井に見張りながら、時々低い唸り声を出している。産婆と入れ違いに台所へ逃げて来ても、おもんは、ウワウワと膝頭の震えるのを止めることが出来なかった。どんな可怖《こわ》いことが起ろうというのだろう。阿母《おっか》さんは、どんな叫び声を出すだろう。
 奥から、獣とも人間ともつかない唸り声のする毎に、おもんはさっと蒼ざめ、瞳孔を大きくした。それでも、彼女は一大事を感じて、母親の命じたことだけはした。竈に火を起し、水をなみなみと湛えた釜をかけた。チラチラ焔を立てて燃え上った薪の上に、釜の外をまわった水の雫が滴って、白い煙をあげながらジュッ! という。彼女は、燃え口からはみ出すほど、後から後から新な薪を差し添えた。火の勢いが熾《さかん》になればなるだけ、身に迫るこわさが減るように感じたのであった。
 が、母の小部屋の裡で、運命はまるで逆転していた。四辺が夕闇に包まれて来るにつれ、威力を増したのは誕生の歓喜ではなく、死の冷たい、仮借ない指先であった。
 おもんが二度目に往来へ駈け出し、四五丁先の銀行から、番人をしている父親を呼んで来た時、彼女の二人とない母親はもう生きていなかった。母親は、突然|子癇《
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