一郎君記念事業委員会から私達への贈呈式があります。この記念事業には中條文庫も出来ます。造形美術と建築の研究を主とした文庫です。私は文庫ときくと冷淡でいられなくていつかもし可能であったら、何かいい本を父の名によるこの文庫に寄附したいと考えます。この頃私は自分の性格にこういう一種独特のたち[#「たち」に傍点]を与えて、いろんないやなことや苦しいことを、やはり失われない快活さと希望とで堪えてゆく気質に生んでくれた父の気質というものを、心からありがたいと感じている。益※[#二の字点、1−2−22]このありがたさは痛切であって、恐らく私が年をとり生活の波浪を凌《しの》ぐこと深ければ深いほど、いやまさる感謝と思われます。そして、そのような私の気質のねうちを充分に知っていて、又その光りを暖くてりかえしはげまし、人間らしい強靭さに導いて行ってくれる人のいること。それら全体の諸関係をひっくるめて友情につつんでいてくれる決して尠《すくな》くない友人たちのいるということ。なかなか私は幸福者です。だからよく私は、これらのねうちを活かすのこそ自分の人間及び芸術家としての責任であると感じ、まことに人生というものに対して畏れつつしんだ気持になります。女の生活で、心のたよりになる二三人の女の友達をもっているということさえ、現代の現実ではなみなみならぬこととしなければならないのですものね。
 明日あたりお話した籍のことについてもうすこしとりまとまったことを調べて手続をすすめましょう。そして、来月には、はっきりとした私の勉強のプランについてきいて頂きましょう。よくプランを立てて一年に五百枚ぐらい――一冊の本の分量だけの仕事は必ずやってゆく決心です。どんな時でもそのときにしておくべき仕事というものは文学の上に必ず在るのですから。断片的でない勉強をまとめます。これまでは仕事即ち職業としての外との相互関係から比較的短かったから。暮に書いた「今日の文学の展望」百枚はこの種のものとして一番長かったが、どういうことになるか。ゲラのままです、目下のところ。これももっと手を入れたい。散漫なような手紙ですが、これで。猶々お大切に。おひささんがおかかをえらい音を出してかいている。では又

 一月三十一日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 きょうはすこし気分をかえるためにこんな紙に書きます。半ペラはいつもこの色をつかうので。
 ロンドンから雑誌のようなものは二十日ほどで来ます。あなたのお手紙が十七日にかかれていても ここへつくのは二十八日。何と面白いでしょう。
 二十八日には建築士会の中條精一郎君記念事業会から、父の肖像(薄肉彫・ブロンズ直径三尺近いもの北村四海氏作)をおくられました。建築士会へは中條文庫資金一万二千三百円也が寄附されました。全額は一万五千円ばかり集った由です。
 三十日は二年目の父の命日で、雨のなかを青山墓地へゆき、花のどっさり飾られているお墓に参りました。この前の手紙で書いたように、私はこの頃いやまして父が困難に対して快活な精神を失わなかった資質の価値を尊敬している心持なので、お墓詣りも特別な心持で行ったのですけれども、石に中條家之墓と書いてあるのを見ると、父によりそっていろいろと喋ったり、肩を叩いて笑いあったりするような気持も違ったものになってしまいます。父の墓というものが欲しい。そういう気がしました。かえりに太郎も加えて同勢五人、銀座の松喜という牛肉をたべさせる家で夕飯をたべました。この店にしたのにも曰くがあるのでね、父がここの肉を美味《おい》しがって百合子に食べさせてやりたい、いつか行こう、ね、ぜひ行こうと云っていたっきり、私はまだ一遍も行かなかったので、特にそこにきめたわけ。バタ焼にしてどっさりたべました。そしたら雪になって来て、寿江と私とだけ日比谷で車を降りて二人で雪の中の公園をあっちこっち歩き、非常にいい心持でした。鶴の青銅の噴水のある池の畔《ほとり》の亭《ちん》にかけて降る雪を眺めていたら、雪は薄く街の灯をてりかえしていて白雪紛々。紅梅の枝に柔かくつもってまるで紅梅が咲いているような匂わしい優美さでした。雪はすきだから思わず気がたかぶって犬の仔のようになる。父のなくなった一昨年の二月二日に、葬式をすませて戻るときも、私の髪に白い雪がふりかかっていた。つづいて、あの近年珍しい大雪になりました。それに父の記念日と雪とは似合います。雪のもつ豊饒な感じが美しさの大きい要素で、そういう豊饒さと活気とが父に似合わしいのですね。
 あなたも雪はお好きでしょう? けさはね、雪がすっかり消えてしまわないうちにと、家を出て裏の上《あが》り屋敷の駅から所沢まで武蔵電車で行って、バスで国分寺へ出て(この間はなかなかよい、大雪だったらさぞ美しいでしょう、黄色いナ
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