り》して笑うだろう。けれども、それが、おもんの事実であった。
その屋敷に行って四年目の桜の時、彼女は老夫人の伴をして、生れて初めての汽車旅行をした。久しく故郷に帰らなかった老夫人は、皆に勧められて、西国の花見を思い立ったのである。
刻々に景色の変る途中の有様は、どんなにおもんに珍しいものであったろう。
ここでは毛糸を巻くこともいらない。彼女は、矢張り楽そうに元気な顔付で座席の上に坐っている老夫人を、小さな声で、
「まあ! 大奥様」
と呼びかけては、幼児のように勇み立った。
山が見えたり、林の中を駈け抜けたり、ちらりと何か光ったと思うと、すぐ目の下に海が波をあげている様子! 日が暮れて、月が窓の外を汽車と競争するように飛び初めると、おもんはまるで夢の中にいるような心持になった。このまま、どこか遠い、すっかり世界の違った処へ行ってしまうのではあるまいか。
頼りないような、嬉しいような、胸を擽《くすぐ》る思いが自ら喉元にこみ上げて来るのである。
田舎の家へ着いて見ると、おもんの楽さは一層増した。軟かな春の空気は、ぐんぐん草の芽を育てると一緒に、彼女の心まで膨らすように感じられた。
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