りからいろんなケチくさいつきものをぐんぐんこわさせていらしたことの価値も、今にして十分わかります。よく、自発的にやらないということについて、きつく仰云ったし、これからもきっと云われるでしょうが、自発的にやらないところがあるのは即ちその意味がわかっていない、或はそのことの真意の在りどころがつかめていないので、(私はわかってもやらないという気質ではないから)私の場合には幸、あなたの云いつけは反《そむ》くまいという努力が原初的な形であるので、それによってフーフー云ってやって、さて成程とわかる式ですね。
一人の資質が三様四様の才能の最高最良な開花を見せることなど現実には稀有でしょうね。私は、終局においては賢明である目前の愚、或は鈍と、たゆまざる根で、やってゆく。そして何がどこまでゆくか一杯のところで生涯が終って、一杯ギリギリまでやったと自身で思えれば、よろこびとします。素直であり、素直であるがために現実が客観的現実のありようにおいて見えざるを得ず、それが見える以上見えないことにはならないという、そういう力が、芸術の背柱をなすわけですが、そこまで身ぐるみ成るのは大事業ですね。掃除がすっかりすん
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