頃まで内務省検閲課の干渉によって中野重治・百合子の作品発表が禁止された。
[自注2]店の方が形つくと――窪川夫妻がコーヒーの店を出そうとしていて、百合子もその仲間に入っているつもりでいた。
[#ここで字下げ終わり]
一月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(中村研一筆「朝」の絵はがき)〕
一月十二日、岩波の『六法全書』本年(昭一二)版は皆うり切れてしまい、新しい法規を入れたのはもう二三ヵ月後に出ますそうです。どうせ新しいのならその方がよいと思いお待ち願います。『二葉亭四迷全集』の一二は、創作です。待っているのは五六七八になりましょう。これもまだすこし間がある。一筆そのおしらせを。
一応うまいのは分るが、という絵が何と多いのでしょうね。うまさに於てこれも場中に光っていた方の部です。
一月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(山と水辺と村の風景の絵はがき)〕
一月二十二日、あしたは日曜日でこの天気では雪になるでしょうか、雪は可愛いから降ってもいいことね。月のない代りに雪の夜にでもなったら、又異った眺めでうれしいと思います。あしたは防空演習だけれども午後は神田へ行って、およろこびのしるしとしていいものを買って頂きます。その中にはドンキホーテもプルタークもある国民文庫刊行会のシリーズです。夢二のこの絵はどこか瀬戸内海らしくて島田のどこかに似ているようです。
一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
稲ちゃんのところへ、ひさ[#「ひさ」に傍点]が手つだいに行っていて、ひっそりとした午後三時。右手の薄青い紗のカーテンを透して午後の斜光が明るくさしている。机の上へ父の元買った小さいマジョリカの花瓶(中世には薬瓶としてつかわれたもの)をおいて、黄色いバラを二輪活けて、これを書いて居ます。きょうはすこしゼイタクをしてバラの花を二輪ぐらい買ったってよい。日曜日だけれどもラジオもやかましくなくていい。本当にこの辺はピアノもラジオもやかましくなくてその点では助ります。今の時刻、あなたもきっとこの午後の光線を仮令《たと》えば霜柱の立った土の上に眺めていらっしゃるのではないかしら。或は冬らしくすこし曇りを帯びた空を眺めていらっしゃる?
私は独りで明るさと静かさとあなたの傍にいる感情の中で、一寸した道楽をやって居ります。それは一つの算術です。日記の一番終りをあけて見る。1938 年の十二月三十一日は土曜日です。本年の元旦は土曜日であった。すると来年の元旦は日曜日で来年の一月二十三日は月曜日ということになる。ハハ。これはよろしい。では二十三日に出かけられる。ここで一日ずつあとへくって見ると、六年前のきょうは月曜日だったことが思い出されます。そして来年は七年目で又月曜日。つまらない、しかし私には一寸面白い算術。
一月二十五日の午後。
きょうも又晴れている。非常におだやかな天気。おとといのバラは八分開いて微かによい匂いを放っている。本を送る包みを二ヶこしらえて上へあがってこの手紙をつづけます。きのうは体の工合のよさそうなお顔付を見て本当にうれしくいい心持でした。便通は腹の調子を告げるばかりでなく全身の工合を語るから、それが苦情すくなければ何よりです。
きのうは割合いろいろ聞いて頂けて、さっぱりした安心した気持です。あれから真直家へかえって、すっかりおなかをすかして、おそばをたべて一休みしに二階へあがろうとしたら、ひとが来て五時すぎてしまった。そのうち、ひさ[#「ひさ」に傍点]、戸塚へゆく時間で出かけいよいよ二階へ上ったら到頭十時まで一息に眠ってしまいました。ひさ[#「ひさ」に傍点]がかえる音で下へおりて、三十分ばかりいて、又あがって、二三時間おきていて又眠りつづけました。きょう、おだやかな天気を沁々[#「しみじみ」に傍点]感じる道理です。あああ眠ったと云う心持。この間うち体がこわばったりしていたのが大分ましになりました。
きのうも簡単にお話したとおり、私は当分このままの生活をつづけます。今家賃は33[#「33」は縦中横]円です。がやはりこの周囲でももすこしやすい家でもあれば代ってもよい位の考えです。家賃だけを切りはなして考えても交通が不便では私の生活に全く無意味だから。この頃のタクシーの価はあなたの御存じの時分より倍は高くなりました。銀座から目白まで雨だと一円以下では来ません。夜淋しすぎるところに住んだり林町のように億劫《おっくう》なところに居ると忽ち車代がびっくりするようになる。林町には空気全体がいやです。Sの、チェホフの小説の中にでも出て来るような人生の目的なさそのもののようなピアノの断片をしかも永い間聞くだけでも辛棒出来そうもないから。この二十八日には、父の胸像を(北村西望氏作)建築学会の中條精
前へ
次へ
全119ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング