。私たちという心持も、この頃ではぐっと内に自分たちの間に向っています。妻としてのいくらかの生長です。日々の生活の細部が別々に運行していると、こういう自然に、皮膚からそうなってゆくようなことも(尤も、今ふれている内容は只それだけで解決されるより以上のものでもありますが)根気のよい追究がいるのですね。こういう時期が経過すると、細部まで質において一致して来る。それがわかります。そうでしょう? この頃それがわかりかかっている。だから、毎日ゆくこと、単な[#「な」に「ママ」の注記]習慣でもないし、私たちの必然です。腹からそう思って来ている。
去年の暮書いた連信から後、すっかり掘りかえされてむき出た泥の間の礫や瓦のかけを、片はじからすこしずつとりすて中。目下そういう工合。土の黒い色が段々あらわれて来るよろこびを感じつつ。その上に降る涙も、従って、涙そのものの滋養をもっているようです。
いつか余程以前、私が暮の形のことをいろいろ云っていたとき形態の問題ではないと云っていらしたこと、それが自分でわかります。生活というものの本質が、形態だけでない、と云い得るには、非常にはっきりとして自律のある態度が
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