の頃の文芸附録を見ると、ジェームス・ジョイス(「ユリシーズ」の作者)が十四年目に長篇の完成を公表している。あんな連中でさえそれだけ粘る。心からそう思いました。いつか書いた、「チボー家の人々」マルタン・デュ・ガールにしろね。
私には段々あなたの繰返し繰返しおっしゃる自律性というものの真意にしろ真価にしろ、いくらかずつ現実の内容ではっきりして来るようです。こういう状態を想像して下さい。たとえば睡い朝、かすかに、そして途切れ途切れに物音がきこえて来て、それが追々急に近くきこえるかと思うとフット又遠くなり、だが益※[#二の字点、1−2−22]明瞭になって来る、そういう過程。これらのことはみんな「その年」という作品にも絡んでいて、私たちの会話に肉体があるという現実性とも結びついていて、生活と文学とに於て、グーッと私をひっぱりつつあるのです。表現が下手ですが、おわかりになるかしら。いろんなことが、やっと心臓までしみて来かかっている、そういう感じ。吸取紙のようで可笑しい云い方ですけれども。自分で深く感じて来ていることですから信吉や何かの中絶が頭脳的所産であったために切れたということも十分わかります
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