ものとしての範囲から出ない場合が多いと、文学のことにふれて云っていらしたことがある、その点だと思います。だから、自分にわかるところまでは実にわかっても、わからないことに到ると平然と自信をもってわからないでいる式の撞着が、おのずから生じることが多かったわけです。内在的本質ということについても、あのときは字は分っていたし、返事に、わかったこととして答えていたかもしれませんが、このお手紙に云われている通り、案外ほんとに合点の行っているのは昨今のことかもしれないとも思います。この頃の生活は私のこね直しというか、芸術の成長の上でもう一段追っ立てる上からも、私にとっては、実に一つ一つを含味反芻する経験(内的に)の日々であって、枠のとれた肉体で(この枠のこと、前にかいた手紙にありますが、覚えていらっしゃるかしら)現実へ入ってゆく感じです。
 私たちの生活というものに腰がきまって来る、そのきまりのなまはんじゃくさが減少するにつれて、ぐるりが見え来るし、じりっとした工合が変って来て、ものを書く心持も亦えぐさ[#「えぐさ」に傍点]が本ものに近づいてゆく。あなたがこわい顔をも[#「をも」に傍点]して私のまわ
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