フひとにそういう女の心持はわからないとか、苦労していないとか、苦労が足りないとか反撥する場合が多い。それも興味ある現象です(一般的に見て云っているのですから、どうぞそのおつもりで)そして、こういう感情の質の相異が或意味では旧い年代の女の心持と、新しい年代の女の心持とのへだたりになってもいる(新しい年代がそれ自身の問題としてもっているものは又様々であり、それなりでよいと云えないものも多くあるのだが)。女の感情、男の感情から義太夫のさわり[#「さわり」に傍点]の部分は、さわりの趣味はいつになったらもっと朗らかで雄大壮厳な合唱と献身とに変ることでしょうね。
年齢が加って、社会的な体面のようなものが出来ると、ゴミ袋はいつしか尨大なものになって、つまりはゴミ袋をどうやらころがしてゆくのが日々の実体みたいなところを生じる人さえあるのだから。
私は襟を正して夫婦とはおそろしいものであると感じます。愛というものはどうやら際限がないらしい。それが愛であればあるほど。どっちみち愛によって生き又死ぬと云えるところがあるのだが、世俗的には身をほろぼすが如く見えつつ生きる道と、外面的には生きつつ実は身をほろ
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