居て、反芻の味と必要とがあると思われます。
主題のことにふれては、全くそう思います。そのことは自然その題材に向ったときに面したことでしたが、私の心持のやまれぬ動きからどうしても書きたくてね。昨年後半からこの頃にかけての私の内的な状態では、この題材や主題のように、心をつかんでいるもの、書きたさに溢れる心持のものを先ず書いてゆくことの必要さを感じていたので、ほかにふり向けなかった。こういう心理は面白いものであると思います。底の粒々に一つずつふれてゆくように、この作品を書いてしまわなければ、自分の心の新しいありようが自身にたしかめられないというか、沈みたいと思うと石を抱くような、というか何かそういう必然の欲求が、こういう全く心臓に響いているものをつかませたわけです。だから自分では久しぶりに好きな心持で考えることの出来る作品です。これとして、やはり一つ、小さい一歩の前へ出た(自分の感覚ではシンと沈潜した)作品だと思います。だから此がのってものらなくても、これからすこしましな作品を生んでゆける創作の生理が感覚されたようなところがある次第です。
現実の可能の範囲をよく知ることは、作品の主題の健
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