの。開き切らずに蕾のバラが行ったとはしゃれている、そして、次第次第に咲きみちたというのは。
梅というのは、紅梅であったのが、初めてわかりました。それも好いこと。私は紅梅がすきです、濃い、こっくりした紅色の梅。だが私はもっとおそくしか咲かないものと思っていたので、この間『文芸』へやった日記の原稿にもうすこしで「寒の紅梅」としそうになったが、まだ咲くまいと思ってただの梅にしてしまいました、おしかったこと。もし梅を植える庭があれば、私たちは紅梅を一本きっと忘れなかったでしょう。
連信に対しては、非常に深い関心をもって下すって有難く思い、又そのような深い根づよい関心の底にあるより深甚な愛、人生への愛というものを感動をもってうけとります。我々のこの愛すべき生活の日々に、悠々として而もたゆみない成長を見て行こうとする努力を自身に期待し、又期待されるということは、厳粛なよろこびです。勉学のこと、文学の仕事のこと、そして折にふれて美しさきわまりない詩譚を話すこと。我々のところにある生活の刻々が、最も全的に、充実的に満たされることを希う心持は益※[#二の字点、1−2−22]深められて来ていて、今では、おそらくあなたの胸のそのあたりにそのような深さで滾々《こんこん》と湛えられている思いが、感じとられるばかりです。これは、ああわかったというのとは違うのよ、この感じとられる、という感じは。おわかりになるでしょう? 目をはなせないのと同様に、それからは心をもぎ離せないのです。総括的展望は形式に拘らず正しく導き出されるだろうと云っていらっしゃる点は全くそのとおりです。私は最も真面目な考察で、連信への感想を読みそれを我ものとしようとして居ります。豊富な話材があるが、と云っていらっしゃることもわかるように思われます。あの連信にしろ、一行が余りに圧縮された形をとっていて、制作と同じ緊張のもとにかかれました。大体このごろ私は手紙をかくのが遅筆になりました。これは決してわるいことではありません。頭の動く敏感さでかかず、心の語る速度や密度にしたがうと、おのずから滴一滴という工合であり、疾風的テムポがよしんば生じたにしろ、それは決して上滑りをしたものではありません。私たちの生活の精髄は、歴史の切り口の尖端にのぞんでいるものであって、真の人類文化の大集成の要義の把握なしには、いかような文飾をもってもつかめる性質のものでないことは実に身をもって感じています。
きょうは節分です。立春。八百屋や何かで柊《ひいらぎ》の枝を束ねたついなの箒(?)を売っています、はじめてこんなものを見た、撒く豆というのも大きいのね、上落合に暮していた節分の夜、風呂の中で浅草寺の豆まきのラジオをきいて、そのこと手紙にかいたのを思い出しました。うちでは大笑いしました。寿江子が卯《う》の年で年女《としおんな》だからお前に豆をまかせてやってもいいけれど、家じゃ、鬼はーそと! と云ったら家じゅう年女までいそいで外へ馳け出さなくちゃならないから大変だ、と云って。どこかのお寺で鐘をついているのが仄かにきこえます、やっぱり節分のためかしら。島田なんかでおやりになるの?
ああ、そういえば夕刊にこういう話が出ていました。アメリカから日本語勉強に来た学生曰ク(アメリカ人よ)「日本語はむずかしいですね、てるてる坊主の歌の中に、てるてる坊主、てる坊主、あした天気になーれ、とあります、なーれというのは何でしょうか。教科書にないです」成程と思ってね。なーれは、なれの調子だとはすぐわからないのだと、笑いつつ同情してしまった、すべての外国語の困難性について。
十三日のために。私が好きなだけとることの出来る二つのもののほかに、どうぞお考え下さい。サア目をあいてと云われる迄目をつぶって待って居たいと思います。よくて、もうつぶりました。耳もおさえてしまいました。何が出るでしょう!
月曜日に。冷える晩になって来ました、どうぞお大切に。きょうはすっかり早寝です。
二月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月八日 第十三信
きょうはこんな紙。こういうのに細かい字を書くと読みにくくていけませんが、ほかのが切れたので。
けさ、二月六日づけのお手紙。どうもありがとう。二月一日に書いて下すって、すぐそれから六日の分になるわけでしょうね。日光は暖いが、まだ屋根屋根や道路の日かげのところに雪が凍っているので風はなかなかつめとうございますね。五日の晩、大きい牡丹雪が降り出した景色は好くて、寿江子と二人で北窓から並んで首を出し、櫟《くぬぎ》の並木の梢が次第に雪にとけこんで行く景色をやや暫く眺めました。六日にも雪だから勇んで出かけたわけでした。私は雪が実に好きです。雪の匂いというのを知っていらっしゃるかしら。雪には仄かではあるが独特の匂いがあって、豊かで、冬に雪の少い東京は味がないとさえ思います。何も冬は雪にとじこめられて育ったわけでもないのに可笑しいけれども。冬のゆたけさは霜と雪とです。春の泥濘《ぬかるみ》も歩くにえらいがやはり感情があります。
さて、私のおなかのひきつりの件。ひきつりはこのごろ大分ましになったのです。はじめ内部がひきつって嘔気を催したりした位でしたが、それはやんで、次には歩くとどことなく不快につれていやでした。その感じも殆どなくなったら、昼間おきているとどうもなくて、夜床に入ると夜半そのために目がさめる位脚からおなかにかけてつれて痛みました。その頃(先月の二十日前後)は夜楽にねるために腹帯をとっていた時分です。そこで、又腹帯をすること(眠る間も)にして、その代り一工夫して、これまでの一丈二尺もあるのをやめて、短いのにうすく真綿を入れて広幅のままおなかをまき、夜中もそれをややゆるめにして眠ることをはじめたら、段々効果があらわれて、おなかの工合がましになりました。つれがなくなったし、おなか全体の内部が落付いて、腫れぼったい感じや不安感がなくなって、おなかも幾分ちぢみました。こわい気持なしに、ずーっとおなかをへこますことも出来るようになりました。この四五日の状態です。半年かかるというのは、直接つれのことではなく云ったつもりでした。半年かかると、傷をいたわり、腹もちが何となく気がかりということを、すっかり忘れ得るそうだということを云ったつもりでした。やっぱり手術のとき、腸をひっぱったりいろいろやるから、何だか腹の中がもめた感じで、毛細管が鬱血してでもいるような腹もちのわるさであったわけです。この四五日おなかがしまって来たことがはっきり分って、大変快適です。私の体は神経質なところのあるたちだそうです。そのために、そういういろんな点がきついのだそうです。今そちらへは行きだけ拾って居ります。調子がいいところで気をつけようと思って。でももう十日には行きも歩きましょう。その計画です。今月一杯間をおいて出かけ、来月は冷えることもずっと減りますから従前どおりに段々戻るつもりです。
家のこと。さがして見ましょう。九月ごろ空くようになるだろうという家は、特に寿江子が一緒に暮すために好条件であったので、私一人のためには、家主が友人の親戚に当るという便利しかないわけです。尤も、これがなかなか大事ですが。実際借りるとなると。女主人のところは二の足をふみ、又その他等々で厄介な場合が多いが。寿江子はいろいろ話し合いの結果、一緒に暮すのはしばらく保留。寿江子は林町の離れに生活するという計画に決定しました。もしお久君がいなくなった後、二人でやって行く場合、寿江子の体の工合が果して二人でやってゆけるだけ丈夫になっているかどうかわからず、この秋から一年も林町の離れでやって見れば大体疲労の程度もわかるから、それからにしたいというわけです。私もごく毎日を無駄なく暮したいのに、寿江子のむくれ面で気をつかうのはいやですから、それもよかろうということにしました。ですから家は私とひさとの暮しを条件として探すわけです。
エハガキ、面白いでしょう? 絵はいいところがありますね、一目瞭然で。今、あの茶の間の外の小庭の眺めをかいています。それと門のところの眺めと。その二枚が揃うと、随分われらの家が視覚化されるわけです。手紙の中で語られる様々の情景が、はっきりしたそれぞれの場面となって、道具立てをもってそちらにも浮立ちます。私はそれを大変たのしみにしています。ハハム、ユリがここで悄気《しょげ》ているな、ホホウ、こんな庭を向いて気焔をあげるのか。それぞれに面白いではないの。
私の手紙は二日(十一信)四日(十二信)という工合です。
○富雄さんから返事がけさ来ました。自動車の方は技術として身につけておいて決してわるいことはないが、小母さんが危険をおそれるのと、ガソリン統制が新たに営業を許可しない方針となっていること、ガソリン払底で木炭自動車を購入しなければならず、それにも厖大な費用がかかるので、却って工場へ入って月給をいくらでもとる方が生活の不安が少いからその方にしようと思うという話です。工場の方へは履歴書を出した由。今、家賃が二十円程入るそうです。それで三人の食費はあるそうです。(何と東京とちがうでしょう!)それにいくらか月給をとることが出来れば嫁さんをとって生活も出来るから、とのことです。島田で雇った運転手が、下松で電信工夫をひっかけてしまい、下松の病院に入れてあるそうです。それやこれやで、小母さんもすっかりおじけついてしまったのでしょう。お母さんもまたそれの善後処理や何かさぞ一人でお働きでしょう。一月二十七日のことだそうです。早速お見舞のハガキ出しました。
富雄さん、猶よくあなたの御意見も伺いたいと云って居ります。
○用件を統一的に片づけるという点についての御注意。書いて終《しま》うと気持で片づいた気になる、というところは、おお痛いと思いつつ思わず笑い出しました。本当に面会、手紙、用事の統一と系統化は大事です、よく心がけましょう。事務的性能の向上ということについての注意は、どうも随分くりかえされなければならないところです。父のお得意の言葉にシステムということがありました。
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