しかん》を起した。そして、おもんの桃色の襟巻を始め、一生の悦びも幸福も、あらゆる約束を遂げないまま、急に生活から引離されてしまったのであった。
 線香の匂う物淋しい家に、おもんは全く独りぼっちになった。父親はいても、互に生き写しな気弱さや生活上の無気力で、どちらも頼りにはならなかった。その上、おもんの稚い心には、人生の恐ろしさが烙印のように銘された。小さい、臆病な黒い二つの眼は、朧《おぼろ》げながら、平凡な日常生活を包む見えない幕が一旦掲げられると、底からどんな恐ろしい転変が顕《あらわ》れるか、忘れられない深い印象を以て見たのである。
 死んだおもんの母親は、彼女に二人の同胞を与える筈であった。けれども、彼等は皆|夭折《ようせつ》した。このことは、おもんにとっての大きな不幸であったが、父の真吉には、先ず好都合というべきものになった。
 半年ばかり経つと、彼は同僚の世話で二度目の妻を迎えた。激しい嫉妬深い気象を持ったおまきは、瞬くうちに家庭の主権者として、良人に命令を与える地位に立った。当然おもんは、最も従順な奴隷とならずには置かれない。新しい母にとって些かも邪魔にならず、しかも必要な場
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