チてゆきました。既に昏睡《こんすい》です。瞳孔反応なし。今朝十時富雄さん帰り。三時(午後)克子大阪より。私は明日の出発をのばして御様子を見、且《かつ》お世話をいたします。血圧二百二十。この前の発病は百八十であったとのことです。第一信
四月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(はがき)〕
野原伯父上今度の原因は、日頃やはりお酒を相当あがっていたところへ、昨日は好天気だったので、ひなたで植木いじりをしていらっしゃり、夕方大変いい心持で、風呂に入ろうなどいって居られたところでした由です。「おせん、右へ来たぞよ。おれは奥でよこになるから駅へ電話かけえ」とおっしゃったきりになった。あなたのお手紙のことを改めて申上げたら、もうこれから絶対やめるといっていらしたというのに。
四月十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
四月十三日 島田。晴天、暖し。
野原伯父上の御急逝には実におどろき入りました。さぞびっくりなさり御残念でしたろう。前後の御様子をかきます。
この前の手紙で書いたように、私が着いた日、光井からお出かけになり、いろいろの話をし、愉快そうに夕刻
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