チたことでした。何だかばか念を押すようで可笑しいかもしれないけれど。
或一つの事件について、一人の人間は、ああこういうことをするようでは心底あらわれたり、と思い、ある一人は、それは性格的な欠陥だと思うけれど、と一部分のことのようにうけるという相異は実に微妙且つ心理の分水嶺をなしますね。或ものは、性格の欠陥と見きわめつけば益※[#二の字点、1−2−22]決定的に判断する傾きになり、一方は、それは特定の方面にもっている欠カンであってと、欠陥が根本的にどんな作用を及ぼすかということは場合場合によってちがうという風に観る。
漱石の「三四郎」に、ピティー アキン トゥ ラヴという言葉をどう訳すかという場面がある。可哀そうだは可愛いってことよと都々逸《どどいつ》風に云い直している。
卑劣さということの解釈も亦そういう点の理解の相異によって相異して来るのですね。或特別な性格がその性格としてそうしか考えられず、やったことは低いには低くても卑劣と云い切れるものでないという風になるらしい。元来そんなの変だ、というのと、あのひとは元来そうなのだから、ということでは、ちがった標準に立っているわけです。面
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